地図にはない場所。地図には記されていない場所。人工衛星で地球上のどの地域でも見られるようになって久しくはなったけれど、完璧な地図というものはいつまで経っても作られはしない。その元凶がそれである。
理由は不明。だが、何らかの人外が関与している……という事も原因の一つのようだ。
推論調で語るのは……だがしかし、些か不都合だ。少なくとも、目の前に現実の事象として存在している以上は、確信を持って語らなければならないだろう。

羽根を生やした少女が、巨大にして醜悪な蟲と対峙している、と。

「……っはっ!」
身の丈ほどの長さのある巨大な錫杖――烈空に闇を纏わせ、刃を形作る少女――鈴華美影。光沢のある紫色の髪は、今や化物――全長10Mや20Mはあるであろう巨大な砂蟲――が撒く粘液によってベトついてしまっている。とはいえ、それを気にする余裕は彼女にはない。
「くっ……だからデッカイ魔物は……っ!」
背に生えた羽根は、今は彼女の髪の毛と同じ烏の濡れ羽色をしている。『深淵翼』という、闇の神霊の力を受け継ぎし者の象徴だ。
闇の神霊については……語ると長くなるので割愛しよう。まぁKing of fightersにおけるオロチのような、星の命を具現化したような存在と考えるのが分かりやすく、ここでの扱いでいうならば、超能力の原点とでも思ってもらえればいい。超能力とはいっても、ここでいう超能力とは、エスパーに限らず、黒魔術や白魔術など、世界の原理として、人間によって示されたものを'超'えた現象を引き起こす'能力'の事を言う。
下駄に白い足袋にハイソックス、赤いミニスカートと下の方のガードは何処か甘いように思われるが、先端が縫われ一部閉じられている長い袖、首を防護するように立った襟元、内に着た朱のサポーターベスト等、上半身は急所を守るようガードを厚くしている。それでいて肩口などは、機動性を保つために、関節部分周辺のみ縫っているような構造をしている。
巫女服を改造したような格好――一言で言うならば彼女のそれはまさにそう表現する他無いだろう。現に彼女自身、服を受け渡した母親に同様の事を質問したのだから。

――――――――――――――

「――ちょお待って?何なんこの服?しかも武器付き?いや服は可愛いんやけど、なしてウチに渡すん?バイトの制服は既に貰うとるやろ?ちゅうか手甲なんてんなもんバイトで身に付けとったら近所のおっさんオバハン怖がるやん?」
その日、母親の沙雪に本殿の裏にある部屋に呼ばれ、妙に機動性の高そうな巫女服を目の前に示された美影。母親は美影の言葉を黙殺し、笑顔のままずい、と服を受け取らせ、普段通りのおっとりした、しかし美影に反論すらさせない強い口調で彼女に告げたのだった。
「美影さん、今日から私の本職の、退魔師の見習いをやってもらいますね」
当然の如く美影は困惑……いや、むしろ驚愕した。当然だ。今の今まで普通の、神主の嫁をやっていると思っていた母、沙雪が、退魔師などと言う時代錯誤も甚だしい職に就いてるなど誰が思うだろうか。これならまだ「実は私、浮気していたんですよ」という発言の方が、まだ現実味があると言うものだ。どちらにしろとる反応は怒鳴る事であるとはいえ……。
「ちょお待ってやオカ……母さん!」
オカン、と言おうものなら、拳骨或いは腹部にどぎつい一撃が待っているので、何とか全て言い終える前に口を閉じる美影。母親は聞こえなかった振りをしながら「何かしら?」と返す。
「退魔師、っちゅーと、アレか?オンキリキリとか道満晴明とかいう、五芒星が象徴の、魔物とバトったりシバいたりするアレか?」
「それは陰陽師……まぁ、でも似てますわね。ウチは向こうよりも血の気が多い仕事が多いのですが」
「多いのですがちゃうわっ!」
激昂したように捲し立てる美影。まぁ無理もない。余計マズイ事であるのは明らかである。
沙雪が適度に聞き流しつつにこにことしているのに気付かず、一気に感情の赴くままに叫び叫ぶ美影。
「いきなり退魔師やれ言われても信用出来へんわ!この神社元よりそんなんやったん!?聞いてへんよ!?」
「そりゃそうよ、話してないもの。それに美影、貴女だったらもう気付いても良い頃だと思ってたんだけど」
不思議そうに首をかしげる沙雪に、さらに捲し立てようとして……嫌な予感がして勢いのまま美影は尋ねた。
「誰も気付かんわ!何か!?裏庭の墓で夜な夜な酒運んで宴会しとるんも、近所のおっちゃんらやのうて……」
「そうそう、あれウチのご先祖様なのですよ」
嫌な予感、的中。
「嘘やぁぁぁぁぁぁぁっ!」
美影にしてみれば、堪ったものではない。何回酔った勢いでセクハラしてきた爺さんを母親譲りの拳骨で黙らせ、近くで茶を啜っていたお婆さんに慰めてもらったことか……。
あれが全部……ご先祖だという。ペット付きで全員死者。正直、死者と言うにはあまりに生き生きしていたので、そうだとは素直に信じたくなかったりする美影だったがそれはさておき。
「……母さんがたまに帰り遅くなるんて、まさかこの'仕事'?」
「そうですよ。ついでに言いますとその服が、我が鈴華流退魔術の正装ですから」
今度こそ美影は言葉を失うこととなった。いくら何でも、この格好で戦いに行くなんて考えもつかないからだ。
「……母さん、戦いて、逆三角の人外魔境でのそれとちゃうよな?」
「?逆三角?それは魔物の弱点で殴り抜けると一発で退魔できる核の一種事ですよね?」
確信。これは戦闘用の服だ。それも本物の。少なくとも母親はそう思っていると。
というか、殴り抜ける、って……。
「あ〜、あとこの武器と巫女服はセットなんですよ。私が扱うとこんな形になりますが――'冥装解除'!」
沙雪が手を巫女服と武器に当てると、どちらも闇色に覆われ、そのまま闇の塊となり一体化する。
「……!?」
呆然と口を開く美影の掌の上で、さらに闇は凝縮していく。腕サイズ……掌サイズ。それより小さくなり、指二本ほどの大きさになったところで形が形成され――闇色の勾玉がそこにあった。
「……えと……今の、何なん?」
美影は目の前の光景を自分なりに理解しようと頭を回転させた。だが出てくるのはどうしてもナンセンスな答えばかり。――この勾玉が先程の服と武器なのだ、と。
沙雪は相変わらずにこにこと笑顔を浮かべながら、美影の指を曲げ、勾玉を握らせていく。そして手を離すと――。

「さ、美影さん、'冥装'と言ってごらんなさいな」

微風のようにふっ、と音の波を添えた。
「め……'冥装'……?」
その波に流されるままに、美影は言われた言葉を口にすると――!
彼女の手に握られた勾玉が、急に無数の闇色のリボンへと変化した!
「なっ!なななな、なな何やこれぇっ!」
何度目の驚愕か知れない叫びを美影があげる間も、闇色のリボンはその数を増やし、彼女を周囲の景色から切り離すように覆っていく。暫くすると、沙雪視点からでは、美影の姿は闇に匿われ見えなくなっていた。ただ不思議なことに、シルエットははっきり見えるのだが。
「なっ!なぁっ!なぁぁっ!」
闇の内側では、美影の服に闇のリボンが服に染み込んでいく。染み込んだ服は闇に同化して消える――つまり、脱げていくのだ
「や、な、何なんこれぇぇぇぇっ!」
幸い外からはシルエットしか見えないので中で何が起こっているのかは当人の声で判断するしかないのだが、これだけ取り乱していては判断できようというものだ。
闇の中で、変身は次の段階に進んでいた。
「なぁ……な?」
闇のリボンが、次々と美影の体に巻き付いていく。巻き付いた闇リボンが破裂するように闇を弾くとき――先程見たような巫女服が現れた。
腕に絡み付くと、そこは純白の布地が現れ。
足に絡み付くと、そこは足袋と下駄に変化し。
腰回りを取り囲むと、風にひらひらと揺れるミニスカートが形成され。
胸元から首の辺りまでを覆い尽くすと、朱色のサポーターベストの上に巫女服を羽織った状態になった。
そして勾玉を持っていた位置から、長い棒状の物体が出現する。それは美影の手の大きさに合わせたような太さをしていた。先端には大きな金色の輪が付いており、六本の小さな輪がそれに中心を貫かれている。
錫杖。そう、それは見紛うこと無き錫杖であった。尤も、所々武器として扱えるような作りになっていたが。
「……あ……」
残りの闇色のリボンは、錫杖のあちらこちらに入り込み――吸収され、消えた。闇が全て消えた時、その場所に居たのは、改造巫女服を身に付け、身の丈ほどもある錫杖を手にした美影だけであった。
「あらあら……よく似合ってますよ、美影さん。その戦闘服」
場に不釣り合いなほど優しく響く沙雪の声に、美影は自らの服を眺め……硬直し、叫んだ。

「――これのどこが戦闘服やねんなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

思わず顔を恥じらい気味に赤く染めながら、辛うじて下着が見えないくらいの長さしかないスカートを押さえる美影。そんな彼女に、沙雪は場違いとも言える発言をする。

「ま、良いじゃないですか。可愛い方が戦いの時に映えますから」
「誰が見るねんな、その戦い!いや、誰が見たとしても見られとうないわぁっ!」
間違いなく見るのは討伐対象かお天道様だけであろう。或いはどこぞの通行人か。ただ、万が一億が一無量大数が一、知り合いに見られたら……終わる。
「あ、認識阻害という便利な機能がありますから、もし知り合いに見られても貴女だとは気付かれませんよ。だから心配は杞憂です」
「ウチの羞恥の問題はどうなるんよ!」
「機動性でカバーしましょう♪」
「んな殺生なぁっ!」
美影の叫びに、やや見当違いのフォローを告げる沙雪。美影は泣きたい気持ちだ。
とはいえ、恐らくはもう決定されてしまって覆すことなど出来ないであろう行く末が見えたので、美影は得体の知れない疲れを胸の奥に押し込み、素直に力を受け継ぐことにした。
「(しゃーない。家だか運命だか知らんが、その流れに乗ったる!退魔師やったろうやないの!)」
やらされる、という感情を徹底的に排除して、美影はさして無い胸の奥に青い炎を灯すのだった……。

――――――――――――――

「(……あの後も色々あったわ……)」
勾玉の名前が'影楼'であること、実は護身術のつもりで習っていた格闘術が退魔用のそれだったり、妹の猫乃が既に退魔師の事情を知っていたり、そもそも捨てた相手は退魔師の家系と知ってこの神社に捨てたらしく、猫乃を狙う魔物を沙雪が拳一発で次々と沈めたり等々といった、裏事情を知る羽目になったり。改めて棒術を習い直す羽目になったり。一番大変なのが『深淵翼』の継承だった。今でこそ馴染んでいるが、継承した当初はどこかむず痒くもどかしい感覚がずっとつき纏っていたのだ。
「(にしても……実際やってみたら、案外需要あんねやな〜)」
斜陽産業と言われて久しいらしいが、恐らくそのせいで競争相手も長い時間をかけて淘汰されていったのだろう。その上、昨今の目まぐるしく変化する時代が産み出す動的なエネルギーが魔をも頻繁に発生させるようになったとか。
お陰で少なくともアルバイトに困ることは無く、彼女の財布には一定以上のお金は常に入っている状態だ。
「(まーその大半もウチの'必要経費'で消えるんやけど)」
必要経費という名の無駄遣いだったりするのだが、その辺りには触れないのがマナーである。何のマナーかは敢えて何も言うまい。
「(にしても……んまにしんどいわ。あと何回斬れば動きが止まるん?)」
背中に生やした『深淵翼』を羽ばたかせ、相手の射程外に逃れる美影。既に相手には致命傷もいい量の裂傷を与えている……筈なのだが、相手の体が大きいのか、未だに動きも止まらず、倒れる気配の一つもない。生命力だけ特に暴走しているのかもしれない。
「くっ……(このままやと体力的にウチがヤバくなんのも時間の問題やな……)」
闇の神霊の加護かて無限ではない。使いすぎれば必然として枯渇もする。そして量の寡多は、当人の魔力と体力に比例する。
ジョギングで鍛えているとはいえ、美影は成人男子のそれと並ぶか若干下程度の体力量である。怪物のそれに及ぶ筈もない。
「ともすれば……'核'かい!」
ヌークリアではなく、コアである。巨大な蟲の力場となる、魔力の結晶体。それがいわゆる'核'という代物である。普通核を直接狙うのは、魔力の暴走を引き起こしかねないので危険ではある。だが……今回の場合はその魔力自体が既に暴走している。魔の存在である蟲の生命力にガンガン使われているので、そこまでの暴走は起きない筈……そう、美影は踏んだのである。
「そうと決まれば――『振魔(ソナー)』!」
美影は、闇の力を帯びた翼を震わせ、微弱な魔力の波を起こした。属性は闇だが、生態系を変化させるほどの量はない。食らったところで体に何の変化も起こらない、魔力の微振動を。精々魔力を持つ者が、美影の気配を感じる程度だ。
「――よし!」
反射する魔力波によって核の位置を探り当てた美影は、目の前でのたうつ怪物の噛みつきをすれすれで回避し、懐に潜り込んだ。
「ぅぅ……後でお風呂に入らな……」
表皮を覆う粘液に、いよいよ彼女の服や体は粘液にまみれている。それに露骨に不快感を示し泣き言を呟きながらも――美影は呪文をしっかりと唱えていた。
「……【我を守護せし神霊よ、深淵に住まう黄泉の主よ、汝の威光を借り、今一度魔を御元へと送らん……!】」
唱えるほどに、錫杖を芯にした剣はその鋭さと大きさを増していく。そう、目の前の化け物を両断できるほどに。
懐に潜り込まれたため、体の向きを変え襲撃するのが遅れた蟲は、その禍々しくも何処か惹かれる気配に食らいつこうとした。だが――!

「――深淵に沈めぇっ!」

牙が美影の体に届く前に、美影の刃が蟲の顔面を捉えていた。その剣が放つ闇の旋風は蟲の体に沿って駆け抜け、体を両断していく……。
ぱきん、とプラスチックを割るような鈍い音がした。どうやら胃袋辺りに貼り付いていた核が割れたらしい。
途端、体を構成する力の根元が消えた影響か、蟲の体が徐々に崩れ出す。灰にすらならず、地面に還る。闇の神霊の元に送られていくのだ。巨大な体が、闇の神霊の魔力に変換され、送信されていく。
「……ふぅ。あーしんどー」
こんこんと肩を叩こうとして、粘液に気が付き何とか寸前で止めた美影の目の前には、最早何もなかった。
「さて、早よ帰らな……うっわ、最悪や。気持ち悪ぅ……」
粘液まみれの全身に辟易しながら、早足で帰ろうとする美影。パキン、と木の実を踏み潰すような音がしたが、ここは森。別段珍しくはない事だと無意識下で判断し、その判断した記憶すら忘れてしまった……。

――――――――――――――

夜宵市、ヤタの鏡が祀られた地である鏡都府の中でも、そこそこの大きさを誇る街の北東部、そこに聳え立つ山の麓に、その神社はあった。
鈴華神社。美影の実家であるその神社は、冠西地方でも大きな神社か……と言われればそうでもない。だが小さくもない。少なくとも季節の節目に行われるお祭りには、多数の地元民がこの神社を訪れ、楽しみ、詣でている。
鳥居を潜った先に見えるのは、八十一段の石段。足場は成人男性1.5足分とそれなりに広めで、段の高さも弁慶の泣き所辺り。晴れた日の放課後に、美影の通う夜宵高校の運動部がよくトレーニングに利用している。わりと毎日この神社に通うだけで、自然と体力が付くと言う。'無病息災'を御利益とするこの神社らしい、と言えばらしい大階段なのだ。
石段を登った先にあるのは、真正面に本殿、左手にはお守り等の販売所。右手には竜泉と焚き火場所と、典型的な神社のパーツを満たしている。
普段、美影は学校から帰ると、直ぐ様巫女服に着替え、境内近くの木の段や、そこから伸びる石畳を箒で掃いたりしているのだ。無論、アルバイトなので働いた分は小遣いに上乗せされている。

「ねぇさま、おかえ……わぁっ!」
霊猫族である妹、猫乃の側を、吹き抜ける一陣の風のごとく通り過ぎる美影。
「猫乃!ただいまぁぁぁぁぁぁ……」
ドップラー効果が実感できそうな程の速さで、鈴華神社の石段を彼女は走り抜ける。生まれてこの方十数年、毎日のようにこの石段を登り降りしてきただけに、全段駆け登りダッシュすらやってのける事がある。というより、今まさにしている。
と――石段の途中に、綱のようなものの片端がくくりつけられていた。その先は吊り橋のようになっていたが、石段からも本殿からも完全に死角になっている。
美影はその綱を掴むと、一思いに飛び降り……『深淵翼』を使って死角を飛んでいった。吊り橋が繋がるのは、家の裏手に湧き出る沐浴用の水場――と、薬湯。
「早よ服洗わなぁっ!服もせやけどウチ、もう耐えられへん!」
早くヌルヌルした感触を洗い流すため、高速で裏手へと翼をはためかせたのだった……。

「全く……せめて玄関から……ゆうても無理ですわねぇ……」
「それ、ウチの羞恥心以前の問題やろ」
薬湯には先客がいた。言わずもがな、母、沙雪である。体についた泡を桶の湯で流したところに、粘液まみれの美影が風呂場に着陸。無論、露天である。ただし結界の力で風も気温も一定に保たれている。それで良いのか結界。
一部の嗜好を持った人間以外には、とてもではない見られたものではない格好をしている美影に、沙雪は苦笑いをすると、そのまま優しく言った。
「一先ず、'冥装解除'した後で、粘液に濡れた服は風呂場の隅にでも置いて、'影楼'と体を洗いましょう?」
耳にするが早いか、美影は'冥装'を解除すると、早々に私服を全て脱ぎ……捨てずに畳み、風呂場の隅に置くと、粘液でぬちゃぬちゃとした手で桶を掴み、盛大にお湯をかぶるのだった……。

「ふぃ〜……ようやく解放されたわ〜……」
薬湯にだらしなく浸かりながら、体を伸ばす美影。『深淵翼』も、力を抑えた状態で顕現はさせている。闇の神霊からの願いらしい……というより、流石に粘液まみれは翼も嫌だったようだ。
ちなみに勾玉'影楼'は『深淵翼』の片羽に包んでいる。用いた闇の魔力を補充すると共に、武器と服のリペアを行う効果があるのだ。
「ふふ……お疲れ様。首尾はどうですか?」
「上々――と言いたいところやけど、そうでもないんやな。何せ、'核'が無尽蔵に力与えるから、エライ大きさになってな、斬って突いてシバいてもどんどん回復しよんねん。なるべく避けたかったんやけど、核壊さんと倒せんかったわ……」
「そう……」
そう一言漏らすと、沙雪は両手を、確認するようにグーパーし始めた。その姿に、どこか底知れぬ闘気を感じ、背筋が寒くなる美影。
「か……母さん?まさか抜き打ち実戦とかせぇへんよな?な?」
そんな美影の声など聞こえていないかのように、グーとパーを繰り返す沙雪。やがて強く一回拳を握ると、美影の方に……やはり普段通りの笑顔を浮かべながら――

「晩御飯が終わったら、中庭に来てくださいな。回復が早い相手の対処法を――叩き込みますから」

「!ん、んな殺生なぁぁぁぁぁぁっ!」
――母親の非情の宣告に、娘は泣き崩れるのだった……。

――――――――――――――

――翌日。

「あつつ……オカン、ホンマにやりすぎやて……」
『相手が超回復をするなら、それを上回るペースでダメージを連続で与える、あるいは一撃で仕留める。そのどちらかですね』
「武器特性的にオカンほど速よ動けんっちゅうに!」
下校時、ほぼ全身筋肉痛となった美影は、とぼとぼと家路を歩いていた。……沙雪に対する愚痴を呟きながら。
実際、沙雪の動きは北斗百烈拳を見ているかのような凄まじさがあった。右手と左手が残像。そもそも立ちながら攻撃しているのかも分からない程に足も攻撃に使われていた。つまり……顔以外全部残像が見える状態。これで現役を退いて長いと言うのだから驚きだ。
この台詞も、拳を中心に戦ってきた彼女だからこそ吐ける台詞なのだろう。『深淵翼』補正があるとはいえ、本来武器所持よりも遥かに威力が落ちるであろう体術、それのみで多くの魔を退治してきた彼女だからこそ……。
「……まぁええわ。今日のバイトは売り子はんの筈やし」
昨日の運動で筋肉痛になっていることを見越した配慮だろう。それに心の底で感謝を言いながら、美影は重たい体に鞭を打って家への階段を登っていった……。

「お帰りなさい、美影さん」
玄関に入ると、すぐに出てくる母、沙雪。
「ただいま、母さん。ちょお待って、すぐ着替えるから」
挨拶もそこそこに、奥の部屋に巫女服を取りに行こうとする美影。だがその腕を、沙雪がはし、と掴んだ……!?
「痛い痛い痛い本気で掴まんといてお母さんいや掴まないで下さいお願いしますぅギャアアアッ!」
考えて欲しい。とっさに呼び止めようと握った手が、たまたま拳で厚さ五cm程の石板を割ることなく貫ける程の握力と筋力を持っていたとして、その筋力が一瞬発現してしまったとしたら。腕の持ち主からしたら堪ったものではないだろう。
「あら!ごめんなさいね美影さん。加減を間違ってしまって……」
ぱっ、と手を離したとき、腕にはくっきりと指の形が残っているから恐ろしい。
「間違えるにも程があるわ!……で、なんで呼び止めたん?……あつつー」
腕の痛さに耐えながら質問する美影。沙雪は、それに直ぐ様答えた。
――一枚の紙切れをもって。

「……え゛?昨日の今日でお仕事!?」
愕然とした表情を浮かべる美影に、沙雪は首を横に振る。「説明書きをよく見なさい」と渡された手紙。そこに書かれていたのは……。

【鈴華 美影 様

貴殿は、以下の仕事を『拳姫』鈴華 沙雪の許可の元遂行し、定期的に報告書を提出すること。なお、期限は定めないとする。

・場所:露香山(鏡都府夜宵市)中に突如として現れた遺跡(地図参照のこと)
・目的:同遺跡の調査。
・任務難度:★★★☆☆(不確定分を見積)
・依頼額:前金五千、後はレポートの出来、数に応じて歩合で変化するものとする。
・レポート:一回につき最低A43枚、フォントは12以下とする。図や写真は必須。内容としては、
1.遺跡内の環境
2.遺跡内の魔物
3.遺跡内における拾得物
以上の三点を記すことを忘れずに

では、検討を祈る】

「……え、これって昨日の……」
美影の疑問に、少し考えるような仕草をした後、沙雪が返す。その声はどこか楽しそうだ。
「美影さん、昨日のお仕事で'核'を壊しましたよね?」
「え……あ……せや。そうせんと倒せんかったし……ってまさか!?」
美影の声に、沙雪は頷き、口を開く。
「随分魔力を吸いとられていたとはいえ、核は核。恐らく破壊したときに出た魔力が、偽装結界を壊したのでしょうね。ほら美影さん、この場所をご覧なさい。恐らくこの辺りで戦ったのではありませんか?」
しげしげと、沙雪の指差す先を眺める美影。おおよそ、昨日の戦闘地点に程近い場所だった。素直に頷く彼女に、沙雪はペンで地図に丸をしつつ続ける。
「偽装結界を施した地点は恐らくこの四ヶ所。何れも'核'の魔力被害圏内。ですから美影さん、貴女がこの遺跡を掘り起こしたようなものなんですよ」

「……成る程な〜……」
まさかあの激闘にそんな落ちがつくとは思っていなかった美影だったが……少しワクワクする自分がいるのもまた、感じていた。
誰にも見つからなかった遺跡……それを(偶然とはいえ)掘り出した自分。そしてその調査を任された――。

「……よし、この仕事、やったろうやないのっ!」


――斯くして、鈴華美影はこの遺跡に挑むことになったのだった……。


「――でも今日は堪忍して。全身が痛いんよ」
「あらあら、ならば私が全力で全身マッサージをしますよ?」
「んな殺生なぁぁぁぁぁっ!」


fin.




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