「……お疲れ、カッシェ」
日がそろそろ暮れかける頃に帰宅して、何処かげんなりした表情を浮かべる妻に労いの言葉をかけつつ、私は帰宅時間を逆算しつつ作ったシチューを皿によそう。
疲労は外見に著しく影響を与える。褐色の肌や漆黒の長髪も何処か艶を無くし、髪の上から突き出してピンと立った二つの、髪と同じ色をした三角形の耳が心なしか垂れている。股間部を含む前面を開いた服に、シースルーで幅広のズボン、そしてそれに黄金のバックルで繋がっているようにも見える、貞操帯のような黒パンツという扇情的な格好にも関わらず、色気も何もかも彼女から抜き取られてしまったかのように何も感じなかった。
「……全く、あのどら猫は……何が『私好みの男を探してきますにゃっ!(ビシッ)』だっ!職務放棄も甚だしいわ!」
どうやら、彼女の敬愛するファラオの守護を任されているスフィンクスが、警護をほっぽらかしてボーイハンティングに出掛けたのを説教していたらしい。彼女の舌に合うかは知らないが、疲労回復効果のある生姜と玉葱のスープの方が良かっただろうか。
椅子に腰かけつつ、食事の前の祈り(ファラオ式)を一緒に済ませると、犬のような何処かふかふかした毛を持つ手でパンを千切り、ホワイトシチューに浸け、そのまま頬張る彼女。その姿勢の礼儀良さは相変わらずだ。例えかなり苛立っていても、生来のものは変わらないだろう。その辺り、件のスフィンクスとは天地ほどに違う。
「しかもファラオ様もファラオ様だ。何故あの駄猫の愚行を御許しになるのだ。……現代に無事お戻りになられて、素敵な殿方を得られて、その幸せを臣下である我らに分け与えんとするその心は、誠に尊く存ずるのだが……」
王への不満と、その心中を知ろうとする葛藤。滅多に動じないと言われる彼女だが、このように時折見せる悩み顔は非常に可愛いと思う。だがそれを見られるのは彼女のファラオと、夫である私の二人だけだろう。どうも彼女は、自らを過剰に律しているきらいがある。それが元来生まれついた性格であるが故どうしようもないが、三つ子の魂百までとは言うものの、このままストレスで倒れないだろうか心配ではある。
尤も、自分がほぼ完璧に'管理'されている身ではある以上、そのような思考は彼女への侮辱とも取られかねないだろうが。
「イシュボーさんは元気かな?」
「あぁ、婿殿ならファラオ様共々壮健でいらしたぞ。包帯が足りないそうだから、明後日の空白地帯に買いに行くことにする。いつもの店にな」
スケジュール管理は基本、彼女が握っている。無論自分も彼女と同じような手帳用羊皮紙を持ってはいるが、彼女の書き込みは……半端がない。時折秒単位まで書き込まれるそれは、彼女が日頃のリズムを作るために必須な道具だ。
ただ、交わる時間まで時に書かれるのは勘弁して欲しい。交わりが剰りに無機質過ぎるように感じてしまうのだがなぁ……。
話しながらも、お互いに食事の手は止まらない。スプーンでシチューを飲み、フォークで野菜を食べる。その手順も彼女にみっちり仕込まれたお陰で、領主のパーティに呼ばれたときも恥を晒すことはない。すっかり家でも習慣になってしまっている辺り……完全に自分は管理されているなぁ、と内心苦笑してしまう。
そんな私の様子に彼女は確実に気付いてはいるが、特に何も言うことはない。言っても仕方がないところではあるので、敢えて言ってはいないようだ。
「……使用予算はこんなものか。貰った資金では多すぎるくらいだな」
確かに多い。残る分を手間賃にするにしろ多い。昔は確かにこれくらい必要だっただろうが、現在は生産技術も性質も上がっている。それはファラオ様も理解している筈……だろうけれど。
「……前から思ったんだけど、ファラオ様って……」
「……言ってやるな、ネムビー。公共工事の類いや、国家予算の配分、臣下配下への給金の配分及び税設定ならば私より遥かに有用なのだ」
あぁ、確かに王様だ。政策には使える分量が分かるけれど一般の物価に疎い。どこぞとは違って、それによる民のクレームは無いようだけどね。
まぁ、包帯一個の値段など知っても、流石にどうしようもないだろう。包帯製作者でもあるまいし。
ちなみに、それだけの価額の資金を与えても、まだ資金に余裕はあるらしい。領主の資金管理術、見事すぎる。
「成る程ね……と」
調理時を除いた部分でほとんどゴミを出すことなく完食した後、私は皿洗いを、カッシェは今日の業務をスクロールに纏め、風呂を整えに行く。その後私が先に入り、彼女はその次。そして――。

取り決めだらけで窮屈か?と言われればそうかもしれない。けど人間は大概がたくさんのルールの中で生きているようなものだ。今更増えたところで何ら問題はない。
それに、彼女が自分を気にかけてくれると考えれば、私にとってこれ程嬉しい事は早々無い。何故ならそれだけ、私も彼女を気にかけることが出来るからだ。

最後の皿を洗い終え、流しを綺麗にしたところで、何か鈍い音と共に、彼女が何かに説教する声が聞こえた。
多分件のスフィンクスが風呂に入っていたのだろう。そんな日常に苦笑しながら、私は私と彼女の分の替え着を手に、風呂場へと足を向けるのだった……。

――大陸南西部の砂がちの地域にひっそりと存在するオアシス国家、エヴァンズ・コ・メイル。この国は本来の名よりも、もう一つの名で呼ばれることが多い。

――奴隷の国エヴァンズ。それが二つ名である。




奴隷の子は奴隷、そのまた子も奴隷。奴隷が奴隷を作りさらに奴隷を増やす。まさにエンドレスワーク。
この大陸でも、当然の事ながら奴隷を扱う商売はある。表面上では分かりづらいが、名前を変えただけで実質は奴隷と変わらない生活を強いられて居るものも少なくはない。
奴隷と言っても、全て一つの領域に収まるものではない。当然だ。彼らは人間である。奴隷である以前に人間であるのだ。当然のごとくそこには意思という不確定要素が絡む。
ある奴隷は、自ら奴隷の鎖を身に付け、隷属する。
またある奴隷は、奴隷の鎖を引きちぎろうと躍起になる。
前者だろうが後者だろうが、謗り文句が獣である点は変わらない。だが、違う。飼い犬と野犬では、内に秘めた炎の量が明らかに違う。
そして――私は、そのような有り余る炎をもて余す存在だった。



「奴隷1998号が逃亡した!連座であるものは……なに!連座も全員逃亡しただと!?馬鹿な!」
とある国の奴隷制度は、互いに互いを監視させるために連座制度を取り入れている。ジパングでも五人組という制度があったと聞くが、まさにその通りのもので、奴隷の中で数人の組を作り、誰かが逃亡や反逆を企てた際、その者を密告し捕らえれば、隷属期の削減。逆に荷担すれば死刑――それが連帯責任となってのし掛かるものだ。
私は一方的で、見向きもされないこの管理支配制度に飽いていた。従うのが絶対だとタカをくくる支配者階級の血管を引きちぎらせてやろう。使い古される常識など、全く意味がないのだと、その腐敗が極みに来たその頭に叩き付けてやろう。肉体を縛れど、心までは縛れないのだ、と――。
当然の事ながらまずは一人で出来ることを徹底した。監視の名前、時間、強制労働の分量、施設の見取図……あらゆる情報を目にし、耳にし、自らに内在化させた。悟られないような質問で連座制度を共にする相手の思考や態度、性格を調べ、同時に計画を明かす頃合いを練った。
ロクに脱獄者などここ数十年居ないからだろうか、監視の装備品は最低限殺傷できればいいものになっている。数が敵に回るなど考えていないのか、見回りまで最適化されてしまっている。結構な数の奴隷が居る筈だが、恐らく皆が牙を抜かれ爪をもがれた獣と考えられていたのだろうか。
――面白い。牙は何れ生え代わるものだとその身に刻んでやろうではないか。
協力者が出てから、私の計画は順調に進んでいく。手を奪われた状態での、踊りに模した格闘技を音楽と共に修得し、同時に情報収集にも精を出した。確実な成功など無いが、実現可能段階まで漕ぎ着けた私は――。

爆発音。振り返るまでもない。追っては確実に仕留められた。
「――七時に二発、五時に三発……ってところかい?」
「ああ、ネムビー。やれやれ、これでようやくこの辛気臭い'オアシス'から去らばだぜ。サウザンドブラッド様々だなぁ。なぁハワード」
「んだ、違いねーべ、タック。ティラー、その紙何だぁ?」
「あそこの監守が、奴隷牢の運営費を懐に入れてたって話〜」
どうやら、逃げる間にギったらしい。器用な奴だ、等と私は思ったが、口にはしない。念のため、元中央教会出身者のハワードに、魔法探知と解呪の魔法を使わせた。これでもし探知呪文が掛かっていても大丈夫だろう。
脱出後、連座の面々は幾つかのグループに別れ、軍用馬車を奪い取り乗り込んだ。追う敵に対して姿を眩ましやすい爆破と光系の呪文を用いて逃げに逃げて逃げた。砂がちの地形が幸いし、巻き上がった砂の膜が私達の姿を上手く隠してくれたようだ。
私の周りに居るのは、私を含めて四名。タック、ハワード、ティラー、そして私――ネビムだ。同一の馬車に乗り込んだ私達は、『Go West!』を合言葉に馬車での逃亡生活を続けている。各々の過去は……私から語るつもりはない。各自、自由に想像してくれて構わない。
何故西に向かうか。そもそも私達が奴隷をやっていた国が南部にあることも関係がある。奴隷の間で囁かれる伝説だ。
『大陸南部に、奴隷の国があるという。そこでは、奴隷が奴隷を止め、人間として暮らせると言う』
確証はない。だが、このままでは全員、中央教会出身のハワードに世話になることになる。流石に教会の教義に殉じる趣味はさらさらない以上、それは避けたかった。
ハワード自身も、私達をこの道に進ませるのは遠慮したいようだ。特にタックは、「あんたぁ教会に行くべきでね。奴隷と変わらんくなるよ」として、下働きの肉体労働者、しかも教義に縛られる存在となるという。人格は認められるが、果たして自由と言えるのか。
「俺が信じてぇものを信じる。そうだろ?人ってなぁそう言うもんだって聞いたぜ?」
その自由の思考は、教会のものとは相容れない。ハワードはそれを十分理解していたのだ。

先にタックが言った「サウザンドブラッド様々」と言うのは、領主連合の『ニーズヘッグ』討伐だ。御大将が魔物反対派の四代貴族の一人である以上、流石にこの国も兵を出す必要があった。国家規模がそこまで無い以上、奴隷兵士だけでは限度はある。当然、見張りとなる官吏兵士も必要だった。
そして、前線に出た兵士は、例え戦いが終わったとして、すぐにそのまま牢獄に戻れるわけではない――。運が味方し、偶々連座全員が牢に残った私達は、まんまと逃亡せしめたのである。
――尤も、これがチャンスであることは私の属する連座全員が理解していたようだが。

「……で、オアシスは見付かりそうか?」
馬車の中からの声に、私はいや、まだ分からないと返す。軍の兵糧は暫く尽きないが、だからと言ってそのままで良いわけではない。交代で馭者をやってはいるが、そろそろ馬の体力も底を尽きそうだ。
どこか街があるわけではないが、仕方ない。最悪野宿も考えねばなるまい。砂漠地帯にも魔物はいるにはいるが、此ばかしは見張り制で互いに互いを守るしかないだろう。そう心に覚悟を抱きつつ、馬車を停める場所の目星をつけようとした……その時だった。

――ん?

「……タック、望遠鏡はあるかい?前方のアレは……」
後ろでガサガサと軍用物資を漁る音が響くが、私の注意を惹くのはそれよりも、前方に見える、何処か廃墟のようにも見える建造物だった。
「……蜃気楼……にしてはやけにハッキリとしてやがるな」
窓から身を乗り出しつつ前方を眺めるタックが、やや訝しげに呟く。その間、情報を纏めるティラーと、地図及び後方を確認するハワードは無言だ。
「少なくとも、風景は揺らいでいる気配はねぇぞ、ネムビー。どうすんだ?っつっても、選択肢はそうもねぇか……」
そうも、と言うより一つしかない。精々、目指す目的の違いだけだ。
「一旦、あの建造物を目指す。日が暮れる前に着けば上々だが、もし日が暮れたら、各自時間を区切って見張りをしよう。それでいいかい?」
私のいつも通りの提案に、反論する人はいなかった。

――誰かは縛り、誰かは縛られる。
完全な自由が何にも縛られないことだとするならば、それは何とも寂しい事なのだろうな。
「……」
寝ずの番をしながら、私は遮るものの無い空を眺めながら、ぼんやりと考えていた。空にポツポツと散在する星は、まるでその場所にあることが定められたかのように動かない。
彼処まで散らばりながら一ヶ所に留まるのは、芸術好きで几帳面な神が管理しているのだろうか、とも思ってしまう。
「……」
魔物の影は見られない。だがそろそろ時間のようだ。私は馬車から出て来たハワードにバトンタッチし、今暫く眠りにつくことにした……。



「……ここ、のようだね」
建築物の影を追い掛けて馬車を走らせた結果、私達は昼過ぎ頃に無事に到着した。案外遠かったが蜃気楼ではなかったことに、一旦は安堵した。ただし……。

「……だが、遺跡たぁな……」

そう、遠目から見た立派な建築物は、恐らく古代の王朝があったであろう遺跡だった。
「……『マキオン遺跡』かな、ハワードの地図見てみたけど、地点的に合ってるのは此くらいだよ。進む先がよれてなければね」
ティラーがそう見せる地図は、成る程確かにマキオン遺跡と書いてある。時期的にはどれくらいだろうか?
探索する、と言う選択肢は私達の中に無かった……と言うよりは、直ぐには思いつかなかった。如何せん私達は解放を求めた奴隷であり、ロマンを求める研究者やトレジャーハンターとはわけが違う。
それに、この遺跡の形……。
「……多分、居るのはマミー、ワームにラージワーム、ジャイアントアント、ボーンサーバント、スフィンクス、スケルトンと……稀にラミアだべなぁ……」
ハワードが手持ちの本……いや、メモ帳か。そこから地域の風土――と言うより遺跡に存在しそうな魔物をピックアップしていく。
「……アタシ達で何とかなりそうなのはどれかしら?」
即席パーティの紅一点、ティラーが出した質問に、ハワードは現在のパーティメンバーを一通り眺め回し……メモを閉じた。
「……軍用物資使えば、ワームとスケルトン、ボーンサーバント、あと下級のマミーくらいはいけるべな。タックはぁラージワームはいけそうだぁ……が、ジャイアントアントとスフィンクスは多分無理だべ。今おら達は万全じゃねぇだ」
……確かに。殆んど眠らず今まで逃げ続けている身だ。戦闘能力も落ちてはいるだろう。タックが告げたのよりも、もっと状況は悪いかもしれない。
それに加え、探索するような道具も知識もない。何より事前情報の無い遺跡に潜り込むのは、勢いだけで脱獄をけしかけるようなものだ。無謀以外の何物でもない。
幸い、まだ旅を続けるには食料の余裕がある。私はタックと目を見合わせ、暫しこの場に留まり体を休めてから、再度出発しようと提案することを心に決めた。

……だが。

「――貴様ら、盗掘者か!」

「――!?」
突如、どこかエコー掛かった、凛とした女の声が響いた。声の主を探そうと辺りを見回す私達は、件の遺跡の中から一人の女性――いや、魔物が剣呑な雰囲気を纏って近付いて来るのをその視界に納めた。
シルエットは確かに人間だが、暗がりに同化するような黒い毛を両手全体に生やし、黒髪と繋がったように見える三角の耳を生やした人間の女性など、聞いたことがあるのならば是非ともご教授願いたい。
相手は武器を構えながらこちらに駆けてきている。一刀両断を狙っているのか……!
「皆!馬車に逃げろ!」
体力は、命があるから成り立つ概念だ。この場に留まるよりも、遺跡より退却した方が、生き延びる確率が高い。そう咄嗟に考えて行った指示だった。
言われずとも三名とも、既に馬車を目指して駆け出していた。私は後ろの魔物の状態を視線に納めながら、寸刻遅れて駆け出す。
――駆け出した瞬間、魔物が手に持つ剣の刀身が、黄土と紫を混ぜたような奇妙な光沢を放った。それを魔物は躊躇いもなく振るった、まさにその瞬間だった。

「――いはぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!」

――奇妙な声が、前から響いた。しかし、それを奇妙と思う余裕は、私は……いや、私達にはなかった。もし奇妙だと感じる暇があったとして、恐らく私達と同じ状態である以上、誰も彼女を責めなかっただろう。
「い……ひぐ……っ」
「ひんっ……ぅひゅ……っ」
「ひゃうっ!ふぅぁぁっ!ひゅいっ!ひぁぁぁぁっ!」
砂の地面に倒れ込んだ私の前で、タック、ハワード、ティラーの三名が同様に地に倒れ、悶えている。かく観察する私も、体全体が、まるで表皮と神経――それも触覚神経だけが入れ替わってしまったかのように、身に付けている服から過剰に刺激を与えられている。
上着や下着を構成する、粗目の繊維が不規則に私の皮膚をなぞり、微かに爪を立てて掻く。衣服代の着服は聞いていたが、この敏感肌になって初めて気付くとは思いもよらなかった。
非常にこそばゆい感覚が全身を覆っている。思わず身を捩るが、その行為すら逆に自らの表皮に要らない刺激を与える事になり、それがまた身を捩らせ……。

「――王家の呪いはどうだ?力を入れることも出来まい。ただ歩行する、その人体には当然となる行為だけでも絶頂に達するものだ。倒れ込んで悶えるのも無理無いだろう」
「……く……っ」
いつの間にか、私の背後には件の魔物が立ち、剣の切っ先を私に向けていた。触れるか触れないかのところで止められた剣に、私の体は過敏に反応し、まるで首筋を乾いた麻布で撫でられているかのような刺激が脳に伝えられていた。
「本来ならば神聖なるこの地を穢し、あまつさえ狗盗を働く貴様らのような盗掘者は、直ぐ様に切り伏せていたところだ。ファラオ様の残されし法の元でな」
大した法だ。犯罪者に人権は無いらしい。そもそも、私達に人権などあったためしはないのだが。精々食事と衣服と寝床を与えられたくらいか。
そんな私の内心の溜め息など知らずに、その魔物は何処か口惜しそうに呟く。
「だが、貴様らは運が良いな。今日この日この時、我らがファラオ様が遠き地より暫しこの地に帰還せしめる。つまり――直に王家の裁きが下るのだからな。
ファラオ様が御心は、この宮殿に住まう巨蟻が巣よりも深く、あの聖王家の儀式場よりも高い。貴様らにも恩情を下さるだろうさ」
「……」
どうやら盗掘者を捕まえたというのに、みすみす逃す事になるのが悔しいようだ。法の元に動くという発言から、法を曲げるファラオの行動をあまり良くは思っていないらしい。尤も、当のファラオに対しては心の底から忠誠を誓っているようだが。
規律、規範、法。この魔物はそうしたものに束縛されることを当然とする性格のようだ。世界は斯くあって然るべき、と。
この手のタイプは、一つの事象から結論までを一気に定めるという悪癖がある。ワルイコトバで言うならば『頭でっかち』、イイコトバで言うならば『頑固一徹』といったところか。
……話が通じるかは兎も角として、此だけは言っておくべきだろう。私はビクビクと震える体を何とか抑えつつ、振り絞るような声でその魔物に告げた。
「……一つ、誤解が……」
私の懸命の行為に、その魔物は感心したように私を睨み付ける。
「ほう、随分と骨がある男だ。この呪いを受けてまだ理性をもって喋る余裕があるとは。通常ならば話す余裕もなくただ喘ぐだけだぞ」
何故か説明調なのは恐らく、自分に言い聞かせているからに違いない。どうやら想定外だったようだ。まぁ、軽度ではあるようだが。
「……おほん、まぁいい。申し開きを聞こう。この王宮の何が目当てだ?その物如何によっては酌量の余地はあるぞ?」
――人の話を、聞けよ。
「……それが……誤解、だ……」
「……何?」
やや訝しげな表情の魔物に、私はありったけの抗議の意を込め、告げた。
「……私達は……盗掘者では……ない……っ!」
……理性を保っているかと思ったら、何を世迷い事を言うかとばかりに首を横に振り、魔物が私に呆れ事の一言でも漏らそうと口を開いた――その刹那。

「――ネムビー=リンキッシュ。オセラージュ国に生また奴隷の一人にして、育ちも奴隷同然。しかし現在は連座全員を引き連れて逃亡中……この立ち位置から推測するに、貴奴等は盗掘者ではないな、カッシェ」

その声が響いた瞬間、魔物――カッシェは、口を開いたまま固まっていた。まるでメデューサの瞳を見てしまった人間のようだ。或いは、逆鱗に触れたそれか。
ぎぎぎ……と、油を差し忘れたロボットのように首を横に動かすカッシェ。やがて止まった際に、生気を無くした顔で向いた方向には――一匹のミイラが、旦那を連れて立っていた。ただし――ミイラとは言っても、立っているだけで溢れ出す気品と言うか気概と言うか、取り合えず世間一般に言われているミイラとは一味違う雰囲気を纏っていた。
例えるなら覇気。目にするものを平伏させずにはいられない程の存在感。或いは極光。他者を圧倒する光を全身から放つ現人神。それが私達の前には立っていた。
「……とは言え、人の家に土足で上がり込むような礼儀知らずを盗掘者と思うのはまず仕方無かろう。よく職務を果たしてくれたな、カッシェ。後に褒美を与えよう。今この時より、我が貴奴等の裁きを受け持たん。自室に戻り、我が命を待つが良い」
何処か高慢な物言いだが、それにカッシェが恭しく頷き、何処かカチコチの動きで遺跡――王宮の中へと戻っていった。
――彼女が、この王宮の主。つまり、ファラオなのだろう。しかし、戻ってきたと言うことは、直前まで何処かに行っていた、と言うことになる。だが、一体何処へ……?
「……さて。我が夫イシュボーよ、暫し我は裁きを行うが故、王宮の我が部屋にて臣下の褒美の準備を願う。貴殿は我が命、承けてくれるか?」
私が思考している間にも、このうら若き女王は、夫である男性――イシュボー氏に頼み事を告げ、了承させた。そのまま彼が王宮に入るのを見届けると――改めて私に向き直る。
胆が据わっていない人間ならば、即座に萎縮し心を掴まれるような鋭い視線。それを私に――いや、私達全員に浴びせかけながら、彼女はそのまま、厳粛に告げた。
「……申し遅れたな。我が名はシュライ=A=トリッシュルム=ティコモセナック=エティンチェイル。嘗てのマキオン王国最後のファラオであり――汝らの先を定める者である!」
空気を震わす覇気に、知らず私は息を飲んでいた。これ程までに王と言うものは他者を圧倒するものなのか……この時、私は完全に彼女に屈服をしていた。
そんな様子を知ってか知らずか、ファラオは私を見つめる。だがその視線は、何処か知的好奇を満たさんとする学者の瞳であった。
他の三名ではなく、私に対する興味、それがありありと見てとれた。
「さて、ネムビー=リンキッシュよ。先ずは貴殿と貴殿の同胞に対する臣下の非礼を侘びよう。あのアヌビス――カッシェは、我が命に従って貴殿等を襲ったに過ぎない。些か早計のきらいがあった事も事実だ。その辺りは我も謝罪せねばなるまい」
だが、とファラオはさらに瞳を輝かせた。
「'李下に冠を正さず'……ジパングの諺である。用もなく態々、しかも我が居らぬ時にこの王宮に寄る輩を、ファラオとして看過することは出来ぬのだ。盗掘者は自らを盗掘者と言では認める事無きが故に……な。
よって只今より、我が名により、貴殿等の'裁き'を行う。ネムビー、この宮殿に貴殿等が来訪した所以を、我に話すがよい」
口調こそは無駄に仰々しいが、要は今まで何があったかを興味があるから話せ、と言うことだ。先にこのファラオが漏らしていた一言からも、恐らくこちらの事情は大方知っているのだろう。嘘を吐いて隠すメリットはないどころか、デメリットの方が遥かに大きい。
私は洗いざらい話すことにした。オセラージュの'楽園'からの逃走に至るまでの道筋と、そこからの逃走劇。そして、西の'奴隷の国'エヴァンズの伝説を耳にし、西に進んでいた――その過程でこの遺跡に辿り着き、暫し休んでから出発する、それを取り決めた瞬間に、カッシェの襲撃を受けた、と言う一連の流れを、全てファラオに話した。
それを心底興味深そうに聞くファラオ。所々質問を加え、内容を深めていく。それに律儀に答える私。話すときに若干呪いは緩められている。とはいえ、逃げ出すことが出来ない程度に、だが。
「……も、この男が……」
聞き終えたファラオは、何やらぶつぶつと呟きながら何かを確かめている。自分の記憶と照らし合わせているらしい。何を照らし合わせているのだろうか、その内容は直ぐ様ファラオの口から話される事になった。
「……貴殿と共に脱獄した者共が、我が友の地に保護されておるのだ。皆口々に貴殿の手際を評していたそうだが……誠に人とは多様だな。我が王国の御世と何ら変わらぬ。――故に面白い」
他にも風聞や新聞、ファラオへの直の報告等々、私とその行為を知る情報は、様々な感情を織り混ぜつつファラオの耳に届いていたようだ。
ファラオの話では、私の脱獄劇は一挙に大陸に広まったらしい。顔ではなく、名前だけなのがまだ救いだ。これで顔が広まろうものなら、私は見知らぬ人による一方通行的管理を受ける羽目になる。
知識を得た笑みを浮かべながら、だが視線を鋭くしてファラオは私を睨み付ける。
「しかしながら、貴殿は随分と恐ろしいことをしでかしたものだな。集団脱獄など、全為政者にとっての恐怖その物であるぞ?自らの私欲と衝動を叡知と経験と技術で塗り固め、悪運を引き寄せ激流のままに瑕疵に雪崩れ込むなど、我等にとっては堅固なる体制への反逆でしか有り得ない。――我が治世に於いても他人事ではない」
……改めて、このファラオが語ることから、凄まじいことをしでかしてしまったものだと、今更ながら思う。他人事では文字通り無いのだが。
「この報が全大陸に伝わってしまった以上、貴殿が国家の反対勢力、革命集団とそれを利用し権力を手中に収めんと画策する者共の手で神聖化されてしまうのも時間の問題であろう。直に顔も伝わる。我が元にも手配書が届いた。面子を潰されたオセラージュの面々が意地でも貴殿を捕らえ、刑に処するつもりらしい。やれやれ、其よりも善政を如何にするか考えれば逃げ出すことはないであろうに……」
ため息を吐きつつ、オセラージュの行く末を案じるファラオ。既に私の手配書が出回っていたとは。これは逆に長旅の方が危険であるどころか、どの街に逃げようとも引き渡される可能性が高い。タック、ハワード、ティラー、他数名の脱獄した仲間も共犯者となるだろう。
「……今の貴殿の状況を理解したか?」
私が頷くと、ファラオはそうか、と一言呟くと、瞳の輝きを抑え、為政者然とした凛とした顔つきに戻した。すぅ……。ファラオが静かに空気を吸う。既にこの辺りの世界はファラオの物だ。肌がピリピリと、私に緊張感を伝えてくる。
すっと、口を開く。愈々、判決か。私は身構え、ファラオの重厚な声が私を貫くのに耐えた。
私を覆う空気が、その時を止める。そして……。

「――為政者たる我は、貴殿を野放しにするわけにはいかない。よって、貴殿に呪いを与えよう。王家に受け継がれる、貴殿を縛る、呪いをな。
――それが、我が裁きである!」

ファラオの声と同時に、ファラオの指先から桃色と紫、緑を織り混ぜたような極彩色の光が放たれた!
身構えていた私だったが、ファラオの気に呑まれ、肉体は言うことを聞かなかった。そんな私を、極彩色の光は容赦無く貫いていく……。
目映い光の中で、私の意識は徐々に薄れていった……。仲間達の声は……耳に届かなかった。



正直なところ、俺は恐怖していた。
「さて、タック=ムカベ、ハワード=ペンドミー、ティラー=ドレーデン。貴殿等の判決についてだが……」
目の前の、色気とあどけなさを足して2で割ったような中途半端な外見を持つ、褐色肌を純白の包帯で隠したようなファラオだが、そのオーラや魔力は半端無さすぎた。さっき妙な光を当てられたネムビーは、どうやら消し飛ばされたらしい。消滅の呪いか?ふざけんな!
だが、呪い状態の俺は震える空気によって触れられる皮膚のせいでろくに身動き出来ねぇ状態だ。くっ……理性を保っているだけマシか。他の二人は絶頂に次ぐ絶頂を迎えてやがるし。
ファラオは相変わらず、俺達を見下したような目線で睨み付けてきやがる。俺も負けじと睨み返すが、その動作にすら気持ち良さを感じてしまう……何つー出鱈目な呪いだ。
「……言っておくが、貴殿等が消したと考えておるであろうネムビーは、我が宮廷内の、それも安全な地に飛ばしただけぞ?一つ、カッシェの物とは別の呪いをかけてな。無論、死や病魔の類いではなく、呪いそのもので死ぬこともない。尤も、病魔に等しいと感ずる者も多いとは言うがな……」
……こっちの心配事と敵意の所在もお見通しか。まぁ普通は分かるだろうが。しっかしこの呪い、動かないでいるだけでも力が必要だが、その力すら奪い取っちまいやがる……行くも帰るも為らぬ、まさに八方塞がりだぜ。
……しゃあねぇ、審判の覚悟を決めるか。そう俺が考えたのを見透かしたようなタイミングで、ファラオは俺に向けて厳かに、だが何処か暖かな声で宣告したのだった。
「タック=ムカベ。汝に与える裁きは――そこに居るティラー=ドレーデンと共に、我が臣下として仕えよ。
――其れが、我が裁きである」
……は?
「……は……ぐ……」
どういう事だ、と口にしようとした瞬間、体の緊張が一瞬緩み、俺の全身に溜め込まれた快感が走った。思わず達しそうになったが、何とか緊張を繋ぎ止めたぜ……。
「……むぅ。やはり'マミーの呪い'は一長一短よ。逃亡阻止や魔封じには使えようが、自白には使えんな。苦言も呈せんようでは、どうにもならんか……」
何処か考え込むような仕種で、ファラオは再び、俺――いや、今度は俺達に指を向ける。指先から、今度は白色の光が放たれ、俺達の体を軽く包み込んでいく……。
……少し、皮膚の感覚が鈍くなった、か。相変わらず逃げるのは無理だが、話せるようにはなったらしい。尤も、逃げるつもりはねぇが……。
「……どーいう判決だ、それは」
奴隷小屋で同じ釜の飯を食っただけの女と共に仕えろ?それが処罰?正直言って、頭湧いてるとしか思えねぇぜ。少なくとも俺達――この四人は自由を求めて脱獄やってんだ。今更誰かに仕えろなんざ後免だ。そうは考えるものの、実際この状況下では俺に拒否権はない。
だが、せめて理由くらいは聞いておこうか。そんな妙な判決を出した理由をよ。
「……」
ファラオは俺を睨み付けたまま何も言わず立っていた。そして一つ目を瞑ると、一息吐いて静かに呟く。
「……カッシェの、いや、アヌビスという魔物の'マミーの呪い'はな、男女で効力が違うのだ……実際に目にする方が早い。――首をティラーの方に向けよ」
言われずとも、俺の視界には十分ティラーの姿を捉えていた。先程までと同じように悶え狂うティラー……ん?呪いは緩和した筈……じゃ……まさか!?
俺の驚愕はよそに、ティラーの嬌声はさらに激しくなっていく。奴の体の内側で何かがのたうち、それが奴に快楽を与えているのだろうか……。
「ふぁ……ふぁあぁっ!ふゃああぁああぁあっ!ひゃ、ひゃあぁああああああああああああぁぁぁ……」
一際高い声をあげた後、ティラーは完全に地に臥せり、そのままピクリとも動かなくなった。……死んではいないらしい。胸は動いてやがるし……な……!
「……'マミーの呪い'はな……」
異変があったのはその時だった。袖口や襟から覗く首や腕が、指先に向かって茶褐色に染まっていったのだ!まるで――まるでこのファラオの色じゃねぇか!
「……女にはそのまま効き続けるのだ……マミーとして、アヌビスに仕える部下としてな。呪いの性質上……我でも治せぬ。
先に'緩呪の呪い'を貴殿等全員にかけたが……ティラーには効く気配がなかった。掛かった瞬間、既にマミー化は始まっていた」
ファラオの言葉の間にも、ティラーの体の変化は進んでいく。指先爪先まで褐色に染まると、ティラーの腹部辺りが内側から照らされていた。何か特殊な紋章が紫色で描かれているみてぇだ……。
「……為政者の法だが、本来ならマミー化した者は我の僕として、奴隷同然に働くことになる。そして盗掘者は――間違いなく扱いは奴隷。
だが、貴殿等は盗掘者とは違うのだろう?故に我は'臣下として'働くよう裁きを下した。どのみち働く定めならば、せめて自由のある立場にせねばならぬという、少しばかりの親切心だ」
「……」
このファラオが嘘を吐いているとは思えねぇ。ファラオの語る'真実'で考えれば、今の状況は確かに理にかなってはいる。……受け入れられるかは別だがな。
「……」
だが、生憎なことに俺には拒否権はねぇ。何故ティラーと共に、と制限を加えたかは気になるが……。
「……仕方ねぇ。その裁き、受け入れよう。だが、最後に一ついいか」
「何だ?」
「何故、ティラーと俺が一繰りなんだ?」
裁きは一人一人に告げるものである筈。だとすれば、一挙に告げるのは何故だ?俺とティラーを一緒にする理由はあるのか?
ファラオはその疑問に、合点のいったように頷くと、表情一つ変えず言い放った。
「……マミーは魔物だが?そしてハワードよりも貴殿の方が精力は在るのだろう?それにハワードは中央教会の者であろう。これ以上に妥当な選択など今の我は知らぬ」
――二の句が告げられなかった。つまり、俺は積極的理由と消極的理由の両方で、新米マミーと変化したティラーの相手として適役だったらしい。
……まぁ、命掛かってる魔物の側からしたら、選ぶ余裕なんざねぇんだろうが……。
俺の時が停止した中で、ファラオがさらに呟いた言葉が、さらに俺を硬化させる。
「軽微なる罪を咎めた侘びだ。貴殿等の五体及び意識は無事に我が町、エヴァンズへと送り届けようぞ」
……。
…………。
……………………。
…………………………………………はっ!
「……エ……ヴァン……ズ……!?」
驚愕の意味を理解しかねているのか、ファラオは不思議そうに首をかしげる。
「?貴殿等はそこを目指しておると踏んだのだが。彼処を治めるのが我だ。都合をもって国を名乗っているが、国と言うほどの規模で無し、町と呼んでも侮辱とはなるまい」
……いや、規模を見てねぇから何も言えねぇが……マジか。
「……は、ははは……」
俺は最早笑うしかなかった。この幸運なのか不運なのか解らん出来レースに、乾いた笑いしかあげられなかった。

「ひゃうああああううああああうああうああううああぉあぉああうううああうああああああっ!」
「ん、目覚めたか。どれ、我が包帯を巻こう。タック、貴殿も目にするがよい。これから貴殿が行うであろう事をな」
「……はぁ」
その後、ティラーに事情を説明しようとした俺が、いきなり押し倒されたのは言うまでもない。



……。
ぴちょ、くちょ。くちゅ。
妙に湿った音、私の股間の辺りから響くそれは、同時に音と同じくらい湿った感触をも伝えてきた。そう言えば、顔の辺りの空気が何故か生暖かい。しかもそれが何度も何度も吹き付けられている。
……。
私は一体どうなったのだろう。ファラオに光を浴びせられ、意識を飛ばされ……ここは一体?
「ハァ……ッ、ハァ……ッ、ハァ……ッ♪」
荒い息。どこか甘い香りが辺りに満ちている。その芳香は私の奥底に眠っている、獣としての本能を擽り起こし、理性の皮に隠された衝動を解き放たせようと私に誘い掛けてくるようだ……!
「――なっ!」
目を見開いた私は驚愕した。少なくとも相手の事を知らない以上は頭にも浮かばない場景が、私の目の前にはっきりと存在していたからだ。
「……キャウウンッ♪」
私の服は脱がされてしまっていて、何処にあるのかは解らない。そんな真っ裸の私の体に、カッシェと思われるアヌビスが馬乗りになり、生理現象で反り立つ私の逸物に自ら貫かれていたのだった。
記憶にあるカッシェは、頑固・貞淑・戒律厳守という、理性過多の存在であった。少なくとも私達の前ではファラオに対する忠誠の他はそうした態度しか存在していなかった。
だが……目の前に居る彼女の態度は何なのだろう。千切れんばかりに尻尾を振り、理性等の枷をかなぐり捨て、やや血走った瞳を自身の涙で潤ませ、半開きの口から垂れた涎を私の胸に落としながら、狂ったように腰を打ち付ける彼女は。
「くぅんっ!きゃうんっ!くぅぅぅぅぅんっ!」
二つの意味で雌犬と貸しているカッシェは、私の逸物をすっかり蕩けた膣肉で挟み込み、貝のように陰唇でくわえ込み、密度の濃く軟らかな肉襞で包み込んでいる。まるで乳をねだる赤子のように、私の奥底に蠢き猛る獣性の象徴を引きずり出そうとするかの如く苛烈に吸い付いている……!
「くっ!う……ぐ……んむっ!」
力を入れて逃れようにも、魔物の彼女と私の筋力では余りにも差がありすぎた。それでも微かな抵抗をしようと伸ばした腕は組み敷かれ、行為を咎めるように唇を重ねられ、強引に舌を突き入れられた。
「んんっ……んぢゅ……んむっ……くちゅ……ちゅむん……♪」
押さえようにも、逆に押さえられてしまうほどに彼女の舌は強かった。私の舌に甘い唾液を塗り付けながら、強引に絡ませ合う。舌が性感帯と化してしまったように、私の体に甘美な感覚が幾度も迸っていた。
その間も彼女は逸物を扱き立てるのを忘れてはいなかった。無数の肉襞は、その一つ一つが宛ら舌であるかのように振る舞い、鈴口は言わずもがな、茎の裏筋から正面、皮と肉棒の微かな隙間、カリ等を執拗に舐め擽り攻め立てる!
先程までの呪いは大分抜けている。抜けている筈なのだが、与えられた刺激はそれを否定していた。――呪いは抑えられたのでなく、体の奥に一時的に封じられただけだったのだ。
今、それが表皮に染み出していく。舐め擽る頻度が増える度に、体が徐々に敏感になっていく……!抱きつくように触れられる彼女の柔肌が、私の体を官能の色に染め上げていく……!
叫ぼうにも依然として口は塞がれている。妙にふかふかした、繊維の細い彼女の手の毛が敏感な私の肌をチクリチクリと突き、汗に濡れた柔肌が打ち当てられる度に、体の奥の獣が荒れ狂い、暴れ出ようとするのが感じられる。
――あぁ、あれは私だ。理性を完全に放棄した私だ。己を閉じ込めた理性を打ち倒し脱獄を狙う私だ。
暴れまわる私を、彼女は本能的にうまくいなしながら、彼女の中への道筋を誘導している。私が、私の全てが彼女に手綱を握られている……。ほぼ完全に、私は彼女の管理下に置かれていた。
カッシェの全身から放たれる媚香がいよいよその濃さを増し、私の理性を融解させていく。既に私の本能の象徴たる逸物は、はち切れんばかりに膨らんでいた。脱獄のチャンスを見計らっていた獣達が、私が、今全力で抜け出そうとしている。
「……っぱぁっ♪きゃうんっ!きゃううぅぅぅぅぅんっ♪」
人語を忘れたように乱れ、振った尻尾が風を掴み私に吹きかけてくるカッシェ。腰を密着させ、膣肉が私の肉棒を盛大に締め付け、毛羽立った手が敏感な肌を撫でていく。その間にも肌の感度はさらに上昇していき、最早耐えることは不可能な段階に来て――一気に私の理性は決壊した!

「――うがぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああっ!」

びゅるるるるるるっ!びゅくん!びゅくんっ!びゅぐっ!
「きゃうううううぅううぅううぅうううううぅううううんっ♪」
獣のように叫びながら、私は彼女の奥底に向けて、抜け出した私を送り出した!彼女は彼女自身の体で、それを受け止め、再び捕らえる!
絶頂を迎えながらも、感度が上昇しながらも、私はこの逸る性的感情を抑えることが出来ず、ひたすら彼女に腰を打ち付けていた!
彼女もそれは同じだった。物足りないと言わんばかりに乱暴に抱き寄せ、腰を打ち付けてただ放たれる精を貪り続けている!
部屋の中、私と彼女、二人の獣は己の欲求のままにただ目の前の相手を犯し続けていた。時の概念も、空間の概念も、下手をしたら己の概念すらも忘れて、ただ互いを埋め合い、支配していくように貫き貫かれ、そして共に逝けるよう互いを本能的に管理し、同時に果てる。それを何度も繰り返していた。
絶頂と性交の連続の中、気付けば私の中に、何やら得体の知れない感情が芽生えていることに気付いた。目の前で本能のままに交わるカッシェを見つめると、何処か心が暖まるような――。
その感情の正体を確かめる間も無く交わり続けた私達は、やがて何度目かとも知らない絶頂の後で、静かに重なりあって倒れていった……。



「……ネムビー。あの時はまさか、お前が私の'褒美'だったとは思わなかったわけだがな……」
あの時を振り返りつつ、カッシェは私にこう溢す。私としても、まさか縛る呪いと言うのがカッシェだとは思わなかったわけだが。
『盛んであったな。カッシェ、汝は自らを律するあまり、時として自らを失っている。汝の性分故深くは入らぬが、時には甘えよ』
その言葉を聞いた瞬間のカッシェの顔は、羞恥で恐ろしく赤く染まっていた。急な沸騰と比喩されてもおかしくはない。
何とか冷静になろうと心中あたふたしているカッシェに、椅子に座ったままのファラオは溜め息を吐きつつ続ける。
『……まぁ、それも汝の性分故、豹変と言うわけには行かぬだろうな。他者を自らと同じように律しつつ、その鎖を徐々に緩めていくのが汝らアヌビスの愛故致し方無い』
……愛す?他者を?どうしてここで他者が出てくる、その時私は考えていた。冷静に考えれば何の事はない。当時私も、心中周章てていたのだろう。
その時のファラオの顔は、どこか愉快そうであり、また愛しそうでもあった。今思えばあれは、一人娘を送り出す母の心境に近しかったのかもしれない。ともあれ、ファラオは私達に向かって、仰々しくこう告げたわけだ。

『気に入ったのであろう?ならば我が名の元に思うままに契りを交わすがいい――ネムビー=リンキッシュとな!
それが、我が褒美である!』

「ファラオ様は皆の幸せを願っておられる。その一方で、国家としての安定もまた考えておられる。だからこそ、私とお前を結ばせたのだろうよ」
アヌビスは気に入った男を管理する習性がある。それこそ、秒刻みで為されることすらある。無論遅れるとあの呪いを放つ上、ワーウルフ種でもあるので臭いによる追跡は完璧。下手なことは出来ないのだ。表面上で、私は管理体制下に置かれていると言えるだろう。
その上で、ファラオは私に呪いをかけたようだ。いや……そう表現するのは自分に負けたことになるか。この場合、呪いをかけたのは自分だ。――カッシェに対する、愛の呪いを、交わるなかで自分にかけていたのだ。
「……だろうね」
同時にそれは、カッシェを管理するよう私にファラオが願ったとも言える。一人で一人を支えるのは大変だ。それは支えるのが自分自身だとしても変わらない。だが……二人で支えれば……その負担は少しでも軽くなるだろう。
只でさえ堅物であるカッシェが、少しでも楽になれるように……ファラオはそう願っていたのかもしれない。巻き込まれた側からしたら堪ったものではないが、まぁ運が悪かったと言えばそうなのだ。
「タック、ハワード、ティラー……」
共に一時の旅をした三人は、今は共にエヴァンズの住人となっている。ティラーは自分が魔物になってしまったことを、特に何とも思っていないらしい。元々痴女の気があったのか、あるいは特に何も考えていないのかは分からないが、それを聞いたタックは、自分がうじうじ悩んでいたのがアホみたいだと漏らしていた。
現在二人は夫婦として、ファラオの元で働いている。時折外の国へ旅しているらしく、こちらにもお土産を持ってきてくれる。一部魔物ご禁制の国の品があるのだが、何故バレないのか不思議だが、まぁ気にしてもしょうがない。
ハワードは町の外れにて中央教会の教えを広めている。とは言っても、反魔物的要素は少ない。心の拠り所としての宗教というよりは、共通道徳としてのそれを町に広めている。
あくまでも、この町の中心にはファラオが居る。その社会に溶け込むよう、教義の表面を変えたようだ。尤も、本質は変えていないようだから、教義として語る内容は問題ないだろう。
みんな、この町に適応し、奴隷時代では得られなかった、自ら'選択'する行為をそれなりに楽しんでいるようだ。まぁ、全員予定外のハプニングもあったけど……ね。

そして私は、'選択'の自由の代わりに彼女に'管理'され、そして彼女を'管理'していく。
そこに自由はないかもしれない。何故なら、自由のスペースは愛で埋められているのだから。

「ネムビー、もう九時だが……いいな?」
「了解したよ」

そして今日もカッシェと共に、いつも通りの『お勤め』を果たすのだった。
近いうちに子供が生まれるといいな、きっと子供にも管理されるんだろうな、などと甘い思いを抱きながら、彼女に招かれるままに寝室に入る私であった……。

fin.









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