青い空、白い雲は殆んど無い爽やかな空の下、男は彼女と一緒に、やや遠くにある高原へとハイキングに出かけていた。
「空気が美味しいところね〜」
「そうだな。あぁ、ここで寝ていると、都会の喧騒を忘れそうだぜ」
何とも仲睦まじいカップルである。男は地図を見て、偶然この高原を発見したのである。不思議なことに、辺りに彼等の他は誰も人がおらず、男は内心この二人きりという状況を喜んでいた。
一方、誘われた当初は渋々ついてきた女も、大自然の風景にまんざらでもない様子だ。

だが、彼等は知らなかった。何故この高原に人一人として見当たらないのか、その理由を………。

暫く風景と空気を楽しんだ後、辺りを散策し始めた二人は、ふと、何処からか甘い香りがする事に気付いた。
「ねぇねぇ、この香り――素敵じゃない?」
「そうか?確かに甘いけど――っておい待て!」
男の制止を聞かずに走り出す女。ある程度走ると大声で、「いいじゃん誰もいないんだし、危なくないし〜!」と男に叫び、臭いの方角へと走っていく。
「お、おいっ!ちょ待てよっ!」
忘年会で似ていると評判だったホ〇の物真似風に叫びながら、男もその影を急いで追って行った。
しばらくすると――。
「――ねぇっ!これ凄くない!?」
「……はぁっ……はぁっ……な、何だよ………」
慣れない全力疾走でバテ気味の彼氏の様子など気にならないように、過剰に無邪気にはしゃぐ彼女。その指差す方向には、人が三人ほどは入りそうな大きさを誇る巨大な花だった。そこから立ち上る甘い香りは、近付くほどにより強烈さを増し、脳髄まで全てにその存在を焼き付けていった。
「ねぇ……はぁ………いいよぉ………いいよぉ………」
女の様子が、次第に変化していく。彼氏のことなど目に入らないように、ふらふらと花に近付くと、花の中に顔を突っ込んで、その香りをひたすらに嗅いでいた。
「お………おい………どうした………あれ………ああ………」
一方、男の方はそんな女を不審に思っていたが、徐々に魔香に脳が侵食されていった。

女と同じように、ふらり、ふらりと花に近付いていく男。そして、
「……あぁ……あはぁ………いい香りだぁ……」
女と一緒に花の中に顔を突っ込んでいった。仲むつまじそうに花にたかる光景は、端から見たら巨大なハチドリのようにも見えなくはないかもしれない。
だが――。
突然、女も男の体も二回大きく痙攣すると、その動きを止めた。
声も消え、高原にはただ静寂と――近くの森からの葉擦れの音が響くのみ。

「うふふ………」

静寂を打ち消したのは、心底楽しそうな含み笑いを漏らす女の声と、鋭い羽音。それも一つではない。最低でも二つ。
「「「うふふ………」」」
ヴォンッ!
羽音が一際激しく森を揺らした瞬間、そこにあるのは、甘い香りを巻き散らす巨大な花だけであった…………。

「…………ん………?」
男達が目を醒ました時、彼等は自らの置かれた状況に混乱した。
「なぁっ!うゎぁぁっ!」
「ひぃっ!きゃああっ!」
二人の服は全て剥ぎ取られ、体は蜜の様なもので大の字に固定されていた。
六角形が目立つ、栗色とも黄土色とも取れる内的空間。所々貝殻のように七色に光る壁。例え立ち上がったとしても足が地に届かない位置に、二人は磔にされていたのだ。
体に張り付いた蜜は、男は顔と逸物を、女は顔と秘部を除いてまんべんなく塗りたくられていた。それらは全て固化し、身動き一つとれないようにされていた。
そして、蜜にくるまれた二人を眺める――無数の目。その持ち主を見るや、二人は更に混乱することとなる。

それは若干、人間のように見えた。だが、確実に人間ではなかった。
髪の中からアホ毛のように突き出た、先端がやや膨らんだ触覚。
その前方には、蜂の複眼を思わせるようなもの。
首筋と手首、足首は綿毛のようなもので覆われ、手足の指は人間のそれよりも長く、鋭い。
巨大な胸からは、常に黄金色の液体が、体のラインに沿って大河を構築している。
そして、大きく膨らんだ尻の中心部、尾底骨からは黄色と黒のストライプに彩られ、柿の実状に膨らんだ蜂の腹部が生えており、先端は何かの液体で濡れた鋭い針が生えていた。

まるで蜂と人間を――しかも女だけ融合させたような生物という、人間の理解の範疇を越えた存在を前に、人間二人の脳は悲鳴をあげていた。
「―――!」
「――キャアアアアアアアッ!」
男の方は声にならない叫びをあげ、女は喉を震わせ絶叫した。だが、危機を知らせるための叫びも、聞き留める同胞など存在しない。ここは、蜂娘達の巣の最奥部、育児室兼食糧貯蔵庫なのだ。

「うふふ………」
「美味しそうなアソコ………」
「ねぇ………食べちゃっていい?」
「駄目よ。女王様の決断までは」
「そうよね。そう言えばそんな時期よね」
「うふふ………楽しみねぇ」
自分達と同じ言語を話してはいるが、内容は明らかに彼等の常識とはかけ離れていた。

女王様と聞く限り、この集団は蜂の習性通り女王中心社会のようだ。そして、そうである以上――この蜂達に対しての説得は不可能――!

「――今、女王様から通信が入ったわ」
蜂の中でも、無骨な装飾で身を飾り、ロングスピアを手にした蜂――恐らく女王親衛隊なのだろう――がそう告げた瞬間、蜂達の目の色が、確実に変わった。明らかな喜びと、肉食動物のそれに近い、何かを期待するような目。
「それって何て?」
「早く教えてよ!」
「ねぇ………あたし、こんなに濡れちゃった」
「発情させようよ!」
思い思いの言葉を発する他の蜂娘達。親衛隊はそれらの声を切り裂くように、高らかに宣言した。

「貴方達は男を'世話'しなさい!私は'女'を女王の元へ連れていきます!」

連れてこられた男達は、目の前で行われている宣言を、全く理解できなかった。脳が、理解するのを止めてしまっているのだ。
「………これは悪い夢だこれは悪い夢だ………」
「………醒めてよ、お願いだから、早くっ………」
無理矢理そう思い込むことで辛うじて精神を保とうとしているのである。意識を取り戻したら、自らの常識が全く通用しない世界にいたのだ。今彼等の精神は、常識を欲していた。
だが――現実に与えられたのは――!


「お願いだから、おとなしくしてて♪」


ぶすぅぅっ!どくんっ!どくっ!

「「がはぁ、ぁ、ぁ…………」」
蜂娘は、臍にねじ込むように、二人を針で刺した。同時に、蜂の腹部を収縮させ、中に詰まった液体を勢い良く流し込む!
速効性の毒液で、体内に吸収されると忽ちに全身を巡り、痛覚を麻痺させ、同時に生命維持に必要な器官以外に繋がる神経を死滅させる強力なものだ。
だが――自分の体を何かで貫かれると言うショックな場面に遭遇した二人の精神は、痛みが収まった瞬間に意識を暗転させた。
腹部が二回り小さくなり、くたくたになった蜂娘二匹は、そのまま親衛隊の元に倒れ込む。
「――ご苦労。貴女達は女王様が'蜜風呂'を部屋に用意しているわ」
殆んど元気のない二匹を抱え込み、何処にか飛立った親衛隊。やがて戻ってくると、そこにはぐったりと張り付けられた人間二人と、張り付けている蜜に群がる蜂娘達だった。
「きゃうっ!」
「はぁぁぁぁんっ………」
「甘ぁいわぁ………」
「やっぱり前菜は蜜よねぇ………」
「メインディッシュが待ち遠しいのにぃ!」
きゃっきゃきゃっきゃ、わらわらわらわら。
「…………」
ただただ一心不乱に蜜を舐め続ける蜂娘達。それを見つめながら、親衛隊は頭を抱えながら、呆れたように叫んだ。
「溶けるわけ無いでしょうが!少し待ちなさい。すぐ外すから!」
渋々と、一匹、また一匹と人間から離れていく蜂娘達。やがて、全員離れたのを確認すると、親衛隊は槍を構え――!
「はっ!」
丁度二人の中間部分に固まる蜜を一気に貫いた。と同時に女の方へと近付く。次の瞬間。

男を、女を、二人を壁に張り付けていた部分の蜜が一気に剥がれた!そのまま、蜜をまとわりつかせて、地面へと落ちていく二人。だが女の方は親衛隊に抱えられ、何処へと連れ去られていった。一方男の方は無数の蜂娘に抱き締められ、優しく地面へと下ろされた………。

1.女がどうなったか
2.男がどうなったか



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