Remenbrances





私の祖父が植物状態になったのは、中学3年の八月のことだった。
受験戦争のための武器造りに勤む人々と肩を並べ、ペンを動かす日々。お腹を壊してしまいそうなほどに冷やされた室内と、全身を火傷してしまいそうな炎天下の室外を行ったり来たりしていた、そんな日常世界に迷い込んだイレギュラー。それがこの知らせだった。
祖父の体調が悪いことは知ってはいたが、まさかこのタイミングで発症するとは。もしこれが去年なら、その知らせの翌翌日にでも飛んで行けたのかもしれないが、生憎と塾の講座日程はそこまでフレキシブルには構成されている筈もない。
カリカリとペンを進めながら、私は傾いてきた日を眺めた。
あぁ。
黄昏時になる寸前の薄い空は、どうしてこんなにも人を憂鬱にさせるのだろう。
太陽の中途半端な笑顔が、憎たらしい。

塾の夏期講習期間が終ったその日の夜から、父の車に揺られて八時間。このところ高気圧の勢力拡大が続いているらしく、ようやく着いた田舎の空は、雲一つ無い青空。快晴以外に何とも表現できないような快晴だった。
私は荷物を実家に降ろすのを手伝い、祖母との挨拶もそこそこに、自室に充てられた部屋で参考書を開いた。
窓から差す日の光はあまりに明るすぎて、ページがよく見えなかった。仕方がないのでカーテンで光量を調節して、字面を眺める事にした。
頭に入るわけ無いのに。

父はロングドライブの疲れで寝ている。起きるのは昼過ぎになりそうだ。携帯などいっぱしの中学生が持つようなものではない時代だった頃なので、暇潰しはノートの落書き。
クーラー使用禁止令が自室には発令されているので、部屋の中は蒸し蒸ししている。
窓を開けようにも凪だ。
集中できる人も世間には居るのだろうが、生憎と私はその集合には入っていない。
仕方がないので、クーラーのかかっている居間の空気が漏れている、食堂にて勉強を再開することにした。
日差しも少なく、空気もそこそこましなレベルなので、最初からここでやればよかったと、幽かに後悔した。

昼過ぎ、父親が起きてきた頃に、近くのパン屋のサンドイッチとイカ焼き(notイカの姿焼き)を食べて、病院へ向かった。
曇る兆しの見えない空は、私たちの世界とは関係のないところを照らしているのだろう。そうでなければ、あそこまで深い青色はしていない筈だ。
煤こけた薄青が、今の私達にはお似合いだ。
お似合いなのに。

薬用アルコールで手を殺菌消毒して、祖父のいる部屋に入る。
果たして祖父は眠っていた。
心電図の動きが、祖父の生命の証拠を残してはいるが、果たしてそれは真に生命と言えるのか。
口には呼吸補助のマスク。
股間には尿用のチューブ。
そして―――腕や脚等、体の様々な場所に点滴用のチューブ。
繋がれた先には、まるでヤクルトを濃縮したような、人の肌よりも肌色が濃い液体。
こんな栄養の高いものを食べて、それで動かないものだから、真ん丸ちゃんになっちゃって。
祖母は言った。
私はただ、祖父の姿を見ていただけだ。
家で笑っていた祖父とは、違うものとして。
太陽はビルの間から幽かに光を投げ掛けていたけれど、色のない世界。全てが灰色の世界。
味気などあるわけがない。

祖父の部屋を出た後、リノリウムの廊下を一歩一歩、足元を確かめながら歩いて、私は出口と書かれたドアを開けた。
病院の外側の壁も白く――近くの道路からの排ガス等で汚れて灰色になってはいたが――、影にならない所は一層白く輝いていた。
……何故か腹立たしかった。
白い壁のその白さに対して、何故か腹立たしかった。
――いや、違う。
腹立たしいのは、祖父を祖父として見れなかった私だ。
あの姿で、まだ生きていると言えるのか。
あれは『生かされている』と言うのではないのか。
その疑問が、私から祖父への目線を奪い取ってしまったこと。
何て冷たいんだろう。
肉親なのに。

暫くして、私は父に呼び出され、車に家族と乗り込んだ。
空は、色を薄めながらも雲一つ無い晴れで、太陽が誇らしげに笑いながら、地上の生物に恩恵と威圧を与え続けている。
私たちを痛めつけるように照らす太陽が、今は憎らしかった。

帰ってきた後、私は近くの河川敷に一人、散歩に出かけた。
時は夕暮れ。太陽は力を弱め、巨大な赤信号と化しつつ、川の端にその姿を沈めようとしていた。
相変わらず、雲一つもない無邪気な空の下、私は河川敷特有の強風が吹き荒れる中、考えていた。

私は、何を人として捉えていたのだろう。
人と、生物と、それ以外の差は、一体何なのだろう、と。

どこまで人は、他者に対して冷たくなれる?

私達が祖母の居る家を出、自宅に帰ってから三ヶ月後の秋だった。

祖父が、亡くなったのは。

例によって期末考査の近付き、周りの生徒は遊びつつも、永遠に慣れないであろう勉強にいそしんでいる時期であった。
私はテスト用ノートを鞄の中に入れ、新幹線で実家に向かった。
見る時間など、殆んど無いだろうに。
見ても頭になど、入らないだろうに。

お棺に入った祖父の体は、病院で見たときよりも生き生きしているように見えた。チューブという人工物が外された事が大きいだろう。
ただし、白い死装束、色が抜けた肌、そして、部屋に広がる静寂。それらが、祖父が最早この世にはいない事の証明であった。

私は、その祖父の死体が目に入った瞬間、

涙を、流してしまった。

あぁ、何て、
私は身勝手なのだろう。
祖父のことなど、
言われるまで考えもしていなかったのに。
祖父のことなど、
頭の中からほぼ消えていたというのに。
祖父の死体を目の前にしたら、
思わず涙が出てしまう。

私は、'祖父の'死に泣いたのだろうか?
それとも祖父の'死'に泣いたのだろうか?
それすら分からなかった。

何の涙なのだろう。
何に悲しんでいるのだろう。
祖父の死?
それとも状況に流されただけ?
人が死んだら泣くべき、人の死は悲しいものと言う固定観念に支配された環境の強制?

いずれにせよ私は、

自己中で身勝手だ。


葬儀は、歩いて行けるほど近くの会館で行われた。
読経を終えた後に祖父の姿を見て、思わずまた泣いてしまったのも、状況がそうさせたのか、はたまたこれが自分の本心なのか、自分では分からないままに、とめどなく流れ出す嗚咽をどうすることも出来ないでいた。

別れのクラクションが、遠くになり響く音は、嗚咽によって消される事なく、私の中に響いた。

とこしえの、別れ。

…………祖父の死から何年か経ったけれど、私は今でもあの瞬間瞬間を覚えている。
けれど、まだ分からない。



私はあの時、何に泣いていたのだろう?

久々に曇った空を見上げながら、私はぼんやりと考えていた。
私の横で、クラクションを盛大に鳴らしながら、車が猛スピードで通り過ぎていった。



fin.



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