「ねぇさま……何が起こるの……?」

 心配そうな妹、鈴華猫乃の声が辺りに響く。
 だがその声を聞くのは隣にいる美影のみ。耳にはいるのは言った当人を除く三人だが、二人は聞ける状態にないのだ。

「……ハンスはん、娘を異世界に無断で連れ帰るという暴挙、一度罰して差し上げますわ……」

 片方は、接近戦に特化されたような戦闘用巫女服に袖を通す、美影の母親、沙雪。
既に瞳どころか、顔も笑っておらず、美影が未だ嘗て見たこともないような『鬼殺し』の気を放ちながら、手の感触を確かめている。

「うふふ……お熱いのねぇ……この通り、ご免なさい、で許してもらえないかしらぁ……♪」

 もう片方は、春麗の着るようなチャイナ服を身につけ、ジュリアナ扇子を持った美影の'おねぇさま'、ハンス。
妖狐であるこちらは余裕そうな笑顔を見せつつ、耳をへにょりと伏せさせている。
 一触即発、それを絵にするとこのような風景になるのだろうか。呼吸を調える沙雪、扇子をパチリ、と閉じてその豊満な胸の谷間に納めるハンス。
色々と対照的ではあるが、間に流れる空気は明らかに張り詰めている。見ている二人は、得体の知れない喉の渇きで体が干上がりそうだ。

「ふふ……結界は安定しているわ。やるならば……始めましょ♪」

 ふさしゅるり、とハンスのチャイナ服の後ろから、九本の尻尾が生える。それらは背後でうねうねとうねりつつ、まるで孔雀の羽のように広がっていく。

吹き付ける、この世界のそれとは異質の魔力。それを受けてもなお、沙雪は顔色一つ変えず、構えを解く気配もない。

「……信じられへん……」

 あちらの世界で散々ハンスの魔力を浴びせられ、その度に妖狐に変じていた美影は、その光景に思わず漏らしていた。
浴びるだけで発情しかねないあの魔力を受けて、平然と立っている母親が信じられなかった。様々な伝説を耳にする母親、沙雪。
 その伝説のほぼ全てが真実ではあるとはいえ、耳にしただけでは信じられないものもあったが……眼前の母親が、その噂の論拠として、相応しいと思得た美影だった。

「……ねぇさま……これから何が起こるの……?」

再び、妹からの質問。美影は、自分の耳が妖狐のそれへと変化していることに気付かないまま……ぼそりと呟いていた。

「……大惨事大戦や」

―――――

 事の始まりは、美影が異世界へと誘拐された事件であった。長期の依頼を解決し、それを報告して金一封を受けとった帰り道であり、まだしばらくの予定拘束時間が残されているときであったその日の午後。
彼女は偶々異世界に旅立っていたハンスに見つかり、そのまま'可愛いから'という理由で魔力を注ぎ込み、
ハンスと同じ九尾の妖狐に変えて『お持ち帰り』してしまったのだ。
 現役から退いたとはいえ、なおも実力のある討魔師である、美影の母沙雪は、美影の持つ魔力がこの世界から消え去ったことを感じていた。
死ではなく、消滅。故に彼女は原因を探ろうと現場に赴いた……が、今まで退治した妖魔とは違い、隠世(かくりょ)を形成した気配はない。
完全に、痕跡が途切れていたのだ。

「……」

 これからどうするべきか、探索に秀でた同僚に頼むのは当然として、協会に申し出るべきか、そうした心配と共に、純粋に美影を心配する親心もある。
逸ることはないにしろ、八方塞がりも良い状態にナーバスとなりそうであった。

「……」

 ひとまずとれる手段はとって、後は待ちの一手だ、と沙雪は言い聞かせる事にしたのだった……。

――一方の美影は、宿の従業員に可愛がられ、外に出たら魔物に可愛がられ、その度に魔物へと変化し、大陸の様々な場所を流浪した末、
ランの必死の説得と三桁に達する絶頂の末に、ようやく説き伏せられたオーナーと共に元の世界に戻す道が開けたのだった。
 その期間、大凡三ヶ月。ただし、時間の流れが世界によって完全に違う事から、美影の世界で経過した時間は凡そ二週間。
 だがそれは、沙雪の犯人に対する怒りが熟成されるには十分な時間であった。 そして――

 謝罪の言葉と共に、ハンスがデルフィニウム特製品詰め合わせセットを受け渡したところで……沙雪が声をかけたのだ。

「……少し、待っていただけませんか」

と……。

――――――――

 そして現在に至る。戦闘の目印には何がなるのだろうか……傍観者二人はその思いを……どうしても抱けなかった。間に入ろうものなら、一瞬で滅ぼされても仕方ないほどに緊迫していたのだ。
呼吸すら、
痛い。

「……では」
「……いざ」

 幽かに動いた、互いの口。風一つ無い異様な空間。その中で、互いの体が、揺れ――!?

「!?」

――揺らいだと思ったら、両者とも境内の中心部で拳を合わせていた。互いに、突き出した手が受け止められているという状態で。

「な……」

 テレポートしたとしか思えない速度で、一瞬で10Mはあったと思われる距離を詰め、互いに攻撃を打ち合っている二人。
 まだハンスは妖狐だからまだ分かるとして、純人間であるはずの沙雪のあの速度は……一体何なんだろう――!?

「――なぁっ!?」
「きゃああっ!」

 突如二人に吹き付ける風。それは間違いなく、今の一撃で巻き起こった突風である。一体どれだけの威力が拳に込められていたのか、その風が如実に表していた。恐らく一般人ならば『ひでぶ』は免れないだろう。それを両者、軽々と受け止めているという信じられない光景に、二人はただ茫然とするしかなかった。

「「……」」

 二人は当てた拳をそのままに、互いに見つめ合っていた。
その瞳は――どちらも冷たい。完全に、倒すか倒されるかという野生の瞳をしていた。お互い、今の一撃で互いの実力を知ったのだろう。
風すら、彼女たちを恐れて避けているかのような状況だった。もしも精霊が見えているならば、恐らく彼女ら二人を遠巻きに恐る恐る眺める姿が見て取れただろう。
 静寂……野生動物すら近付く気配のないこの結界空間……時が止まったように、誰しもが動けなかった。
まるで空気ごと縫いつけられてしまったかのように……。
――縫いつけられた糸を、待ち針ごと引っこ抜くように――第二撃は唐突に始まった!

「――っふっ!はっ、や!」
「――はっ、と、とぅっ!」

「……!」
「何やの……この新手のドラゴンボールは……!」

 ヤムチャ視点、というものを彼女は味わっていた。理解できるはずがない。
拳が離れた瞬間には元の位置に戻り、その次の瞬間にはまた拳を付き合わせているなど、誰が現状を理解できようか。手だけではない。時折足払いや膝、さらには踵の一撃まで織り交ぜているなど……明らかに人間業ではない。
 一撃一撃が岩を砕く沙雪のジャブを、ハンスは手で全て弾く。同時に手刀を沙雪の首筋を狙って放つが、それはジャブによって弾かれる。間合いを取るように体を動かしつつの、樹齢三百歳以上の大木をへし折る沙雪のミドルキック。
 それをふわりとした身のこなしで上に避けつつ、彼女の脚をとん、と押して跳ねながらハンスは、彼女の視界を一瞬尻尾で覆いつつ踵を落とす……が、
 それは沙雪の交差した両腕に阻まれた。

「――はぁっ!」

 そのまま彼女の体を弾き、沙雪はサマーソルトキックを繰り出す。
宙で受け身がとれない中、背中を狙って繰り出されたそれだが――。

「――ふっ!」

――空気を蹴る、という荒技でハンスは回避し、そのまま地面に素早く降りると、そのままフォロースルーに入った沙雪の体を狙って昇竜……ジャンプアッパーを狙った。回避不可能かと思われたそれだが、沙雪は両足を揃えて彼女の拳にスタンプを加え、さらに高く飛び上がった。
 再び地上に降りたったハンスは――高く飛び上がった沙雪が、空気を蹴ってこちらに向かうのを目にした。それに合わせるように地面を踏み跳び、彼女の拳に自身の拳をぶつけた。ゴッ、と拳が奏でようもない音と共に、再び衝撃波が巻き起こる。それにも構わず、ハンスと沙雪は撃ち合いの応酬を空中でしていた。

「――かぁさま!?」
「――なんや……何やのあの二人!無茶苦茶や!」

 張られた結界が、ぴしりぴしりと音を立てているのが分かる。たかだか拳の遣り取り、それだけで結界を刺激しているのだ。しかも……力が入れづらい空中での攻防で。

「……って!?」

 気付けば、神社のあちこちもミシミシと音を立てている。以前近所を荒らしていた鬼との勝負でも立てなかった危険な音が、二人の勝負では露骨に立っている……!

「ちょ!おかぁはん!おねぇさま!マズいて!抑えてぇ!力抑えてぇ!」

 美影の脳裏に、これから起こり得るであろう最悪の光景が浮かび、今更ながら止めに入ろうとする。無駄だと分かっても、止めようとせざるを得なかった。
だが――二人には聞こえない。

「はっ……ふぁっ!」
「ふっ……きゃっ!?」

 ハンスが見せた、右腕ストレートのブレ……そこを見逃す沙雪ではない。一瞬で右腕の軌道をずらし、そのまま懐に潜り込むと――!

「――は  ぁ  っ!」

――地面を踏みしめ、そのまま背中、肩、肘を同時にハンスに打ち当てた!
空高く飛翔出来る程度の威力を誇る彼女の蹴りによって加速された彼女の体は、そのまま体の内側から破壊する衝撃をハンスに与え――吹き飛ばした。

「く……ぁあっ……!」

 肺が圧迫され、呼吸が困難になるハンス。その状態は背中に角張った物が当たるまで続く。しかし……角張った物は、彼女にさらなる痛みを与えるために存在したのだった。

「なぁぁぁぁぁぁっ!?」

 思わず美影が悲痛な叫び声をあげる。それは愛しのおねぇさまが傷ついたから……というわけではない。彼女が何に当たっていたのか……それが問題である。
 神社の社務所、木とガラスで出来た戸が打ち壊され、奥の壁まで貫通していた。

「――はぁあっ!」

 沙雪はさらに追撃を加えようと早駆けし、土煙と埃が立ち上る社務所に、壁を打ち壊しつつ入った。
一方のハンスは、木片とガラス片が体にまとわりついていたが、背中への衝撃は咄嗟に纏めた尻尾が防いでいたので、既に迎撃体勢に移っている。

「――せぇいっ!」

 二人の拳が衝撃波を作り、社務所を崩壊させていく。机、畳、出来合いの神棚から靴箱まで、見るも無惨な木屑へと変えていく。

「しゃ……社務所がぁ……」
「あかん……あかんてぇ……!」

 今にも泣きそうな猫乃の横で、美影は血の気が引く思いで呟いていた。有り得ない効果音を立てながら、壊れ崩れていく社務所。恐らく社務所だけでは済まないだろうという予感を美影は抱いていた。そしてその予感は次の瞬間には現実になる――!
 社務所の中、畳を踏み締め――或いは踏み抜いて超速の戦いを行う沙雪とハンス。互いに蹴り、殴り、撃ち、放つ度に畳は踏み抜かれ、壁は壊され、備品は廃棄物と化していく。

「くっ……ちょこまかと……!」

 狭い空間で戦っているにも関わらず、お互いに攻撃が当たらない現状に苛立ちを覚えたかのように、沙雪は吐き捨てる。

「こちらのっ……台詞よぉ……っ!」

 それはハンスも同じであった。決定的な一撃を放つ寸前に避けられるので、迂闊に一撃を放てないのだ。だがそれでも互いに拳は放つ。蹴りは放たれる。車が凹むような重々しい音が立つが、互いに依然として無傷である。

「――はぁっ!」

 沙雪が渾身のミドルを繰り出した。だがその瞬間、ハンスは彼女の背後にすでに回っていた。そのまま沙雪が反応するよりも前に……!

「――せ    ぇ    い    っ    !」
――ド    ッ    !
「――かは   ぁ   ……っ」

 背骨を折るかのような衝撃が、沙雪を貫く。ハンス渾身の構え猛虎が、沙雪の背にクリーンヒットしたのだ。そのまま周りの物を壊しつつ、前に吹き飛ぶ沙雪。壁を貫いたその先には――神殿。

――ドゴォォォォォォッッ!

「――んなぁぁぁぁぁぁっ!」

 まさか神殿の壁を貫くとは……!さらに被害が増える神社に対し、美影は絶望の叫び声をあげた。一方の猫乃は、最早失神しそうである。
 同時に、神殿崩壊を見届けるように、社務所が……全て崩れ落ちた。その中に立ち尽くす、九尾の妖狐――ハンス。
 しかしその目は、まだ神殿を見続けていた。まだ終わっていない、その目は雄弁にそれを語っていた……。
――果たして、沙雪が再び出現する。自ら空けることになった壁から、瓦礫を押し退けつつ身を乗り出して。

「やめてや……やめてやぁ……!」


 目の前で全てが壊されていく様に、美影は猫乃を抱きながら弱々しい泣き声をあげる。だが、その涙に二人を止める力はない。止められるのは、二人自身以外居ないのだ。再び急速な移動から、拳を当て合う二人。
 見るものが見たら惚れ惚れするような鋭い突きや蹴りの応酬。その一撃一撃が、中級以下の妖魔なら一撃で滅ぶ威力を誇っている。生み出された衝撃波が、周囲の物品を次々に破壊していく。本殿にこそ被害はないものの、正面の神殿がじり、じりと破壊されていく。木の柱がめこり、と折れ、社内の備品や賽銭箱、鈴なども木屑金屑へと変えていく様は、最早台風に例えた方が適切であろう……!?

――ぴしり

「ややぁ……ややぁ……っえ!?」

 目の前の光景から半ば逃避しかかっていた美影だったが、突如として響いた、硝子が割れる寸前に響くような効果音に、背筋が震えるような感覚を覚えた美影。咄嗟に震魔を使用し、結界を探ったところ
――事態は最悪の方向に向かっていることが判明した。青ざめた表情を浮かべながら、美影は、まずは気絶している猫乃を安全な場所へと持って行った後で、いつの間にか神殿の屋根の上で対峙していた二人に向けて叫んだ。

「ふぅっ……一つ聞きたいのですが……」
「……何かしらぁ……はぁっ」

 幾度かの衝突の中で、互いの体に徐々に青あざが残り始めた二人は、そのまま決着をつける気なのか、神殿の屋根に乗ると、互いに距離をとった。相当全力で動いていたのだろう、互いに肩で息ををしていた。その中で、沙雪がハンスにふと、尋ねた。

「……ハンスはん、貴女は、どうして尻尾や妖術を……ふぅっ……使わないのかしら……?」
「はぁっ……使ったら確実に、私が……負けるからね……はぁっ……」

 尻尾を動かすのにも、妖術を使うのにも魔力は必要だが、それ以上に意識をそちらに回すことも必要だったりする。相手の一撃に極端に集中する必要がある相手の場合、使用の際に意識を逸らすこと、それが致命的な隙を生み出しかねないのだ。
 妖術はさらに、相手の抵抗値の影響も受ける。美影のような全てを受け入れる体質なら兎も角、母の沙雪は強力な魅了が効かないほどに抵抗値が高い。効かない術に時間をかけても魔力の無駄遣いなのだ。息を調えつつ、今度は沙雪にハンスが尋ねる番だ。

「……沙雪さん……貴女こそ、どうして奥義を使わないのかしらぁ……?」
「……貴女を、滅ぼすつもりはないからです……こちらの世界に……娘を帰して下さったさかい……何も奪わんと……ね」

 沙雪は沙雪で、ハンスの行為に最低限の礼儀は払っているらしい。まぁ、少なくとも、『仕置き』のつもりで屈服させるつもりではいるらしいが。それに、と沙雪は続けながら、周りを見渡してみる。まぁここまでよくもまぁ二人で破壊したものだ、と。社務所は跡形もなく全壊。今乗る、瓦が何枚も崩れかけた神殿も、客を招けない有様である。
 多分……これからの行為で、本殿と我が家を除いた神殿は壊れるだろう、それを沙雪は理解していた。そして……。

「……貴女に奥義をぶつけたら、貴女も私に奥義をぶつけますやろ?そしたら娘達……美影も猫乃も只じゃ済まなくなります。二人の親として、それは避けなあかん事……そうとちゃいます?」
「……そうねぇ。私も美影ちゃんのおねぇさまだもの。これ以上悲しませることをするのは不味すぎるわぁ……」

 互いに愛のある言葉を交わしながら、しかし、構えをとる二人。次の一撃で――相手に止めを打つ。それでこの戦いは終わりにしよう……二人の思いは一致していた。既に呼吸は二人とも調っている。会話の内に、二人の気はしっかりと練り上げられていた。

「……では」
「……いざ」

 互いに一礼しつつ、構えの格好のまま、動きを止める。次に動くとき、それは相手に対し、現状における全身全霊の一撃を放つとき――!

「「――は       ぁ       っ       !!」」

  開始の瞬間は、分からなかった。だが、気付いた瞬間には――彼女ら二人は、神殿の天井を、瓦を、枠木を踏み抜きつつ進み、己の拳を直線に突き出して――!

「――おかぁはん!おねぇさま!結界が――!?」

――風に乗った、悲痛な美影の叫び、それは幽かな動揺によって二人の拳の軌道をずらす効果はあった。丁度胸を合わせるように、相手の顔の横に拳を通過させる二人。最悪の衝突は防がれた。だが……!
――ピシッ!バキッ!パリ……ペリ……! 結界の崩壊は、止まらない。それだけでない。結界の周囲に、この際だから神社の主を亡き者にしようと浅知恵を働かせる妖魔達が、千載一遇の好機とばかりに集っていたのだ。中には、賞金の掛かっている相手も……。

「……一つ、提案があるわ」

 拳を交わせつつ、真剣な面持ちで呟くハンス、それを受けるように、沙雪も呟く。

「……私も一つ、提案があります」

 すっ……と拳を引くのと同時に、支えきれなくなった神殿から飛び降りる二人。その横では、本殿に行き着く手前の神殿が、完全に崩落していた。
 沙雪はそのまま、ハンスの背中に向かう。ハンスは……しかし尻尾を動かす気配はない。そのまま背中合わせになった二人は……徐々に黒くなる結界周辺を向き、構えを取りつつ……二人とも、リミッターを解除したようだ。ずん、と重々しい音を立て、彼女ら二人が居る地面が凹む。まるで巨大な鉄球を落とされたように、石畳ごと、地面が沈み込んだ。
 ぶわぁ……と再び広がる尻尾。その一つ一つが、全く別の色の光を持ち、ゆらゆらと揺れている。美影からも、ぽふんぽふんと尻尾が九本、一気に現れた。

「……これだけ居れば、修理代も全て賄えるんじゃないかしら?」
「……大半が三下です。多くは期待しませんが……まぁ、仰るとおり修理代には事足りるでしょう」

 パキン、と、妖魔を押し留める結界の、一片が割れる。そこに大量の妖魔が集う毎に、結界の崩落は進んでいき
――二人は迎撃の用意ができた!

「『拳姫』鈴華沙雪……参る!」
「さぁ、たっぷり可愛がってあげるわぁ……!」

 結界が崩れ、なだれ込む妖魔に向けて、二人は叫んだ。

―――――――

「生魔必滅!妖狐七星斬!」

 '影楼'を魔力で黒金の剣に変化させ、妖狐の魔力を上乗せして振るう美影。それだけで大凡の低級妖魔は一瞬で消え失せる。続けざまに二発、美影は自身に迫る妖魔に剣を振るう。神にも等しいと言われる九尾の妖狐の持つ魔力の量が、この無茶とも言える秘奥義連発を可能にしていた。
 完全に一騎当千、無双の世界である。切りつけ、足を運び、突き、払い、袈裟に斬り、再び払い、大上段から振り下ろす。竜巻の如く、魔力の奔流が渦を巻き、周囲の妖魔すら巻き込んで切り裂き、浄化していく。
 当然、美影は無傷である。美影は完全に、妖狐としての魔力を使いこなしていた。妖狐として使っているからと言うのもあるが、おそらく人間状態でも同等の芸当は出来るだろう。
 三ヶ月の異世界の旅、そこで美影の魔力は相当の成長を遂げていた。身体の抵抗力に関しては相変わらずのノーガードであるが、単なる戦闘能力を考えるに、上級妖魔底辺とも互角に戦える程度の魔力は保持している。後は当人の修行次第でどうにでもなるだろう。

―――――――

――だが、この二人に及ぶかは分からない。

「――は        ぁ        っ        !」

 手足に闘気を纏いつつ、拳を、脚を振るう『拳姫』沙雪。振り下ろした手刀が直線軌道の妖魔を複数薙ぎ、ミドルキックが胴を捉えると、そのまま周りの妖魔を巻き込んで吹き飛ばし、市長の如きダブルラリアートが、半径3m程の範囲にいる妖魔の上半身を一気に吹き消す。軽く飛びつつ中で一回転し、その勢いで落とした踵、それが賞金が掛けられた中級妖魔の首を落とし、そのまま蹴りつけた胴が、周りの妖魔を纏めて吹き飛ばしていく。
 妖魔にとって、この千載一遇のチャンスは、しかし無茶無謀の自滅劇への片道切符でしかなかった。彼らにとって運が悪かったのは、未だに沙雪が現役を凌ぐ実力を持っている逸材であったこと、現役の討魔師の魔力が上昇していたこと、
……そしてもう一人、遠距離術が可能な存在が居たことだろう。

「ほらほらぁ♪私は逃げないからいらっしゃあい♪愛を受け取って……ね♪」

 愛、という名の妖術が、迫る妖魔を炎雷で焼き尽くし、氷風で凍らせ尽くし、光闇で爆ぜ尽くした。表情は、相変わらず真意の見えない笑顔のままで、尻尾九本と両手から術を放っていく。
 彼女にしてみればこのような'無粋な'術を使用するのは本当に久しぶりのことらしい。普段は人間相手用の、魅了術ばかり使用しているのだからそれも当然か。彼女にしてみれば、相手を破壊することは無粋、相手を(性的に)堕落――いや、解放させることが粋なのだから。
 鈴華神社、デルフィニウム、両陣営のリーサルウェポン同士が手を組むこと、それは敵対する相手のあらゆる意味での破滅を意味するのだった……。

「……や、何なん……おかぁはんもおねぇさまも……有り得んて……どこのBASARAやねんな……」

 沙雪が腕を一薙するだけで、妖魔達の体が裂け、術が反射していく。ハンスに至っては完全に殲滅戦だ。
性的なもの以外でいたぶる趣味はないらしく、適度に誘爆させつつ効率良く近付かせずに相手を倒していく。数で押していたはずの敵の妖魔は、その一撃を彼女らに届かせることすら出来ずに、その仮初めの生を終えていく。
……ついでに、その攻撃の余波を受け、竜泉や焚き火場所が壊され、霊木以外は無惨な姿を晒していたことを付け加えておこう。
 兎も角、結界の破壊によって進入される羽目になった鈴華神社だったが、破壊の理由は自壊のみであり
……進入した妖魔は……傷つけることも、撤退する事もかなわず、全て殲滅されたのであった。

―――――――

「『……よって、乙は甲の令嬢のみならず、甲の世界の住人を無断で連れ去るという犯罪を、今後一切行わず、この世界への来訪は協会(以下丙)への通告をまず行うことを誓います。
万が一これを反故にした際は、甲は丙の所属者と共に、然るべき手段を以て乙を討伐いたします』……と、
了解したわ。魔力付き拇印も押したし、これでこの世界に来たときは貴女達が迎えに来るのよねぇ?」
「ええ。そうなりますね」

 激闘の後、神社に再び結界を張り直して、残った住宅部分に入った美影ご一行は、今回の事件の顛末として、ハンスにこの世界へ来る際の制約の誓約を結ばせた。美影を連れ去った事への罰は、先程の激闘で断念したらしい。しかし同時にハンスも、どのような罰が出ても受け入れる覚悟は出来ていたようだ。
 今回の誓約で、ハンスはこの世界での行動をわりと制限される用にはなったわけだが、世界への移動は禁止されたわけではなかった。これは時折美影の様子を見に来てもいい、という許可証を暗に意味している。流石に、遠ざけるのは無理だろう、と感じたのだろう。

「……本当に、連れ去ってご免なさいねぇ……」

 ハンスにしても、実際沙雪は二度と事を構えたくない相手であった。今度戦ったら、まず確実に……討たれるだろう事を重々感じていた。ただ討たれるなら兎も角、今度こそ美影を傷つけるだろう事は間違いないと考えていた。おねぇさまとして、'いもうと'を傷つけることはあってはならないのだ。改めて土下座を行い、許しを乞うハンス。
 沙雪はそれを……少し間をおいて許すと、誓約書のところに、自らの気を込めて名を記した。これで誓約は、完全に完了したのだ。

「今度いらっしゃるときは、賓客として歓迎しますさかい」

 そう笑顔で呟く沙雪に、過去を問う色はない。ハンスは

「ええ、楽しみにしてるわぁ♪」

と答え、そのまま襖を開いて、部屋の外に出た。

「……おねぇさま……」

 出てきたハンスを廊下で待っていたのは、狐耳と九本の狐の尻尾を生やした美影だった。和室の一角に案内した後、外に出なさいと言われて、心配しながら待機していたのだ。

「美影ちゃん……」

 どこか心配そうな顔をする美影を、ハンスはやや胸元をはだけつつ……ばふん、と抱き締めた。

「ひゃんむっ!」

 驚いた声を塞ぐように深く、美影を胸の谷間に埋めるハンス。同時に、彼女の九本の尻尾が、美影と彼女の体を、もふもふとした感触と共にさらに密着させていく。

「んんん、んっ……ん……ん♪」

 回された尻尾の一部は、美影の尻尾にふさり、と絡み付き、優しくきゅむきゅむと握られている。同時に彼女の狐耳も、尻尾の一つで、頭ごとさわさわと撫でられていた。初めは敏感になった体をびくびくと震わせていた美影だが、普段の性感刺激型の愛撫とは違い、お互いの体の存在を確かめ合い、温もりを分かち合うようなハンスの抱擁に、次第にゆっくりと瞳を閉じつつ、愛しの'おねぇさま'の体に身を委ねていた。

「……美影ちゃん……♪」
「……む……ふむぅ……?」

 鈴虫のようなか細い声に、見上げながらややとろけた視線をハンスに向ける美影。その瞳は、幽かに潤んでいる。いつの間にか美影は抱擁から外され、肩にハンスの両手が置かれている。見つめ合う、くしゃくしゃになった服を身に着けた二人。ハンスはそのまま顔を近付け――。

「!!んんんっ♪♪」
「んんっ……んんんっ……♪」

――それはまるで別れを名残惜しむような、優しく深い口付けだった。言葉よりも遙かに分かりやすいメッセージが込められた接吻……理解できた美影は、思い切り甘えるように、唇をみっちりと密着させ、舌を絡ませた。普段は溢れるほど放出されるハンスの魔力だが、今は最小限に留めている。
 この交わりが、性的な交わりでなくてもいいのだ。美影が、ハンスと遠く離れても大丈夫なようにするための抱擁……それに魔力はそこまで必要ないのだから。舌を絡ませ、手を相手の背中に回し、ぎゅっと抱き締める時間
――それは儚くも、ハンスの手によって終わりを告げた。

「……美影ちゃん、またいつか貴女の元に顔を出しに行くわ。その時は……よろしくね♪」

 寂しさ隠しの笑顔、ハンスは最後に美影にウィンクを投げ掛けると、そのまま背中を向け、玄関に靴を履きに行った。

「……おねぇさま……はいっ!」

 美影は、明らかに違う世界が見えるドアの外、そこに身を乗り出そうとするハンスに向けて――叫んだ。

「この三ヶ月間、色々なことがあったけど、楽しかったです!おねぇさま!可愛がってくれて有り難う御座いました!」
「……!!」

 ハンスの背中が、ぴくん、と震えた。だが、彼女は振り返らず、そのままドアの外に身を乗り出し、後ろ手で――戸を閉めた。

「……おねぇさま……」

 美影は試しに戸を開く。しかし、映る景色は紛れもなく……倒壊した鈴華神社であった。先程の風景は、ハンスは残った魔力で空間を繋げたのだろう。やはり色々と規格外なおねぇさまだった。そう人間に戻った美影は思い直すと、そのまま沙雪の部屋へと入り……!

「!?おかぁはん!?」

 机に突っ伏したまま、殆ど微動だにしない沙雪の姿に、思わず近くに駆け寄る美影。動揺のあまり、毛が逆立った尻尾がぽふん、と出現している。まさか、先程の激闘で、命を削ったのではないか……!体を揺すろうと近付いた美影の、狐耳に届いたもの……それは……本当に幽かな……蚊の鳴くような……寝息。

「……はぁ」

 脱力もいいところである。もし戦闘後に亡くなっていたら大変な事態である。神社は倒壊、現頭首は死亡なんて悪い冗談にも過ぎるからだ。後者が杞憂に済んだから良かったとはいえ、取り越し苦労にどっ、と疲れが押し寄せ、机にへたり込む。

「……みゅう……」

……その背後、ぱたりぱたりと動くふさふさの九本の尻尾を、失神から回復したばかりで頭がぼやけている猫乃が眺めていた。視線が、あらぬ方向に定まっていく。
 普段の柔和なそれではなく、猫らしいとも言える、野生に戻ったような目つきへと、徐々に変化していく。

「……にゃあ……」

 既に、気配を殺し、息を潜めつつ、猫乃は美影の背中を確実に捉えられる距離へと迫っていた。そして、美影はそれに気付かず――!?

「――にゃあああああああああああああああああああん♪♪♪♪」
「――!?ひゃあああああああああああああああああああっ!!!!」

黄昏の鈴華神社に、二人の鳴き声が響き渡ったのだった……。

fin.

おまけ――現場を眺めていたA氏の言葉――


「えぇ……そりゃもう、色々な意味で有り得なかったわよぉ……仲裁なんて無理よ?間に入った瞬間に私が消えるもの。虎と獅子の間に肉代わりに我が身を投げるようなものよ?アンパンマンじゃあるまいし、そこまで自己犠牲精神は持ち合わせていないわ〜。
 出来事?天中殺と仏滅と厄年を同時に迎えたらそうなるのかしらねぇ、としか言いようがない有様。しかもその厄神は派手好きときてるわ。派手?確かに派手だったわよ。一撃打つ度に火花吹き荒れ、風が吹き荒び、柱がピシピシ傷が付いてくんだもの。
で、結果がこれでしょ?神殿ほぼ全壊の社務所全壊の竜泉全壊でしょ?どれだけ暴れればこんな有様になるのかしら。
 しかもお互いに本気ではなかったんでしょ?完全に本気出したら辺り一帯が荒野になっていたって話しじゃない。正直、適わないわぁ。誰が倒せるのかしら、二人とも。……私?何度も言うけど無理ねぇ。
 一人はお互い互角にヤり合ったことがあるわよぉ……二週間ほどずっと、ねぇ……♪あ、貴方がヤったら多分一日も持たないわよ〜♪なんなら、私で試してみるかしら〜?冗談よ。
 もう一方は、完全に私の力が及ばないから無理ねぇ。魅了が全く効かないのに、私が勝てるわけがないわぁ。で、そんな二人が衝突すれば……当然こうなるわけねぇ。
 壮観よ?壮観だけど巻き込まれたくはないわ。当たり前じゃない。霊界への片道切符なんて、誰が受け取りたいかしら?自殺志願者以外、そんな候補は有り得ないわよ……」

fin.


おまけ――ハンスのその後――


「――お、お帰りなさい!おねぇさ……まぁぁぁぁっ!?」
「どうしたのじゃオーナー!」
「ひどい傷どすなぁ……どれだけ強い一撃を受けたのやら……」
「ひとまず、オーナーの部屋へと運びませんこと?」
「「「ええ!」」」
「……うう……痛いわぁ……」
「おねぇさまが、まさか'痛い'だなんて……」
「一体、何をやりはったんでしょうか……」

その後、一週間近く、おねぇさまは傷を癒すために寝込む羽目になったのでした……。

fin.





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