「う……く……っ」
背中が……痛む。脚に……力が入らない……。
「く……あぁ……っ」
城塞都市近くの森を根城とする人型の魔物、魔蜂。その駆除を申し付けられたのが数日前の事。兵数名を具して討伐に向かったのが数時間前。
「うぅぅ……ぅぁっ」
兵士数名の負傷というアクシデントがあったものの、何とか顔が全て瓜二つの兵隊蜂を薙ぎ倒しながら女王蜂の元へ辿り着き、空気が黄金色に染まるほど過剰なフェロモンを撒き散らされる劣悪な環境の中で気が遠くなりそうになりながらも、何とか女王蜂を仕留めたのが数分前。
だが――!
「あぁ……がぁっ!」
女王の体を、私の剣が貫いた瞬間、女王の針もまた、私の背中を貫いていたのだ。激痛が体力と命を根こそぎ奪い切る前に、残りの兵士を先に城へと帰るように命令した。あと、私は女王蜂と痛み分けだ、死体は回収するな、とも。
兵士が私以外の負傷者を抱えて退却するのを見届けながら、私も安全な場所へと移動しようとした。しかし、針を刺された背中からは止めどなく血が流れ、熱と共に体力までもを奪い取っていく。女王に何か毒でも注入されたのだろう……血が止まる気配もなく、傷口が塞がる気配もない。そしてついに……私の足は地面に囚われてしまった……。
「ぐぅぅ……っ」
兵士にああ伝えたのは、私を探すことにより、森の他の魔物たちに兵達が無駄な犠牲を強いられることがないようにするための、私なりの心遣いだった。だが……いざ地面に倒れ、体温が薄れていく私の中を巡ったのは――孤独なる死への恐怖だった。
「……く……あぅぁ……っ」
あれだけ散々覚悟して、女神像に幾度となく誓いを立て、いつ死んでも悔いはないと自分に言い聞かせ――そのくせにこれだ。私は心の片隅で、自分に対して呆れ返っていた。所詮、部下にあぁ告げたのも自らを悲劇のヒロインのように考えて酔っていただけに過ぎない。その事を今、襲い来る大量の恐怖によって思い知らされた。
「ぅぅ……ぅぁぅ……っ」
目尻から放たれた涙が、頬を伝い地面へと染み込んでいく。同時に、涙を放つ眼の瞳から光が薄れ、地面を掴もうと伸ばした腕が、手が、力を地面へと明け渡している……。
「ぅぁ……」
やがて、舌や喉からも力が薄れていき……意識すら、闇へと堕ちていった……。

―――――――――――――

(………ん?)
次に意識を取り戻したとき、私は自分の体が、不可解な状況に置かれていることを朧気ながら感じていた。
どうやら私は、膝を抱えたまま丸くなって眠っているらしい。体のあちこちに何かの管が繋がって、そこから私の肌に暖かい液体がゆっくりと流し込まれているようだ。
踞った体の回りは、柔らかくて弾力性のある物質で取り囲まれ、管はそこから発生しているらしく、私が身じろぎする度に連動してうねうねと蠢いていた。
(………)
意識が覚醒と睡眠の狭間で固定され、ぼんやりとしか物事を考えられないようになっている。一体ここは何処なのか、どうして私は踞っているのか、繋がれているのか――抱いてもいい筈の疑問すら容易には浮かばなかった。
暫しの時の経過を経て、最初に浮かんだ疑問。それは……。
(……あれ?わたしって……)
……自分が何であるか、と言うことだった。自分という存在、名前、アイデンティティ、鏡で見ていたであろうその姿すら、全く思い出せなかったのだ。すっぽり記憶から抜け落ちてしまったかのように……。
(……んと……えぇと……)
霞の中にある像を、必死で探ろうとするわたし。平泳ぎをするように意識の中で霞を掻き分けて、霧の向こうに幽かに光るもの――私の存在をこの目に見ようとしていた。
と――。
(はれ……?)
背中から、わたしのすぐ後ろから風が吹いた。音が耳に届くほどに強烈な風は、光とわたしの間に横たわる大量の霞を一気に吹き飛ばすほどに強烈なものだった。――視界の端に、葉脈のような模様が走った、昆虫の羽根らしきものを捉えるほどに。そう言えば、背中が少し引っ張られているような。
ひょっとして……と、意識の中で背中に手を伸ばす。果たして、件の羽根はわたしの背中から生えているようだ。どうしてだろう……と片隅で思いつつ視界を前に開くと――。
私は、その理由はおろか、自分の存在まで、はっきりと理解した。

蜜で織られたヴェールの向こう、女王様の謁見の間で、一匹の魔蜂が女王様に頭を垂れていた。女王様は頭を垂れている蜂をそのまま抱き寄せて、自らの胸にその顔を当て、乳首を唇に差し込んだ。
まるで別の生き物のように蠕動する女王様の胸からは、仄かに苦く、そして甘い蜜がゆっくりと溢れ出していく。蜂はその一滴すら逃さないように、顔を一生懸命女王の胸に押し付け、口を動かして粘度の高い液体を飲み干していく。ちゅぶちゅばと、舌で女王様の乳を舐めているらしく、女王様は頬を微かに熱らせ、ピクピクと震えていた。
女王様は夢中で蜜を飲む蜂の頭を優しく撫でながら、ゆっくりと羽を震わせた。その風に乗せて、刷り込むように蜂に向けて言葉を放つ。

『貴女は、次の女王になるの。私がもし亡くなったら、その時は――よろしくね』

――気付けば、わたしの手や腕は、蜜を飲んでいた魔蜂と同じように固い甲殻のようなもので覆われ、胸は張り出して谷間が作られるほどになった。胸元から黄金色の香りが沸き立ち、私の体を包み込むように辺りを満たしていく。
下半身や背中は見えない。背中の羽根は先程目で見たし、尾てい骨から先に神経が通っているのを感じる事から蜂の腹部も有るのだろう。
とくん、とくん、とくん……。
わたしの心臓の鼓動とは違う、もっと暖かくて、聞くだけで心が安らかになる、そんな音が、私のお腹の中から響いてくる……。その音を耳にしているだけで、わたしは心からの喜びを感じる。だって……子供の存在を喜ばない母親が何処にいるのか。
(この子達を無事に生むために、まずは栄養を摂らなきゃ……それも新鮮な栄養を……)
両手でお腹を擦りながら、わたしははっきりと、これからの行動について考えていた。

――――――――――――――

「……ん……」
わたしがぼんやりと目を開くと、そこは真っ暗闇だった。ただ、わたしの背中からは、月明かりのようにぼんやりとした光が降り注いでいたけど。
「……ん……く……」
窮屈な場所に、私は押し込められているようだった。スポンジのように柔らかい何かが、まるでわたしを庇うように包み込んでいるようだった。
(……食べなさい)
「………ん?」
ふと、頭の中で声が響いた。わたしが……聞いたことある声。それが何なんだろうと考えながら前を向くと――!

「……わぁ……♪」

わたしを包むその物体が、何故だろう、非常に美味しそうに見えた。微かな光に照らされた場所は仄かに紅く光り、黄色くぶよぶよしたものが張り付いている場所は、ミートソーススパゲティにトッピングされたパルメザンチーズのように食欲をそそる彩りを持たせていた。
お腹の中にいる子供達が、早く、早くと叫んでいる。わたしも……知らず我慢の限界を迎えていた。
顔を突き出し、それに食らいつくわたし。ぶちん、と鈍い音がして切り取られたそれを、咀嚼して舌に乗せる。
「!!!!!!」
味蕾に雷が落ちたような衝撃が走った。最高級の霜降肉か、あるいはそれ以上の良質な肉を、最大限旨味を引き立たせる調理法をして食したとしても、ここまで美味なものは無かっただろう。ほんのりと沸き立つ獣臭さ、噛めば溢れる肉汁、生特有の弾力――全てが美味に感じた。

早く――はやく――ハヤクタベタイ。
本能が身体を動かした。

「んむぉんっ!」
ぶしゅっ、と両方の脇の下か腰の上辺りで音がした。まるで閉じ込められていたものが勢いよく溢れだしたような感覚に、わたしは思わず口内の肉を気管支に詰まらせそうになった。
軽く咳き込んだ後、ありったけの解放感が巡る。皮膚を突き破って現れたものに、神経が少しずつ走っていく。徐々に、纏っている粘液の感触が肌に伝わってくる……。やがて完全に繋がると、それはわたしの思い通りに動く――両腕両手になった。ただし、両手は完全に甲殻そのもので、敵に対して使う武器用のそれだったけど。
「んむむっ……」
私はそれを伸ばして――背中を包む肉を斬りつけた。

ぶしゅうんっ……

「―――――!!!!」
それはまるで誕生を祝福するかのような光だった。微かに緑がかかった、木々の隙間から漏れる太陽の光。まるで星屑とオーロラを交えたような輝きは、全身を粘液で彩られた私に虹色のアクセサリを身に付けさせていく。眩しさに目を瞑ったのも一瞬。すぐに辺りの風景を目にすることが出来るようになった。前の女王が治めていた――この森を。
とくん、とくん。
お腹が跳ねる。貪欲な子供達だと思わず微笑んでしまう。かく言うわたしも、口の端から涎が出ちゃっているんだけどね。
(タベタイタベタイタベタイタベタイタベタイタベタイ)
頭の中を何度も何度も駆け巡るわたしの声に、体は素直に従った。切り裂くことに特化した二本の手を抜け出してきた物体に向けて構え、目を細めて呟く。

「――いただきます♪」

それからしばらくの時間、わたしは我を忘れて抜け出してきた物体を口に入れ続けた。皮を切り、肉を裂いて団子にして、口の中で思うままに味わってから飲み込んでいた。あまりの美味しさにわたしの頬は綻び、羽根はぴくぴくと震え心地よい風を起こし、粘液まみれの胸からは黄金色の香りが辺りに撒き散らされていた。
纏っていた粘液は、赤色と黄金色が混ざり合うことなく存在していて、一緒に飲み込むと甘さと苦味が絶妙なバランスでブレンドされて美味しかった。それだけでなく、飲めば飲む程に少しずつ、胸とハチの腹部がぐむぐむと大きくなっていく……。
呼吸も知らず貪っていたわたしだけれど、不思議と息苦しいなんて事は起こらなかった。どうも、腰の辺りから空気が取り入れられているらしい。森の香りは、まるで清流のようにわたしの体から――心から不純なものを洗い流してくれる……。

「……ごちそうさま♪」

自我を取り戻したとき、わたしの目の前にあったのは、固くてとても食べれそうにないプレートだけであった。そのプレートに、わたしはどこか見覚えがあった気がした。けれど――。
とくん、とくん。お腹がまた震えた。子供達がまだ欲しがっているみたい。腹が一回り膨らんだとはいえ、わたしもまだ、満足とは言えない段階だ。『栄養』が……まだ『栄養』が足りなかった。
(エモノホシイエモノホシイタベタイタベタイタベタイ)
心の声に突き動かされながら、わたしは辺りを見回した。既に、わたしが発するフェロモンで周囲は黄金色に染まっている。そして当然――。
「――あ♪」
体長7mを遥か超える大きさの熊――キンググリズリーが、生まれたてのわたしの体へとのそり、のそりと近付いてくる。既に目は血走り、その息は荒い。
(――オイシソウ)
恐怖心など、全くありはしなかった。ただ、目の前の熊のそのがっちりした腕が、引き締まっていそうな胴体が、太い脚が、たまらなく美味しそうな、『栄養』たっぷりの肉に見えたのだ。
羽根が、自然と震える。同時に、お尻の辺りで、何かむずむずするような感覚が走った。正確には、お尻の上に生えた、巨大な蜂の腹部の、その先端から――!
ぶしゅうっ、と湿った音が響くと同時に、先端から現れたもの、それは巨大な――針。先端には穴が開いているらしく、粘液に混じって何か透明な液体が地面に漏れだしている。
「あ……あは……あは♪」
(タベタイタベタイタベタイタベタイタベタイタベタイ)
口からはだらしなく涎を垂らし、食欲に支配された本能に主導権を奪われているわたしは――次の瞬間には、相手の心臓と思われる場所を、針の一撃でうち貫いていた……。

――――――――――――――

前の女王様の巣は、そこまで時間が経っていないせいか、また襲いかかってきた人間の兵士がここまで辿り着かなかったからか傷みは少なく、わたしがそのまま使っても何ら問題の無い造りをしていた。
その中でも一際大きな空間を誇る女王様の部屋だった場所で……。
「んっ……あぐ……むむ」
わたしは仕留めた獲物を食らっていた。先程の熊の他にも、大蜥蜴、大蛇、など大型の生物を、他に三つほど。骨まで含め全て噛み砕いて飲み込んでいった。
全ての獲物を平らげたわたしのお腹は二回りも三回りも膨らんでいて、蜂の腹部に至っては、下手をしたらわたしの体よりも大きくなっているんじゃ無いかとすら思えた。
中にいるわたしの子供達は、今は眠っているらしい。春の日溜まりにいるような、心地よい波動がわたしに伝わってくる。
このまま微睡んでしまいそうな空気に身を委ね、素直に夢の住人になろうと、素直に目を瞑った。
そのまま、巨大化した蜂の腹部に身を任せて、眠り始めた……。

とくん……とくん……。
子供達の音に誘われるように、夢の世界へ誘われて――暫く経ったときだった。

どくんっ!

「!?」
突然、全身を揺らすような衝撃がわたしを襲った。夢を見ていた私を完全に叩き起こすほどのそれは――!?

どくんっ!
「!?あはぁっ!」
わたしのお腹の中から蜂の腹部全体にかけて、子供達が一気に蠢き始めた。方向も勢いも全く定まることの無いその動きは、わたしの敏感な場所を頻繁に刺激することになり、処理できなくなった脳がオーバーヒートを起こしそうな膨大な快感が全身を痙攣させた!
そんな中、蜂の腹部の先端がくぱくぱと開き始め、何やら管状のものがむくむくと盛り上がり伸び始めている。それに気付いたのか、子供達は我先にとその穴に群がろうとしているようだった。
「あ、あ、あ、ああ、あっ、あ!あぁっ、あん、あぁっ!」
今やわたしの体が二体くらい入ってもおかしくないほどに巨大化した蜂の腹部は風船のように膨れ、管は女王様の部屋の奥――卵の部屋へと一直線に向かっていった。その間にも子供達はどんどん出口の方に向かっていく。はち切れそうな痛みを感じてはいたが、それと同時に、母性愛に満ちた喜びも感じていた。
そして、管の先端が卵の部屋の最奥へと行き着いた刹那――!?

にゅるぽぽぽぽぼぽぽぼぽぽぼぼぼ………!
「あぁいあああああぁあいいああああああああんっ♪♪」

濁流もかくもやらという勢いで、膨れた腹に集った子供達が出口を押し広げて、まるでウォータースライダーのように管の中を一気に滑り降り、そして卵部屋に産み出されていく。管の中もまるで内臓のように神経が全体に通っており、擦れると気持ちいい。それが子供達が通り過ぎる間にずっと続くので――!
「あはぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ………♪」
わたしは蕩けきった笑みを浮かべ、体をがくがくと震わせながら、ただ両胸と秘部から蜜を垂れ流していた……。

全て産み終え、蜂の腹部が元に戻る頃には、わたしは正気に戻っていた。生まれてきた子供達が孵化するまでには時間があまりない。その間に、沢山の餌を作らないといけなかった。
そう、子供達もまた、お腹の中に居るときと変わらず貪欲なのだ。だから――。

「――ふふふっ♪」

わたしはフェロモンを全身から撒き散らしながら、すっかり日の暮れた森の中を縦横無尽に飛び回るのだった……。

――――――――――――――

数ヵ月後、城塞都市は再び魔蜂討伐の命を下した。だが、新たな女王蜂の前に部隊は全滅。その勢いに乗って、大量の魔蜂が都市に攻め込んだ。結果として――都市は滅んだ。
だが、不思議なことに死者は一人として見られなかったという……。


fin.




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