3日目:『おとぎ博物館』




チェーンをつけた車輪で少しばかり走ると、住宅街に出る。さすが雪国と言うべきか、どこの家も二重窓、二重ドアは当たり前だった。それに、
『お〜い!そっちは終ったか〜?』
『まだだ〜!終ったら手伝いに来てくれ〜!』
信号待ちの、車通りが少ない道路を挟んで、屋根の上で雪掻きしている人の交す会話が聞こえる。屋根の傾斜を若干急にしているとはいえ、積もった雪は下ろさないと家が潰れることになりかねない。他の家の苦労も他人事ではないのだろう。
……っと、青信号だ。



クレン氏の地図によると、どうやらこの辺りに博物館と、昨日ドミナインが行った凍った湖があるらしい。………とは言ってもそれらしい建物は………と、あったあった。
ロシアのモスクワ大宮殿を元にした様な形状の建築物が。………博物館建築時の設計師の趣味か?話では二十年前に建てられたと言うが………冷戦終結間際とはいえ、仮想敵国的存在の国の様式を取り入れるとはな……。こりゃ完全に建てた奴は趣味人だろう。
さって………開いてるかな?……………お、良かった良かった。開いてら。
キィ………。
木の取っ手を引いて、中に入る俺を仄かに暖かい、澄んだ空気と一緒に出迎えたのは、ゼベット爺さんのような、人当たりの良さそうな白髪の老人だった。

『おぉ…………、こんな寒い中にわざわざ………どうもありがとうございます』
「いえいえ」
エントランスホールは、木張りの床の真ん中に石油ストーブという少しレトロな趣だ。そのストーブの火に当たりながら、この博物館の館長、ヴァン・ロマノフ氏は髭を摩りながらこちらに微笑んだ。
『どちらから来られましたかな?』
「日本からです」
当然ヴァン氏は驚いた。
『おお!そんなに遠くからの来館ですか!いやぁ………、博物館館長の冥利に尽きるものです』
昔話を子供に聞かせるときのような笑顔を浮かべるヴァン氏。本当に嬉しそうだ。
『では、早速ですが、何をご覧になりますかな?』
「この辺りの神話、伝承、民話の類が描かれた美術品はありますか?」
俺の言葉に、ヴァン氏はゆっくりと………どこかにこやかに頷いて、
『では、こちらへどうぞ』
と、奥の戸を開けてくれた。



様々な骨董、美術品を集めて展示しているのが博物館の在り方である。それはここでも同様だ。
ただ、それは在り方と言う点のみだ。
本、絵画、写真など。それも伝承、伝説、神話の物ばかりを集めている。そんな博物館はそうそうお目にかかれるもんでもないだろう。
『この場所は《おとぎ博物館》と言いましてね、嘗ては子供におとぎ話を聞かせようと、あるいは聞かせるための物語を覚えようと親子連れやお腹を膨らました奥さま方がよく訪れたものですよ』
ヴァンさんは昔を懐かしむ声でそう俺に話してくれた。幽かに漂う埃の香り、閉めきった部屋独特の臭いが、薄いとはいえ辺りに漂っている。
『………今では、少しみなさまの足が遠のかれてしまいましたが………』
やはりな。民間伝承が子供に語られなくなってきているのか。伝統離れ、それは雪と共に暮らすこの町でも例外では無いらしい。
『…………と、すみませんね、何分………この年になると昔のことを思い出す事が多くなってしまって………つい語ってしまうのですよ』
「いえいえ、別に構いませんよ」
年寄りは、大概昔の話をするもんだ。俺も祖父祖母と共に暮らしていたからその手の話には慣れている。
ヴァン氏は、ほっとしたような………少し寂しげな笑みが幽かに浮かんだ気がしたが………表情をして、


『さて、ではどの物語から始めましょうか?』

【BACK】【目次】【NEXT】【TOP】