ある日の事だった。
数日前の冒険で、飾りつけの綺麗な宝箱を見つけた俺は、その宝箱を開かずに家に持ち帰った。周りの装飾だけでも剥がして売ればそれなりの金になるだろう、そう考えての事だった。
で――次の冒険依頼が来たので遥か遠くの町に行くと、その事件はもう解決しているとか何とか言われた。最近名を挙げてきたバウンディハンターが全て解決してしまったらしい。お駄賃とばかりに帰りの旅費だけ渡されて体よく帰され、へとへとになった体で一ヶ月ちょいぶりに家のドアを開けると、
自宅にメイドがいた。
ドアをすぐ閉めて目を擦る。錯覚ではないのか。我が家には誰も居ない筈。そもそも鍵は閉めてある、窓が割られたのか?だとしても窓を割った人間がメイド服……道中目立つだろ。
思考の拡散は多少仕方が無いが、そろそろ戻そうか。自宅の前で立ち往生していてもしょうがない。目薬をさして、軽く目を洗った後で、さてオープンザドア。
「お帰りなさいませ、ご主人様♪」
――バタン。
「………」
俺は相当疲れているらしい。メイドの幻影を自宅の中に見るなんて。
視覚的にも聴覚的にも限界か。
さて。外に居てもしょうがない。追い払う元気も無い以上は一先ず休むか。今は兎に角睡眠が欲しい。
「あっ!ご主人様酷いじゃないですかいきなりドアを閉めるなんてってあぁ無視しないで待って下さいよぉ折角ですからご飯ぐらいは――」
これは幻聴だ、幻聴に決まっている。入る瞬間手に触れたのもきっと玄関に放置したタオルのようなものだ。そう強引に言い聞かせて俺はメイドらしき存在を極力意識の外に置くことにした。俺は疲れているんだ。部屋が妙に綺麗になっているのも気のせいだ。そう強引に言い聞かせて、俺は自分の部屋の戸を開けて一気にベッドへと倒れ込もうとして――!?
ばふっ!
「あん♪ご主人様ぁ♪疲れていらしたんでしたら私に言ってくだされば宜しいのですのに♪」
我が家には到底存在しえない、高級なシーツの感触。肩から首にかけて回された腕は、柔らかく瑞々しい女性の感触を存分に俺に味わせてくる。ただ触れられているだけだと言うのに、抱き締められているだけだと言うのに、俺の体は力を抜いていった。
本来なら、ここですぐ押し返す必要があった。見ず知らずの他人にいきなり体を預けて、無事であった試しはない。
だが――
「………」
俺の体は、完全なまでに抵抗する力を持たなかった。長時間移動の疲れと、無駄足を食らったという精神的疲労、そこに目の前のメイドのヒーリングパゥワァだ。仄かに、洗い立て乾き立てのシーツ特有の太陽の香りが俺の鼻腔から頭へと染み渡っていき、まるで日溜まりの中にいるような気分にさせてくれる。
そうして、一度安らいだ感情は、俺の頭を強制シャットダウンさせていく。疲労を処理できなくなった脳が、意識を強制終了させていく……。
何も出来ないまま、メイドに抱かれたまま俺は――眠りの世界へと誘われた。
「………ん?」
次に目が覚めたとき、俺は見覚えの無い空間にいた。
1R程の面積の正方形の床に、3m程の高さにある天井(妙に圧迫間があるな………)。辺りの風景は壁にかかったカンテラらしき物――中身は火じゃない。光石だ――がぼんやりと照らしていた。
そして――部屋の中心にあるもの。それはいつぞや持ち帰った宝箱であった。
「………」
俺は軽く辺りを見渡す。続いて壁沿いに歩いて、出口を探した。だが、それらしき物は全くなかった。
天井に登ろうにも、取っ掛かりもなければそれは叶わぬ夢。
「………そういや」
あの宝箱の中身は何だったんだ?外枠が気に入ったから持ち帰ったんだが……。
特に他に何も出来ないしな。開けてみるか。
そうして俺は宝箱に近づいて――それを大きく開いた。
「ぱんぱかぱ〜んっ!」
なんと なかみは ミミックだった!
「………」
何と言うか、これが『お約束』とやらか?
目の前の宝箱から現れたミミック、その顔形は寸分違わず俺の家にいたメイドのそれだった。ただし目の前のそれは、何故かウェディングドレスを身に纏っているが。
宝箱から盛大に紙吹雪を吹き上げ、お祝いムード全開の笑顔で俺を見つめるミミックを、俺はただ冷ややかな目で見つめていた。
「おめでとうございます!貴方は私のご主人様となる権利を獲得いたしました!これから末長くお付き合い、仲睦まじくよろしくお願いします!」
「………」
ただ呆然とする俺の前で、ミミックはペラペラと自分の出自なり能力なりを説明しているが……正直どうでも良い。
「――ということでご主人様、何か聞きたいことが御座いますか?」
「……ああ」
ようやく終わったか。こいつの冗長にして退屈な話が。わざわざ質問タイムを設けてくれるとは、中々親切な魔物じゃないか。
「――まず一つ。どういう経緯で俺がご主人様だ?」
中心に置いてあった宝箱的に、あの宝箱がミミックのそれだったのは間違いない。だがな、そういうのは罠を解除した人間が対象になるんじゃねぇのか?
「えぇとですね、宝箱をそのままお持ち帰りした人間が、一ヶ月以上何もされずに放置された場合、WMA(世界ミミック協会、通称世ミ協)協会規律第3条の元に、罠を解除してその家の持ち主に仕え、良き妻として家を守るようにと誓われているのですよ〜」
「なんだその後半の封建的謳い文句は」
確かに、箱に対して何もする間もなく冒険に出たからな……。しかも往復に一ヶ月。その間金目の物が致命的に無い俺の家に来る泥棒など居ないし、友人が家に来たらその場で帰る筈だ。わざわざ箱を開けるような無礼者は――
「あ、他の方が二三回開けたので、彼らは美味しく頂いて他の方に身柄を預けました。一人女性の方を除いて、全員泥棒さんのようでしたよ?」
――居たよ。誰だよ。俺の家に不法侵入した奴は。……まぁじきに分かるだろうから次だ、次。
「此処は何処だ?あぁ、愛の巣だのそういった表現は認めねぇからそのつもりで」
このどこから入れられたか分からん閉鎖空間。まさかこいつの体内とかそんなオチは無いだろうが……。
「あ、この宝箱二重底になっているんですよ〜。その二番目の底です」
「………は ぁ っ !?」
二重底?宝箱?つまりあの装飾の付いた宝箱の下の方に俺はいる、ってことか!?
「私の認めたご主人様だけが、この下の底に入る事が出来るんですよ……愛の巣として♪キャッ♪」
頬を赤らめるミミック。なにか腹立たしい妄想でもしているのだろうか。つか愛の巣言うなよ。いつ愛を育んだよ。
「――あ、出るときは元通りの体のサイズに戻りますからご心配なく。自動的にミニマイズの魔法がかかるだけですから」
原理を理解。成る程な。体が魔法で縮められているわけか。で、同じ魔法の二度がけで元に戻る、と。
「出口はこの箱の中で、私と……抱き合いながら……って何言わせるんですかご主人様はぁっ!」
赤面しながら顔をブンブンと左右上下にふりまくるミミック。正直見ている側としては腹立たしさのキワミではある。
……つか、抱き合わねぇと出れねぇって、どんな拷問だ?ミミックって確か軟体だろ?
「……まぁいい。ところで、宝箱の罠はどんなのをセットしていたんだ?」
下手に開けていたらどうなっていたかを知りたかった。恐怖は内容を知れば収まるものだ……と思っていた。
ミミックは心底嬉しそうな声で、俺に対して説明し出した。
「一息吸い込むだけで夢の中に追い込む催眠ガスと、一息吸えばあら不思議♪女を見れば犯してしまいたいと思う催涙ガスが、それぞれ1/2の確率d」
「分かったもう良いよく分かった」
つまり眠ってるなかで犯されて箱に引き込まれるか、犯されるために箱に飛び込むかのどちらか、っつー事か。何つーか良くできたトラップだ事。
「因みにどちらも蜂蜜の香りがします。これが本当の、ハニートラップ♪キャッ♪」
確かに巧いが一々キャッキャッ言うなよ……。
……今のところ俺の質問はこれだけだが……ミミックって名前だと種族名と混同するからな……。
「――あっ!ご主人様、他に質問は御座いますか?」
キラキラと目を輝かすミミック。……何を期待しているんだか。
「……最後に一つだ。お前さんの名前は――何だ?」
「ん〜……世ミ協では基本的に、みんな番号で呼ばれてましたからぁ〜、名前と言えば形式番号になってしまいますよ?」
形式番号……ミミックの生態が全く掴めない……。どういう生物なんだよ。
「それでも構わん。一先ず教えてくれ」
「良いですよご主人様ぁ〜。私は'MID:269339'って呼ばれてました〜」
嬉々とした表情が幽かに翳ったが、それでもミミックは俺に型番を伝えてきた。考えてみればミミックも難儀なもんだ。IDがそのまま無機的な名前に過ぎねぇなんて。まぁ、そっちの種族に名前なんざほとんど必要ねぇからなのかも知れねぇが……。
「……成る程……エムアイディー269339と……呼び辛いな」
それに流石に記号の連続だと呼ぶ側もあまり良い気がしねぇ。
俺のそんな呟きに、何の気無しといった雰囲気で奴は言った。
確かに何の気無しといった雰囲気だったんだ。普通に嬉しそうな声だったんだ。
「では、私を好きなように呼んでいいですよ〜♪」
従者と言うよりは寧ろ彼女のような気安さで、目の前のミミックは俺に笑いかけた、俺はそんな気安さに後押しされるように――何も考えずにこう呼んだのだった。
「……じゃあ、ムク、って呼ぶが良い……か?」
俺はこいつの形式番号の中で、69が妙に浮いて見えたから、ムクと渾名を付けた。
渾名を付ける、とはその対象に『名前を付ける』行為と一緒だ。
ムク、俺は目の前のウェディングドレスを着たミミックをそう『名付けた』事になる。
俺は知らなかった。
その行為が魔族にとってどんな意味を持つか、全く知らなかった。
だから、ムクと名付けた後のこいつの行動に、全く反応できなかったのだ。
「――ご・しゅ・じん・さ・ま・ぁぁぁぁっ♪♪♪」
ばふっ
「なぁあむっ!?」
歓喜の叫び声をあげながら俺に抱きつくムク。彼女の肌の香りと、新品のドレスの香りが、やや暖かな体温と共に俺の中に伝わってくる……。このまま安らいでしまいそうな……!?
ギリギリ……
「ん゛〜っ!ん゛〜っ!」
折れるっ!折れるっ!化け物じみたっつーか魔物の怪力で俺を抱くせいで俺の肋が危ねぇ!ギリギリ、ミシミシと俺の体が本来あげる筈のない音を挙げてやがる!
バンバンと、ムクの背中を叩くが、ムクの奴は全く反応しやがらねぇ!俺の抱き心地が気持ち良いのかよ!っつーかこのままじゃ痛みで死ねる!
そもそも何でこう呼びやすくしただけでこんな強烈なハグを受けんだ!?何だ!?こいつは俺を絞め殺す気か!?
「はぅぅっ!ご主人様ぁっ!ムクはぁっ!ムクはぁぁっ!」
興奮しながら俺を締め付けるように抱くムク。その体が、強烈に光輝き始めた!
「なっ――」
その光は、俺の意識をも吹き飛ばして飲み込んで――。
「………ん?」
次に目覚めたとき、俺は何処か不思議な空間の中に浮かんでいた。右を見て、左を見て何処をどう考えても見たことが無い風景。まるで星空の中に放り出されたような、そんな世界の中に俺はいた。
「……ここは?」
『ミミック次元(ディメンジョン)です』
「おわっ!」
いきなり耳元で声を出され、俺は驚きのあまり後ろにひっくり返ってしまった。地面にぶつかると、ぽよん、とした独特の感触が背中に伝わる。明らかに俺がいた世界ではない。
「ミミック・ディメンジョン……?」
俺が声をした方向へ振り向くと、そこにはムクの姿をした何かがいた。ムクの体はしている。だが、明らかに纏う気配はムクのそれじゃない。もっと大きな、下手に関われば命が危ない、そんな存在。それが俺の前に居た。
『ええ。私達のようなミミックが、産まれ、育ち、移動し、連れ込み、そして還る場所……』
「所々不穏な言葉が聞こえたんだが」
種族的に仕方ないんだろうが、人間としては堪ったもんじゃない。
『貴方には知って貰いたい事があります』
俺の言葉は完全スルーですかそうですか。
'ムク'は、俺の顔に鼻を触れるまで近付き、俺の瞳を見据えながら、真剣な眼差しで、訥々と話し始めた。
『あなたがこの個体――MID:269339にムク、と名前を付けたことにより、当該個体が貴方の花嫁になることが確定いたしました』
――何 で す と !?
「お……おい、それはどういう事だ……!?」
いきなり、何を言い出すかと思えば、花嫁確定宣言だと!?その原因が名前!?
『WMA協会規律第3条第3項、生涯を誓う伴侶より名前を頂いたとき、それが婚姻契約の締結である、と書いてあるのですが……』
「条文を見せてくれ!頼む!」
『見せるのは良いですが……読めますか?』
'ムク'の手から渡された紙を、早速読もうとしてみるが……これ古代語の、しかもとびきり古いやつだ。読める気配すらしねぇっつか、そもそも文字かどうかすら分からねぇ。
『……元々は、当該個体がこの条項を完全に忘れていた……というより、初めの文だけで婚姻が完結すると思っていたらしいのですが』
何と言う……ちょい待て!
「じゃあ何で名前を付けた直後にムクは俺を襲ったんだよ!」
『本能的衝動ですね。あの名前をつけられた一瞬で、我が一族の'披露宴'に呼ばれたのですよ』
しれっと言い返す'ムク'に、俺は開いた口が塞がらないと同時に、もう引き返せないだろうことを悟った。
『ちなみに我が一族の'披露宴'は、婚姻を結んだ時点で私が当該個体のブレインに'招待状'を送信するのですが』
「さっき他人事に言っといて原因はアンタかよ!?」
『その時に'主人同伴'という条件が必ずついて回りますので、それで当該個体は貴方をこの世界に連れてきた――というわけです』
「スルーしてまとめやがった!」
あぁ最早突っ込みが追い付かねぇ!?
あまりの大事具合にへなへなとなった俺は――確かに見た。
ミミックが、あちこちで祝杯を交わしたり、睦事を行ったりしている……中には、「うちの主人は……」とか世間話を交わしていたり……。
「……ははは……」
うわ〜、これは逃げられないなぁ、あっはっは。ここで逃げても、多分他のミミックに捕まって、ムクの所に返されるんだろうなぁ……。
『と言うことで、当該個体が意識を覚醒させたら、こう伝えてください。「貴女は'人間の花嫁'として、正式に認められました」と』
それは俺が'夫'として認められたって事なんだろうなぁ、と染々思いながら、俺はそのまま、全てを受け入れることにした……。
で、数ヵ月後……。
「ご主人様?今回の冒険はどうでした?」
家に帰ると、必ず聞かれることだが、俺はこう返すことにしている。
「ムク、お前も見てきただろ?」
あの後、俺達は新婚生活を送っていたわけだ。
最初の方は俺が嫌々だったが(ムクの方は最初から俺にぞっこんだったがな)、実際ムクの家事能力は素晴らしいものがあったし、何だかんだ言って俺を思ってくれているわけで、そんな中で「ま、こんな生活もありかな……」と思い始めてから、段々とこいつが可愛いと思え始めて、気が付けばこの通り。立派な夫婦が出来上がっていたわけだ。
浮気?出来るわけがない。理由は簡単だ。
俺が背負っているリュック、それはミミックの擬態用の箱と同じ製法で作られたものだ。つまり――出ようと思えばいつでも出てこれる。つまり俺は、いつでもムクの側に居るのと同じ状態だ。
ま、こんないいお嫁さんを無くしたら、俺は男としても終わるだろうがな。
っとと、早速宝箱発見。
「ムク〜、これお前の同族か〜?」
リュックを開くと顔を出してくるムク。次に腕が、胴体が、腰が、そして脚がまるでマジックか何かのように出てくる。本来入れていた中身はその瞬間、ミミック次元の保管庫に置かれるらしい。で、そのリュックの中からメイド姿のムクが出てくるわけで……そこ、どこのランプの高飛車魔神物語だとか言うな。
「ん〜、そうですね〜」
俺の予想通りの答えをムクは告げ、そのまま箱を持って出口から最も遠い部屋の隅へと移動する。別に他の冒険者のためではない。むしろ逆だったりする。
「良いご主人様を見つけてくださいね〜」
箱に呟くと、箱が幽かにカタカタと震える。それが同意の合図らしい。
そのまま箱を置いてリュックの中へと体を潜り込ませるムク。体積の概念を完全に無視しているが、そもそもミミックとはそんなもんだ。体積を気にしたらやってられん。
「………よし」
中身が完全に元に戻ったことを直感で確認すると、俺は洞窟の奥へと足を進めていった……。
fin.
おまけ
「それ……ミミックなのか?」
「ん〜?私達の子供ですか?そうですよ〜」
「いや、明らかに人間の姿だからな……」
「ま、それも含めてミミックですから〜」
「……ま〜そんなもんか。しかし、この顔……どっかで見たことがあるような……確か行方不明になったって張り紙にそんな顔があったような」
「あ、それ前に箱開けた娘さんですよ〜。ミミック次元に連れ込んじゃいました♪てへ♪」
「ってお ま え が お い し く い た だ い た の か よ っ !」
fin.
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