「………いいんだよね?」
私は目の前で無防備な体をさらけ出しているドリーに聞いた。
最後の問い。これを越えてしまえばもう、戻ることなど出来はしないのだ。
それでも彼女は、笑顔で言うのだ。
「いいんだよ。リック。それが私の望みなんだから」
その笑顔は、心からのそれのようであり、でもどこか諦めきっているかのような笑顔だった。

きっと、ドリーは分かっているのだ。私達が出会った時から、もう後戻りなんて出来ない、っていう事実に。
それでも私は引き返させようとした。私のような存在を、増やしちゃ駄目だから。
でも……ドリーは……自分で選んだ。そもそも私が提示する選択肢すら、彼女には無かったのだ。
選ぶ道は、もう決まっていた。

私は体の箍を外した。すぐに肌の感触が変わっていく。人間のそれから、人外のそれへと。
ドリーは驚きはしない。当たり前だろう。何度も見ている光景に、一々驚いてたら身が持たないだろうし。
ぷるぷるとした粘体――いわゆるスライム状になった私の体をその目で確認すると、ドリーはそのまま私に倒れ込んできた。
抱き枕にするように、私の体をぎゅっと抱き締める彼女。彼女の形にへこむ私へと、彼女の暖かな体温がじわじわと伝わっていく。
「……リックぅ……」
唐突に、私の胸元でドリーが呟いた。まるで親に甘える子猫のように、私の胸に頬を擦り寄せながら。
「リックぅ……はやくぅ……はやくぅ……っ」
我儘に聞こえるかもしれない、ドリーの声。でも私には、その声が彼女の心からの叫びのように聞こえたんだ。
誰も信用できない、そんな状況にずっと置かれて、それでも生きるために笑顔を覚えて、だけどそれしか覚えられなくて……。

「生きていればいつかは良いことがある、なんて強い人の自己中な考えだよ」
いつか、彼女が私に言った言葉だ。
「例えば、突然自分の体重ほどもある大きな重石を持たされて、それに十年近くずっと耐えてきた人に、あと十年耐えろ、みたいなことを言ったら、ふざけるな、って思うよね?次に決まって言うことは、自分も同じことをしたんだ、っていう過去話。
自分がそうだから、そうだったから、相手も出来る筈、だからやれ。そう言っていることと変わらないんだよ?頑張れっていう言葉は、必ず裏に自分ではどうしようもないとか、自分は助けないよ〜何もしないよ〜とか、その辺りのニュアンスが必ず含まれているの。応援している振りをして、実は安堵しているんだよ。自分はそうじゃなくて良かった、ってね。可哀想なんて、自分を良く見せたい人達の常套句じゃん。分かる気もないのに分かったように言って、動こうともしないのに。私が動いても何もしてくれなかったのに」
私は違う、と言いたかった。何とか、ドリーに違うんだ、って言いたかった。けど――この時点で、ドリーはもう取り返しのつかない場所にいたんだ。
「リックは優しいよね。初めてだよ。こんなに優しくしてくれる子に出会ったのは」
優しさを与えられたことが無かった彼女は、人間に絶望し、社会に絶望し、自分自身に絶望していた。疲れきり渇れきった心に、優しさの一滴は届かない。ただ、抜け落ちていくだけだ。
だからこそ、私の正体がスライムだって知ったときも、大して驚きもしなかったのだ。
……その代わり、自嘲めいた笑みを浮かべて、こう呟いていたけど。

「やっぱり私、人間には優しくされないみたいね……」

「んっ……んんっ……」
私の体が、少しずつ彼女を飲み込んでいく。気道は確保しているけど、それも肺が置き換わったら、一気に塞ぐ事になる。
腕が、胸が、臍が、太股が、脚が、徐々に私の中に沈み込んでいく。彼女はもちろん抵抗しない。顔を飲み込んだとき涙の幾粒かが私の中に吸収された。彼女の心が流した涙だ。
ドリーの口は、パクパクと幽かに動きながら、肺に溜まった空気を吐き出している。肺の変化が始まったのだ。彼女の皮膚から浸透していく私の体は、彼女の肺と心臓、血管を変化させる。こうする事で、スライムは獲物を体内で『飼う』事が出来るのだ。
でも、私はドリーを『飼う』つもりはない。ドリーの思うままに――私なりの方法でしてあげられたら、と思うのだ。
変化が終わったことを本能的に感じとると、私は体の中にいるドリーに向けて、一本の管を伸ばし始めた。
「――?」
不思議そうにその管を見つめるドリー。その視線が、次の瞬間には驚きへと変わった。
ずぽんっ!
「!!!!!!!!」
細長い管は、彼女の臍に先端が触れると、そのまま何の抵抗もなく彼女の体内に入り込んでしまった。これは私の体が、ゆっくりとドリーがスライムを受け入れやすい体にしていたからで、別に異常なことでは無いのだ。
さらに私は、臍に入り込んだスライムを、じわりじわりと彼女の体に癒着させていく……皮膚の中、スライムと化した血管と融合させて、そこから少しずつ、根っこを伸ばしていくのだ。
とくんっ……とくんっ……
「――、――、――」
臍に繋いだ管が、膨らんでは収縮する事を繰り返して、私の体液を彼女の中に流し込んでいく。管の膨らみが彼女の中に消えていく度に、彼女の体から力が抜けていき、とても安らいだ表情を浮かべるようになってきた。
ドリーの口が、何かを求めるようにぱくぱくと動く。まるで何かを口に加えたがっているかのようだ。目を瞑ったままの彼女は、まるで寝言を呟くかのように、口を動かしていた。
私は、彼女の口の辺りにスライムを集めて、乳房のようなものを体の中に作ると、そのまま彼女の口に押し付けた。
「―――」
乳を求める赤子のように、ドリーは私の'乳房'に吸い付き始めた。それに合わせるように、私は'乳房'の先端から体液をゆっくりと出していく。今ドリーの体は、臍の緒と乳、この二つから流し込まれる体液によって変化を始めていた。
「――」
彼女の指先から、少しずつ彼女の姿が見えなくなっていく。私の体と同化していくのだ。
臍の緒から伸び続ける私の根っこは、彼女に違和感を与えないで少しずつ広がっていく。首筋の神経から脳に入り込むと、彼女の姿形の情報と微かな記憶を引き出し、副交感神経を刺激した。
大量の鎮静物質を分泌させて、彼女の意識を沈めていくと、私は一気に'同化'を推し進めた。同時に、一個の'卵'を生成する。
ドリーの腕が、脚がスライムに溶けていく。その情報を、私は'卵'の中に書き込んでいく。その度に、卵は少しずつ巨大化していった。
胸が――心臓が溶けて、首が溶けて――頭と胴体が分かれてしまった。それでも、彼女は痛みを感じることがなくて、ただ安らかな笑顔で、私の'乳房'に吸い付いている。
その姿に微笑みながら――私は彼女の姿を消した。

ドリーのほぼ全てを詰め込んだ'卵'は、私のお腹の中で次々に分裂してはくっついていき――やがて胎児の姿になった。
お腹の中で泣き出した彼女に私は、体の中に作り出した唇で口付けをすると、耳元で子守唄を歌ってあげた。
段々と表情がとろんとしてきた彼女の耳元で、私の'唇'は、静かな声で囁いた。

「ドリー、私は貴女を……貴女を愛で満たしてあげるからね……」




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