Last Art





夕暮れ。
紫雲立ち上る山蔭を、私――東雲敬具――は、アルミ合金製の手摺に腕を乗せ、顔を腕に埋めながら眺めていた。
光がフェードアウトしていく時間。視界を下に下ろすと、都会ほどではないがぽつりぽつりと白色燈の明かりが、科学文明の存在を主張している。
その周りには、斜陽によって色を徐々に無くしていく樹々、葉々、鳥々、等々。
自然と文明が巧い具合いに場所を分け合った好例となる場所に、私の今いる建物は建っている。

先日、この部屋で一人の老人がその天寿を全うした。
覇備羅剛雪。
画家であった彼の作品は、ある時を境に世に出なくなったと言う。その時までの評価は、『フォトグラファー』。余りに正確な風景画を書いていたことが、こう呼ばれた原因である。
無論、非難的な意味も含まれている。いや、寧ろこちらの方が大半だ。感情の気配が全く感じられない、作家特有の個性がない。正確な写実は写真家にでもまかせていれば良い、と言った考えがその根底にはある。
以上の言葉を受けながらも、剛雪氏は言い続けたという。
『私の描きたいものは、全てこの中に込めた。これ以上何を入れようというのかね?』

ところが、その時以降の評価はというと、
『早熟すぎた天才』『創造主』
何とも極端だとは思うが、現に批評家が書いたことなのだから仕方ない。言われる所以は二つ。
一つは、剛雪氏が36歳の時、利腕が交通事故で壊れてしまったこと。手術によって治療したとはいえ、以前のように動かすことは出来なくなった。
もう一つは、彼の絵を見た高名な画家――明治正大――が、こう言ったことに始まる。
『これが写真なものかね。これは何処をどう見ても絵だ』
その後、批評家達は掌を真逆に返したように氏の作品を誉め始めた。まるでそれは、自らの見識の無さを強引に覆い隠す様に、あるいは自らの体面をコンクリ付けして保つかのように。色彩の使い方が見事だ。表現が見事だ。そして最後にはこう言うのだ。
『このような作品がもう創られなくなるのは残念だ』
しかし、その称賛のポイントは、剛雪氏の求めるものとは果てしなく遠かった。批評家達は結局、自身の恥を油性マジックで上塗りしてしまったのだ。見られなければ気付かれないが、気付かれたら消えることはない恥を。

手摺から体を離し、私は老人のアトリエへと戻った。電気は止まっているため、明かりは斜陽のみだ。仄かに暗いが、見えない明るさではない。それに、懐中電灯で作品を照らして見るなど、無粋極まり無い行為だろう。
乾いたパレット、水入れ、絵の具、木製のスタンド、スケッチブック――その他用具の名前も使い道も分からないものが部屋にいくつも転がっている。
フローリングの床や所々染みのついた白い壁には絵の具特有の香りが染み付いており、それがこの部屋の独特な雰囲気を作り出している。
幾つも立つ木製スタンドには、それぞれに氏の遺作が飾られていた。氏の遺言で置かれたものらしく、位置、角度、向きまで指定されて置かれている、とは家族の弁。生前から、ディーラーが絵を買うのを嫌がっていた節はあった。
生前の氏の、有名な言葉がある。
『絵にはそれぞれ、合う風がある。お宅の風と、『私』の絵じゃ合わんよ』
このように言っては、ディーラーは愚か、美術館からの誘いすら、断ることが多かったという。

このような事情を頭に入れて、絵を鑑賞してみると、なるほど氏の言うことも正当であるように思えてくる。
無数の絵は、まるで覗き窓のように外の世界を映し出し、そのままその世界へと移動できるのではないか、そう感じさせるほどだった。
その辺りが、『フォトグラファー』と言われる所以だろうが、私にはどうにも、唯の『フォト』で表すわけにはいかないように思えてしまう。
その作品は、生きている。
切り取ったものは、時間ではなく空間。
氏の絵の中では、鳥は高らかに鳴き声をあげ、蝶は左右上下に舞い、兎は空を見て跳ね―――。
当に、『創造主』と賞されるに足る作品達であった。

一体剛雪氏は何を考えながらこのような絵を描いたのだろう。私はその疑問から、老人を無くしたこの部屋を訪れたし、飾られた絵も鑑賞した。しかし、それだけでは答えが得られなかった。

何かが、足りないのだ。


氏への疑問を解くパズルの、最後の一欠片は、彼が描いた、最後の絵の中。


彼の作品には珍しい、写実ではない画だ。緑と橙を中心に、その周辺の濃淡色を用いた世界。まるで幾つもの草が夕暮れの太陽にそよいでいるかのよう。
草が取り囲む中心部には、胎児のように体を丸めた子供が、手に時計を握り締めている。その時計には、次のような文字が描かれていた。

『My Latest Birth』

そしてこの絵に付けられたタイトル、それは。

――最愛の時々――


外を見ると、絵の橙と同じ明度と彩度を持った斜陽が、全てを絵画と同じ色に染めていた。
――一体この老人は、何度この夕日を眺めたのだろう。


彼は、自分の、人間と言う種の一生が儚い事、時は無情にも過ぎていくことを知り、肌で感じ、そして恐れた。いつしか、自分の存在が完全なる『無』と化してしまうかもしれないことを。
故に彼は絵を描いたのだ。この時、この空間、この一瞬を切り取り、永遠のものにしようと。
そして、切り取った時、切り取った空間、切り取った一瞬の中で、時を隔絶させ、空間を隔絶させ、永遠となろうと。


511号室のアトリエで―――。


『別に名にも求めてはいない。
ただ、その瞬間を繋ぎ止めていたかった。それだけだ』

氏の最後のインタビューで語った言葉を思い出しながら、私は無性にこの瞬間を、何らかの方法で留めておきたくなった。
絵心など全く無いと言うのに。

夕暮れに代わって闇が空を支配する世界、私は愛車に乗って家路を急いだ。
その途中の薄暗いトンネル、丸い明かりがこちらに向かっては過ぎ、向かっては過ぎていく。
その様子に、どこか――剛雪氏の絵を見たときのような――ノスタルジィを覚えながら、私は車のアクセルを踏み込んだ。

いつかまた、あの部屋で時を過ごしたい、そう願いながら。



fin.



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