朝が早い学生は、大概が勤勉である。
それこそ日の出る前に起き、早々に教科書、参考書、ノートを開き、シャープペンシルの芯が折れるか
時計の短針が七を指し示すまで勉学に励むという理想的な姿を存分に見せつけてくれるだろう。
 その点、この日の鈴華美影は、朝の早さを考えれば勤勉な学生といえるのかもしれない。
尤も、その勤勉さは勉学よりも、もっと別のことに費やされる事になるのだが。
 退魔師の家系に生まれ、17歳の誕生日と共にその事実を伝えられた美影。
予てより護身術との名目で退魔術を習っていた彼女ではあったが、その修行は誕生日を境に激しくなっていた。
 結果、平日の朝早くから起床して修行を開始することなど、珍しくは無くなっていた。夜間の修行は、
 特に翌日が休日になるときに行われ、その度に彼女の体力や霊力は底を着く。
無論、その翌日の朝は訓練など出来るはずもないので早起きの必然性も無くなるのだが……。

「……」

 寝起きだからなのか、どこか惚けた目をしながらむくり、と起きあがる美影。
普段なら欠伸を大口開けてするとこれだが、この日はさして口を開けず、まるで空気穴から空気を入れ換えているかのような、動きのない欠伸しかしていなかった。

「……」

 伸び一つせず、無造作に起き上がる美影。
その顔には……おおよそ感情というものが欠落しているようにも感じられた。
普段の色とりどりの表情の片鱗も、今は見られない。無機質に部屋を見回し、鍵の閉まった窓に掛かるカーテンに近付くと、そのまま慎重に――音を立てないように開けていく。
 日の出直前の朝の、どこか期待するような濃い青色を、感情の篭もらない瞳で眺めながら、美影は……おもむろに着ていたパジャマを脱ぎ始めた。
満月の光以外に明かりのない部屋の中、戦いや修行の痕が不思議と見えない彼女の裸体が、彼女自身の手で次々と露わになっていく。
健康的な肌色を持つ華奢な肩、肩胛骨から腰にかけてのラインは、訓練の甲斐あってか、当人の許容範囲をキープしている。
前は……絶壁ではないが大した隆起のない丘が二つほど、慎ましやかに聳えている。
腹周りの肉は付いていないだけに、それが当人の悩みだったりするがそれはさておき。上着の次は下着だった。
身に付けたパンツごと、何の躊躇いもなく脱ぎ、布団の側に畳んでいく、丸裸で無表情の美影。絵にするとシュールである。
 映像化して普段の美影に見せようものなら、そのまま焼かれてしまいそうな程にシュールである。
だがそれを気にする様子もなく、全て畳み終えた美影は、そのまま窓枠に、もたれ掛かるようにしがみついた。

「……はぁ……はぁ……はぁぁ……」

心なしか、少しずつ息が荒くなりはじめる美影。月影に照らされる表情に、仄かに朱が差し始めている。
体も火照っているのか、微かに赤みが差しているかのように思えた。

「……はぁぅ……ぅぁぁ……ぁぁぁ……」

……と、彼女の尾てい骨辺りと背中から、何かが少しずつ隆起し始めていた。
もこり、とまるで瘤のように盛り上がったそれらは蠢きながら、まるで皮膚を突き破ろうとしているかのようにその大きさを増やしていく。

「……ぁぁぁ……みぁぁ……ぁはぅ……」

 どこかもどかしいのだろうか、美影は身悶えつつ、蠢く瘤に合わせて腰を振り、体を動かした。
その額にも、ちょうど眉の上辺り、髪の付け根に二つほど小さな瘤が出来て、同じようにもこり、もこりと大きくなっていった。
時折びくん、びくんと震える瘤。その感触が気持ちいいのか、彼女の瞳からは涙が、口の端からは涎が、それぞれ垂れていた。
 その瞳は、既に赤く染まり、瞳孔はまるで獣のように縦長になっていた。ぴり……と音がする。彼女の皮膚が破れる音だ。
本来それなりの痛みが伴うはずのその感触に、しかし美影は期待にうち震え股を擦り合わせるだけだった。
てらてらと光る水晶が、月光に照らされながら内側の太股を滑り降りていく。そして――ずりゅり。

「――んんんっ……♪」

 皮膚の切れ目が出来た瞬間、そこから溢れ出すように現れたのは、プックリと膨らんだ黄色と黒の縞模様が入った蜂の尻と、
一対の小振りで可愛らしい、皮膜の張った蜂の羽だった。皮膚に走った切れ目は、徐々に縦横に伸びていく。
 先程まで彼女を瑞々しい色合いで覆っていたはずの皮膚は、不思議なことに乾ききった音を立てて、軽く破れていった。
破れ目から見えるものは、明らかに人の肌の色とは懸け離れた色合いの――甲殻に似た皮膚。

「んんっっ……んぅっっ……」

 声を押し殺しつつ、触れたばかりの空気に悶える美影。その間にも、皮膚は背中から一気に裂けていく。
美影の体格そのままに、人間ではない何かへと、内側は変化を遂げていた。鈴華美影という皮を脱ぎ捨てつつ、それは徐々にその姿を月の光に曝していく。
背中の皹は、いよいよ後頭部に差し掛かろうとしていた。そして――ずりゅうううっ!

「!!!!!!」

 声にならない歓喜の声を挙げながら、美影は自らの皮だったものからその身を剥がした。
何かの液体でぬめったその体は、黄色を基調に黒のラインがやや複雑な模様を描いている。
手足は黒の甲殻で覆われ、器用さと頑丈さを併せ持つフォルムをその眼前に示している。
首もとや手首を覆うのは、堅さとは無縁のほわほわした綿毛状の物質。
頭の横には昆虫のような赤い複眼が二つ生え、額にも小さな赤い複眼が、確認できただけでも二つ、等間隔で生えている。
そしてその上には髪をかき分けて、櫛状になった触覚が二つ突き抜けている。それがぴくぴくと、触れた空気に反応して震えている。

「!!!!!!っふぅ……ふぅ……」

 改めて『羽化』した美影は、体に付いた液体が乾くのを待つと、そのまま窓をゆっくりと開く。
微かに太陽の香りを含む風に混ざり、彼女の触覚に伝わる……微かな振動。それを察知した彼女は――。

「……じょお……さまぁ……」

 風に混ざるような声で呟くと、そのまま、いつの間にやら立て掛けられていた槍を持ち……羽根を振るわせ、暁を迎える空に踊り出た。
残されたのは、主の居ない部屋と、主の残した皮だけ……。

――――――――

彼女がその依頼を解決したのは、ほんの数日前。山に住む子沢山の家族、その母親である中村峰子(なかむらみねこ)から、

「最近山で暴れているナイツ・ビーを、殺さない程度に懲らしめて欲しい」

という依頼を受けたのだ。
 サーチ&パニッシュメントとも言える手際で美影は叩きのめし、それを依頼人に引き渡した美影は、その婦人から蜂蜜をもらったのだった。
 その甘みに舌鼓を打った美影は、しかしその帰り道に突如、体に力が入らなくなってしまう。へたり込む美影の耳に届いたもの、それは破けた下着の音だった。
そちらに目を向けると……尾てい骨の辺りから、白色の針が飛び出ていた。
 変化はゆっくりと、だが確実に進んでいった。破れた服、そこから飛び出た蜂の尻は巨大化し、髪をかき分けるように触覚が二本発生した。
混乱し泣き叫ぶ美影だが、止める力を持つはずもなく、為す術もなく体の変化を眺めるだけだった。
 はらはらと涙が流れる彼女の瞳が赤に変わる頃には、既に肌は黄色を基調にした黒の甲殻で覆われ、一対の蜂の羽根が生え揃っていた。
 烏の濡れ羽色の髪も、何時の間にか薄い朱色に変わっている。
やがて彼女の泣き声が、くすくすとした笑い声に変わる頃――其処にいたのは鈴華美影と言う名前を持つナイツ・ビーであった。

 自らの姿を満足げに眺めた彼女は、破れた服と自らの皮膚を纏め、もらった蜂蜜と合わせて手に持ち、そのまま空を飛んで家へと帰ったのだった……。
その際妹の猫乃もナイツ・ビーにしようとしたために母親の沙雪によって体を拘束され、闇の神霊が深淵翼に魔力を吸収させ、神霊自体も力を用いて元の種族に戻されている。
 その後、闇の神霊を伴って中村峰子の家に向かい、何やら協定を結んだ……と沙雪は美影に話したが、その内容については美影は聞かされてはいなかった。
 そして数日後……。

――――――――――

「ふふふ……来てくれて有り難うね、美影さん」

 山に立つ小さな屋敷、そこで沢山の子供達と暮らす中村峰子は、屋敷の奥、依頼の時には招かなかった奥の部屋で本来の姿となり、
華の蜜の入ったバケツを運んできた蜂美影をそのまま自らの胸に抱き寄せた。
 フェロモンで満たされた、クイーン・ビーの部屋。その主である中村峰子の今の外見は、美影と大体の要素は似ている。
違う点として挙げられるのは、彼女の持つ蜂の尻尾が、美影の、いやナイツ・ビーの持つそれよりも遙かに大きかった事だろうか。
……それこそ、峰子の体よりも大きかったのだ。

「はぅぅ……女王様ぁ……♪」

 フェロモンに当てられたのか、他者に聞かれたら互いに悶絶しそうな程甘い猫撫で声で、女王蜂となった峰子にすり寄り、
彼女の巨大な胸の中でなすがままにされている蜂美影。その表情は何処までも喜悦と愛蕩に満ちていた。
恐らく彼女に根付いているナイツ・ビーとしての本能が、彼女をそうさせているのだろう。
自らの尾に跨りながら、すりすり、むにむにと巨大な柔らかい半球状の物体で美影の体をもみ上げつつ、子守歌を歌うように峰子は呟いていた。

「ご免なさいね。産卵期が近かったから、私は滅多な事じゃ動けなくなっちゃって……今は働き蜂が居ないから、貴女に任せるしかなくなっちゃって……ね」

 彼女が美影の母である沙雪と、沙雪の連れた闇の神霊に伝えたことは、産卵の時期が近付いているから、その時期は一時的に蜂娘化させて、
彼女を子育てのための蜜収集をさせて欲しい、という人蜂種の都合であった。
 何でも、理由あってこの山に女王のみで移り住み、ようやく産まれたナイト・ビーが狼藉者であったことから、
依頼当初子供達を養うための働き手が居ない状況だったという。蜜を与えてご免なさい、と言う謝罪と共にその旨を聞いた沙雪は、
 美影の生活に支障がない程度に貸し出すことを条件に、それを了承したという。無論、闇の神霊に対しても丁寧に説き伏せて。
結果……人々が寝静まる時間に、美影は蜂娘となって、彼女の子供に与える花の蜜を集め、彼女の屋敷……巣へと運ぶ仕事を行っていた。
 当然……美影はその事を知らない。彼女の意識は、家に帰り再び寝床に着くまで、夢の内だ。まぁ……今の美影の状態も、夢の内ではあるのだが。

「あぁ……じょお〜さまぁ……しあわせですぅ〜……♪」

 蜂娘としては当然の、女王に対する恋慕、それをフェロモンの満ちた女王の部屋で存分に伝える美影。
それに応えるように、峰子は乳から美影の顔を出し、だらしなく開いた口に自らの唇を付け、彼女の口の中に舌を伸ばしたのだった……。

―――――――――――――

【レポートNo.A】 『ミエル・ド・アフェクシオ』
 人蜂種の女王のみが精製できる特殊な蜜。
甘みは極上、それこそどんな菓子の原料に加えても最上の味が作り上げられそうな蜜だが、
 人間が口にすると、身も心も人蜂種となり、生み出した女王に無限の恋慕と忠誠を抱くようになる。
意識も人蜂種のそれ……というより女王の娘となるため、万が一実の親が女王を襲うようなことがあれば、
尻から生えた針で実の親を突き刺すような事態も起こりうるだろう。
 なお、女王は普通の……しかしただの蜂蜜よりも遙かに質の良い蜂蜜も精製可能である。
 そのため、一般流通することはまずない。しかも、女王が作るその蜜は、基本的に量が少なく貴重なものである。
 その上に、相手を愛することを望まない限り渡すこともないため、普通は外に出る筈もない。
 しかし万が一、流通してしまうような事態が起きたならば、私達は全力をもってそれを回収し、流通させた女王を退治する必要があるだろう。




fin.



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