「おいおい嬢ちゃん……そんななまくら剣で俺達に挑む気かぁ?」
そのような軽口を叩く男の行く末など、大概たかが知れているもの。衣類さえ見ても、高級品も低級品もあったものじゃない継ぎ接ぎ服に、簡易の胸当てをつけているだけのもの。武器は通常よりは長いナイフ。リーダー格の男は、それこそ腕の第一関節ほどある長さの刀を手に持っている。
その男達の背後には、三〜四匹のゴブリンやラージマウスが、棍棒や爪を構えて乱戦に持ち込もうとしている。
「……」
一方の少女は、氷のような冷たい視線を男達に向けながら、手に持つ愛剣を高く掲げる。少女の身の丈以上あると思われるその剣は、男達が言うようにあちらこちらに刃こぼれが目立つが、それでもなお澄んだ輝きを放っていた。
丈夫な布製の服の上に、肩と胸、そして腰回りを防護する簡易の鎧を身に付け、手にはガントレット、足には金属製の具足を履いた少女は、蜥蜴を想起させるような尻尾を一度……二度地面に叩きつけた。砂埃が、風に流されていく……。彼女の褐色の髪も、砂と同様に風に踊った。
目を閉じ、再び開いたとき、少女の瞳には――先程は見えなかった、戦意の炎がめらめらと立ち上っていた。
下卑た笑いが響く。まさか少女が、歯向かってくるとは思っていなかったのだ。次々とナイフを構えながら、近付いてくる男たち。その会話を縫うように――。

「デュランダーナ流剣術継承者――リズ、参る!」

少女――リズは、そう高らかに宣言したのだった。

――――――――――――――

「さて、これでようやく……剣が直せますね」
近くにいた自警団に『強盗組織フィスバック』のリーダー以下数名の身柄を受け渡すと、少女――リズは体の砂埃を叩くと、冒険者ギルドに向かうことにした。今は何より、お金が必要。
父親を剣術で打ち負かし、旅に出た後も着いてくる両親を何とか剣術で説得させてようやく出た一人旅。その御伴となる愛用の大剣が、切れ味が鈍くなってきたのだ。そもそも大剣の武器性質上『叩き斬る』事が中心になるとはいえ、このままでは斬ることすら出来なくなってしまう。
剣術は剣と一体のものである以上、剣の磨耗は見過ごせない事態であった。多少は自ら磨くなり手入れすることで寿命を長らえさせてきたが、流石にそれも限界に近い。
「ぅぅ……好きでなまくらにした訳じゃないのですがぁ……」
先程の一言は剣士として以前に、乙女心にぐさりと痛かったりする。膂力が人間の成人男性平均よりもあるリザードマン族の一撃は、それこそ時として武器ごと相手の体を吹き飛ばすことも可能なほど強烈だが……如何せんその衝撃を武器も受けていたりもするのだ。人以上に力押しの剣技に向いているリザードマン族は、必然的に武器の消耗速度も激しい。
定期的な簡易メンテナンスで多少は軽減できる負担もあるが、それだけではどうしようもないところまで来ていた。
「でも……これでようやく直せます」
故にスペアのブロードソード(片手用)を用いて、武者修行も兼ねた用心棒の仕事――兼バウンディハンターをやってはいたのだが……そのブロードソードすら、今では刃こぼれが激しい。そもそもの質すらそこまで良いものではなかったので、『なまくら』と呼ばれても仕方がないような外形はしていたのだが……。
それでも、金はようやく集まった。後は工房に持っていけば、ようやく修理が出来る……!
「そうと決まれば、早速工房へと向かいましょう!あぁその前にお金を貰わないと……」
リズは剣を鞘にしまって、冒険者ギルドの方向に体を向け直し、そして固い鱗で覆われた足を進めていった……。

――――――――――――――

だが、待っていたのは苛烈な現実だった。
「嬢さん……どんな使い方したらここまで使い込めるんだい?形を保ったまま天命を迎えた剣を目にすることは鍛冶屋の中でも一握りだと言うが、まさか自分がそうなるとはねぇ……と言うわけだ。正直に言う。
この剣は寿命だ。どうにも直しようがねぇよ」
同時に付け加えられたことは、「嬢さん、アンタ、良い剣士だねぇ」だが、正直嬉しさを感じる事は出来なかった。
「えっと……つまり、買い直し……と言うことですか?」
リズの呆然とした声を気の毒に感じながらも、工房の店主はゆっくりと、首を縦に振った。同時に、店の商品を幾つか安価で薦めたが……どれもリズが扱うには軽すぎた物だったので、リズが買うことはなかった。
剣は軽ければいい、と言うものではない。当人の膂力との差があまり無いものこそが、真の威力を発することが出来るのだ。膂力のある人が軽い剣を振り回すと、筋繊維を傷つけ、関節を外してしまうことすらある。
人の都で行われる'オリンピアス'という競技会で行われる砲丸投げでも同様の事が言われているが……それはさておき。
仕方ないので、ブロードソードの方を廃鉄として工房に渡すと、リズは礼を言って店を出る事にした。――溜め息は出てばっかりだったが。

「……はぁ」
そして同様の溜め息を、今このショーケースの外で漏らしている。
幅広の片手剣――ごく一般的に量産されているものにしては質が良さげだ――と、大剣――リズの膂力に合っている――を目線が行ったり来たりしているが、値札に書かれているのは、どちらも現在のリズの所持金よりも遥か上の価格であった。どう足掻いても買えない。0が一個多いのだ。
「どうしてこんなに高いのですか……?」
店を離れ、とぼとぼとリズは足を進める。
「……ょうがねぇ950!」
「……550にし……」
近くの店では値段交渉が行われているが、そこまでのトークセンスはリズには無かった。頼み込む、というのも手段の一つとしてはあるが……馴染みの店なら兎も角として、いきなり訪れた店ではそうもいかないだろう。
「どうしよう……」
さらにお金が必要になってしまったリズ。さすがに野盗紛いの事はしたくない。かと言って、用心棒を続けるのにも限度がある。
となれば大会、それも剣術の使い手の集う武闘会に出て、賞金を貰うというのが一番手段としては真っ当か。だが――、リザードマン族となると少し事情が違ってくる。

『リザードマン族の掟
・相手と果たし合いを行い、負けた場合、自らを負かした相手の嫁として子孫繁栄と武術発展に務めよ』

と……彼女達にとっては、武闘会場が壮大なお見合い現場も兼ねているようなものなので、迂闊に金銭目当てで参加するわけにもいかないのだ。ただの野盗相手ならどうにかなっていた腕も、大会ともなると訳が違う。
「……こうなったら……」
リズは頭の中でこの先どうするかを考えてみた。
1.剣を買うために稼ぐ→用心棒を限界までやる。
2.剣を作ってもらう→材料を自ら集める。
3.剣を直す→無理。
この中で、もっとも良い剣が出来るのは2だろう。ただ確実なのは1だ。確実をとるか、剣の質をとるか……。
「……んあああああああっ!」
悩んでいてもしょうがないと、リズは大きく頭を左右に振って雑念を追い払うと、そのまま冒険者ギルドへとまた、向かうことにした。今のところ、とれるのは1の手段が最適なのだから、と……。

――――――――――――――

「どうも。君がリズさんかな?」
「あ……はい。リズ=デュランダーナと申します」
飛び込みで申し込んだ依頼は、行商人の馬車の護衛だった。元来その手の依頼は得られる資金は少ないのが通常だが、この依頼では意外なことに通常相場の二倍から三倍の報酬で募集が行われていたのだ。それでも他の仕事の報酬の方が大きい辺り、護衛の報酬がいかに恵まれていないか分かるだろう。
「ははは……畏まらなくても良いよ。僕はブロックス=モーシュ。じゃあ、これから仕事の説明をするね。大体の内容はもう聞いているだろうけど……」
季節柄、大陸では涼しい風が吹き付ける昼過ぎ。リズは鱗と鱗の間隔が縮こまるのを感じながら、吹き晒しの風の中、街の外にてブロックスの話を紙にメモしていた。
今回の仕事は、大陸南部の港町にまで荷物を届けに行く馬車を護衛するものだ。中身に触れないのは、護衛役の当然のマナーである。
大陸北東部から南部までは一週間から二週間はかかる。その間に掛かる食費等は一切がブロックス側が負担。怪しいと思えるほどの厚待遇だ。しかも、魔物である彼女に対しても、人間の護衛に対しても、全く額や待遇は変わらないという。
「魔物だ人間だを気にして手を抜く手合いは雇いたくないからね。僕はどちらも等しく扱うよ。'護衛役'としてね」
大概の人間がこの仕事に寄り付かなかった原因がこの一言だ、とブロックスはリズに話していた。'フリスアリスのお膝元'の冒険者ギルドではそのような傾向は無かったけれど、人がさして集まらなかったのは単なる報酬の問題か。
集まったのは……何故かブロックスに熱視線を送るハーピーが一匹と、ジョイレイン地方までは同行するというワーウルフが一匹。
「ぴゅう〜っ!ノアさんお久しぶり〜っ♪」
「お久しぶりです、テュホンさん」
どうやら顔見知りらしい。ハーピーの方は裏表が無さそうな明るい声でワーウルフの方に話しかけているが、ワーウルフの方はどこか陰を含んだ声で返している。煩わしい、と言うわけでもなさそうなので、関係自体は良さそうなのだが。
二人でしばらく挨拶をしていた彼女らだったが、リズに挨拶をしていなかった事に気付き、二人とも頭を下げる。
「テュホン=ラルディンだよ♪リズさんよろしく〜」
「どうも、ノア=レギーアです。私の同行はジョイレイン地方までですが、よろしくお願いします」
対称的な挨拶だ。どちらかと言えばノアの方が冒険者としては正しいか。
改めてリズも挨拶をし直し、一同が思い思いの位置に座ったところで行商の馬車は動き始めた。
御者はというと……?
「たいへいよ〜♪たいせいよ〜♪こ〜こ〜いったい〇〇へいようよ〜♪」
言語の意味が掴めない謎の歌を歌いながら馬二頭を走らせる御者は、色黒な肌の、アフロヘアーの女性だった。
「ポニー、ポニー。旅の予定は?」
どうやらポニーという名前らしいその女性は、グッと親指を立てながら歯を光らせ、ステキスマイルを浮かべながら明るく答えた。
「ブロックス、ブロックス。明後日の昼には大陸のセントラルラインを超えるよっ!そっからは盗賊さんの出方次第さね」
セントラルラインとは、大陸中央部の聖都を中心として、東西南北に引かれる線の事だ。つまりこの線を越えれば大陸南東部、と言う事になる。そして、ジョイレイン地方はさらにその南の方に位置する。
フリスアリス家が治める地方は自警団が周辺街道の警備をしている(リズが盗賊団を引き渡したのもその自警団だったりする)が、ジョイレイン地方はと言うと、その辺りの緩みが見られたりする。それは恐らく先代領主の性格が強い。
『道を塞ぐなら、轢き殺されても文句を言うな』
簡易とはいえやり逃げにならない程度に弱者救済制度も整備している一方で、このような発言をさらりとしてしまうマジュール公であった。
ともあれ、北東部から東部にかけては、このような小規模の行商人を狙うのは大体新興の盗賊団くらいである。古参の大所帯の盗賊団は――それこそ王や領主への大量の荷物を人ごと強奪することもありうる。だから――。

「――はぁっ!」
リザの持つ大剣が、ナイフを持つゴブリンの胴を打ち据える!横一文字に振り抜かれた剣によってゴブリンは吹っ飛び、他のゴブリンを巻き込み倒れた。その一方で、
「とぁあああっ!」
ノアは折り畳んだ膝を、リーダー格らしきワーキャットの鳩尾に叩き込んだ。飛ばないようノアに押さえ付けられたワーキャットの体はその一撃を体の真から受けてしまい、『く』の字に曲げたまま悶絶した。
人と共に暮らすのを止めた魔物は時として徒党を組み、犯罪を働くという。彼女らもそうした魔物の一団なのだろう。
実際リズは、このような手合いと何度も打ち合ったことがある。コボルド、オーガなど、外見的――というより性格的に人間に受け入れられなかった種族が大半ではあるが。外見は魔王の魔力のせいで(一部を除いて)全員が美女美少女と化している。だが性癖は兎も角、性格までは魔力は浸透しなかった。
故にこのような『ツマハジキ』者が出てくる。誇り高きリザードマンの家系であるリズからすれば、道理を外れた者が道を塞ぐならば、打ち倒し道を開くと考えている節があるのだが……。
「……」
全員打ち倒した後、馬車の中に入り込むと、ノアはじっと押し黙ったまま、何かを考えているようだった。――その表情はどこか
「……?」
リザードマンの聴力は人間とさほど変わらない。むしろ気配探知能力に長けている分、若干悪いくらいだ。だからノアが何やらゴニョゴニョと呟いているのを、声として捉えることが出来なかった。
「……ノアさん、どうしたのですか?」
だからこそ――こうして近付いて尋ねたのかもしれない。
「……」
ノアは返事をしない――いや、気付かない。声かけられたことすら彼女は気付いていないのだ。耳は音を捉えたのか、ピクピクと動いているが……。
「……ノアさん?」
二回目、耳元で話し、ようやくノアは声を感知した。
「――え、あ、ご、ご免なさい!少し考え事をしていまして」
あわあわと、気恥ずかしそうに返答するノアを、リズはじっと見つめていた。
「……悩みごとですか?」
「……ですね……」
沈黙。依然としてリズの瞳はノアを捉えたままである。戦いの中で迷いが生じれば、待つのは即ち死。それはパーティを組む上で防がなければならないことだ。
誰かを見捨てることなど、リザードマンの誇りにかけて出来る筈もない。
「……あの……」
リズは恐る恐る、口を開いた。
「もし良ければ……その悩みを教えていただけますか?解決できるかどうかはわかりませんが……、多少は気が楽になるかもしれませんよ?」
「……」
沈黙を続けるノアに、出すぎた真似をしたかな……とリズは自らの軽率な行いを恥じた。今ならまだ失礼な事を聞いたと謝れば済む。そう再び声に出そうと口を開いて……。

「……先程の彼女達は……'魔物だから'ああしていると、思っているのですよね……?」

しかしその行為は、ノアの口から響く沈痛な声に阻害され、実行されることはなかった。
「え……?」
困惑するリズに、ノアはさらに続ける。それはまるで、心の底に溜まった悲しみを、ゆっくりと外に出していくように、訥々としたリズムで話されていった。
「……魔物だから、人間とは違うから、人間の仲間に入れることは無くて、生きるためにあぁしている……そうなんですよね?」
「……」
今度はリズが黙る番だった。リズはその類いの理解は、相手への不要な同情として考えている節がある。それが剣技の道に実直な故の思考ではある。だが……目の前の若いワーウルフの少女がその思考を持ち合わせているわけではなく、また共有できるわけでもない。
「でも……それって、人間と変わらないんですよね……。爪弾きにされて、行く宛もなくて、はぐれた人同士で集まって……」
「……ノアさん?」
何故そこで人間が出てくるのか、聞いた当初はリズには理解が出来なかった。だがそれは、ノアの次の言葉で嫌と言うほど理解することになる。

「……不思議ですよね。姿形が変わるだけで、こんなにも扱いが変わるなんて。元は大して変化してないかもしれませんのに……」

「……」
ノアは……恐らくは元々人間だった娘なのだろう。それが何らかの理由でワーウルフになった。その後に、詳しくは解らないけれど味わったのかもしれない。――魔物に対する、根深い差別を。
リズ自身も、そうした経験は何度かある……と言いたいところだが、実際背後に馬鹿親が二人付き添っていたようなものだったので、被害はほぼ親が受けてはいた。それでも、差別の存在は感じている。
それでも、彼女の受けた傷の深さを理解するには、根本的なものが違うのだ。
リズは、生まれついての魔物。対して彼女は――変化してしまった魔物。相容れない存在として嘗ての同族に見られた、その言い様の無い崩壊感。自らが知らぬ間に、根底から変化させられていた、それに置き去りにされたような喪失感。それを感じることなんて……。
「……ノアさん」
「……あっ!ごめんなさい……仕方ないことではあるんですよね……私は誰が見ても、魔物にしか見えないんですから……」
きっとそうやって『仕方ない』と呟くことで、自らを納得させようとしていたのだろう。けれど実際のところ――それは無理だ。心から納得するために必要なのは、諦めではないのだから。
「……」
リズは内心歯痒かった。剣の腕は磨いてはいたが、その強さでは……この問題はどうしようもなかった。
彼女のこの疑問――いや、懊悩を解決するのにも、当然のごとく強さが必要だ。
『剣の道とは、人斬りの修羅になることではないよ。自らの心を止水に保ち、風を受け流す柳のようにしなやかに全てを受け止め、先を切り開いていく。それは扱う剣が剛の剣でも変わらない』
かつて父が、母と共にリザに語ったことだ。母からはリザードマンとしての誇りを暗唱できるほどに語られたが、それよりも何よりも、父の言葉がリズの胸には残っている。
果たして、父の言うような強さは自らの内に在るのか……問いかけるまでもなかった。
――まだ道は半ば、か。
改めて自らの未熟さを思い知った彼女の背後。護身用のナイフを磨いている今回の依頼人、ブロックスが――すっと、口を開いた。

「……仕方なくなんか無い……仕方なくなんか無いさ」

「……はい?」
困惑したような表情を浮かべるノア。それはリズも同様であった。彼にも聞こえていただろうとはいえ、おおよそ反論が来るなどとは考えてもいなかったからだ。
そんな二人の戸惑いをよそに、ブロックスは前の座席に身を乗り出した。
「……諦めが作るゴールは、ゴールの名を騙ったリタイアだ。これまでの全てをふいにして、何もかもを手放して、そして何もなくなるのか?それをするには、剰りにも君は若いだろう……ん?」
と、そこでブロックスは何かを思い付いたらしく、羊皮紙のメモ用紙に羽ペンで何かを書き連ねていく。さながらフローチャートのような墨絵を、指の先から肘関節分の長さ描き、少し考えるような仕種を見せた後――。

「――ノアさん。この仕事を終えた後で構いませんので、僕らのところで一緒にお仕事致しませんか?」

「……はい!?」
突然の申し出に、ノアは明らかに困惑……寧ろ驚愕の表情を浮かべ、すっとんきょうな声をあげてしまっていた。尤も、リズも同様の立場であれば、同じ様な声を挙げていただろう。
あまりにも――唐突に過ぎる。申し出の内容が。
「ち、ちょっと待ってもらえませんかブロックスさん。ど、どうしていきなりその様なことを」
「いいかい」
あわあわとしどろもどろになりかけながら喋るノアを、ブロックスは制した。押し黙るノアに、ブロックスは諭すように続ける。
「君の悩みは、一朝一夕で答えが出る類いのものではない。かと言って、家の中で考えに考え抜いて答えが出せるものでもないんだよ。
君のお兄さんであるガラ氏と姉であるヴァンさんは、君に応急処置は施してくれただろう。それが家族として彼らが出来る最善の行為であり、その内容も至極正当だ。
けれど……その与えられた答えを君は心の底から受け入れられたかい?」
「……」
リズには、ノアが反論したがっているようにも見えた。そんなこと無い、と言いたいように思えた。
だが、反論することなど出来ず、ただ俯いたまま黙り続ける。ノアも気付いているのだろう。答えの一つ、或いは答えへの道を与えられてなお、心の中にはわだかまりが残っていることを。
「それで、僕なりに君の持つ悩みに対して、何が出来るかを考えてはみたんだ。同時に、何が君に足りてないか、もね。
――単刀直入に言うならね、ノア。君には判断材料が足りていないよ」
「……判断……材料」
心の中に刻むように、一字一句繰り返すノア。きっと頭の中で色々と考えているのだろう。
リズは馬車の外を眺めた。時間的には夕日が森に沈む頃。野盗に襲われたのが昼過ぎであった筈だから、相当時間沈黙を保っていたようだ。
「『足の無いルルララ』の話は知っているかい?『蒼玉の詩人』は?『キャロライン姉妹』に『緑柱王ノラ』は?『炎爆者クオルン』に『神槍』に……」
「……え……え……あ……」
次々と出されていく名前。その殆んどが、ノアにとって未知の名前であった。リズも……『足の無いルルララ』と『蒼玉の詩人』くらいしか知らなかったりする。あとは『神槍』。彼女はリザードマンの伝説の戦士なのだ。
「他にも色々な人はいる。色々な魔物がいる。今まで関わってきた相手だけで判断するのは、少し早計というものじゃないかな?
どうだい?僕達と一緒に世界を回ってみる、と言うのは。答えを出すのは、それからでも遅くはないと思うんだけど」
「……」
再び沈黙が包む馬車。しばらく後、土の盛り上がりに触れてガタン、と馬車が揺れたのを切っ掛けに、ノアが口を開く。
「……少し……考えさせてください」
「構わないよ。この仕事が終わって、僕がジョイレイン領に戻るまで、ゆっくり考えるといい」
そのまま、馬車は車輪の音とポニーの鼻唄のみが響くようになった。その音に耳を澄ませながら、リズは自らの強さについて、ずっと考えていた……。

――――――――――――――

生物である以上、四六時中ずっと動き続ける事など出来はしない。当然の事ながら、睡眠が必須である。睡眠せずに動いたとして、判断力という点で白昼時に段違いに劣るだろう。
さて問題。強襲をかけるのに効率の良い時間は?
「フフフ……随分不用心に寝てるよねィ」
目の前の馬車の前に立つ、人間を頭にした盗賊団。その頭目とおぼしき人物は、既に馬車を取り囲むように陣を組ませていた。
「頭ぁ。ブッ込みますかぁ?」
「ああ……3でブッ込むぜィ」
じりじりと、馬車への距離を縮めていく盗賊団。団長のカウントが……1……2……3!
「オラァァァァァ――ッ!?」
閧の声を挙げ、馬車に襲いかかろうとした盗賊達の体が、突然動かなくなった!文字通り、体が地面にくくりつけられたように固定されたのだ!
「か……頭ぁっ!」
「体が……一ミリも動きやしねぇっ!」
「畜生っ!何だってんだこれはぁ!フザケンじゃねィ!」
彼らは知らない。馬車の荷台部分の天井には罠系の魔方陣が描かれており、特定の時間中に馬車周辺5mに訪れた生物を、全て地面に縛り付けてしまう事を。ちなみに解除方法は魔方陣に自らの名前をルーン文字で前もって記す事だが、そんなことを知る筈もない盗賊団は、朝が来るまで……いや、朝が来ても絵画のような格好で固まってしまっていたのだった……。

そして早朝。
「……」
日もあまり上がっていない時間帯に、妙に回りが騒がしい事から目が覚めたリズ。おおよそ予想がついてはいるが、一応覗き窓から外の様子を覗いてみると……?
「……うわぁ」
野盗が夜討ちを狙って襲撃した様子がありありと分かる格好で……外で固まっていた。
筋肉的にも相当無理な格好で数時間止められているせいか、一部の野盗の顔が……明らかに痛そうである。
「……」
日の出方から見ても、多分五時くらいだろう、そう見当をつけたリズは、
「……す〜」
そのまま、また寝ることにした。はっきり言って、犯人に同情する気など更々無かったのだ。無論、朝になればテュホンに自警団を呼びに行かせる事も考えて……。

――――――――――――――

リズが護衛を始めて三日目。盗賊団を自警団に引き渡し、各自臨時報酬を受けとると、日の出たばかりの北東部を南下していった。
徒歩で旅をしていたときとはまた違った風景。尤も、徒歩の時は大概寝床探しに終始していたせいで周囲の風景を見る余裕なんて皆無だったのだが。
「――わぁ……」
わりと森が多い北東部だが、セントラルラインが近付いてくると、段々と森に代わって草原が目立つようになってくる。フリスアリス領は遥か彼方、そう思わせる風景だ。
「この辺りの風景はどうよっ?」
荷台の上で哨戒任務兼風景展望を行うリズに、ポニーが振り返らずに聞いてきた。
「素敵だと思いますよ。空気も綺麗ですし、何より……生き物の営みを眺められますから」
草原では、野ウサギが蝶を追うように跳ね、親ウサギがそれをたしなめるように追いかける。
野生の馬が草を食み、遠くで牛の鳴き声が高らかに響く。
狐が草の間から獲物を狙い、その遥か後ろで狐を狙う虎の姿が見える。間違いなく、間違えようもなく自然の――厳しいルールが支配する風景だった。
「――ハハッ、アンタ相当の変わり者さね」
「失礼な。私からしたら貴女も髪型的に十分変わり者かと思われますよ?」
「アタシは慣れてっからいいのさ」
どこかサバサバした喋り方をする人だなぁ、等と呑気なことを考えつつ、リズは周辺に気を張る。何時何処から野盗が襲いかかってくるか分からない以上は、荷台の上でただ寛ぐわけにはいかない。と言うよりそもそも、自分は仕事に来ているのだ。旅のようなものだが、旅行とは違うのだ。そうそうリラックスしてはいられない。
ちなみにノアは、馬車のドア付近で待機している。もしも敵襲があった場合、即座にドアを開いて外に転げ出るように準備もしている。
と――。

「ぴゅう〜っ。セントラルラインが見えてきたよぉっ♪」

羽伸ばし兼上空からの偵察を終えたらしいテュホンが、風に乗ってふわりと荷台の上に着地した。
「重畳だねぇっ!順調も順調な旅さね。適度なスリルもあり、かと言って大きな危機もない、最高さね!」
今まで書かれてはいないが、一応ポニーも戦っている。左手で鞭をしならせ相手を拘束しつつ、右手で殴ると言うある種無茶な戦法ではあるが。因みにポニー曰く、
「ワタシが右手で鞭を持ったら、なるべく私から離れる事。周りの奴全員しつけちまうからねぇ!あっはっはっ」
豪快に笑うポニーの瞳に、どこか剣呑なものを発見した魔物二人は、絶対近付くまい、と悟ったとか。
「もともと彼女は調教師だったからね」
ブロックスの言葉に、思わず何の調教士か聞きたくはなったリズ。ノアも同感だったが……理性の奥底で理解を越える恐怖心を覚えたので、互いに聞くのを思い止まったという。そんな彼女だからこそ、敵襲をスリルなどと平然と宣えるのだろう。
兎に角、その後も特に敵襲もなく、一行は最良の予測通り昼過ぎに、セントラルライン内の関所に辿り着いたのだった。

――――――――――――――

「……年々高くなるね……ここの関所の代金」
手元の小銭を寂しそうに数えながら、何処か寂しそうに呟くブロックス。
「'ジョイレインのバカ'は何してんだい?」
'ジョイレインのバカ'とは、ジョイレイン公爵子息マトシケィジ=ジョイレインを、ポニーが呼ぶときの愛称(?)である。因みに普通は'傾き者'の愛称で呼ばれているがそれはさておき。
「あぁいうのは現場で相当量ピンハネしているかもしれないから、誰かが惨状を訴えない限りどうしようもないし、正直、平均相場三割増し程度で訴えていたら僕は商人やってられないよ?」
実際、南北に走るセントラルラインの、北側の関所では平然と十割を吹っ掛けられることも時としてあるくらいだ。そこは領主と繋がっていて、国防や内政用に使われているので、商人が惨状を訴える先がなかったりもするのだがそれはさておき。
「ふん……そんなもんなのかね?」
納得いかないような声をあげて、馬の手綱を握るポニー。その後ろの荷台の中では……。
「……っと……」
ノアが羊皮紙に、何やら文字を書き連ねている。時々迷うように筆を止めては、何かを振り払うように首を横に振ってまた書き始める。そうした行動を何度も繰り返していた。

「……」
荷台の上でリズは、改めて瞑想を行っていた。ブロックス氏曰く、ジョイレイン領は盗賊も強いらしい。その分街の人も、強い力を持っているらしいのだが。
故に自らに問いかける。風の吹き晒す野で、敵と相対する覚悟を、己に改めて問うのだ。
「……」
剣の寿命は、とうに過ぎている。折れるのも時間の問題だろう。
「……」
ならばこそ――。

「……よし、瞑想終了」

自らの中で一先ずの答えを出したリズは、何時出発するのかを訪ねに、荷台の先端からポニーの方に顔を覗かせたのだ。

ちなみにテュホンはご機嫌で青空の中を縦横無尽に飛んでいる。時々歌声が響く辺り、相当気分はハイのようだ。
「さん〇、〇っそ、〇さんか〇んそ♪」
……相変わらず歌っている歌はどこで知ったのか分からない歌だが。

ともあれ、一行は無事セントラルラインを抜け、ジョイレイン領に向けて再び馬車を進めていく……。

――――――――――――――

「ところで……リズさん」
夕暮れ時に差し掛かる頃、賞金の掛からないような小規模な盗賊を何組か打ち倒し野晒しにした後で、ブロックスは唐突にリズの隣に座り話し掛けてきた。
「はい、何でしょ……う……!?」
何気なく返そうとしてブロックスを眺めたリズは、その背後に――馬車の外とは言え、黒い影が踊るのが見えた。咄嗟に脇差しを振り抜こうとする彼女の腕を、ブロックスはそのまま制す。
「僕の言うタイミングで投げて。そろそろ来ると思っていたんだ」
様々に指摘したい事はあった。何故制止するのか、あの黒い影は何か、何故タイミングを計るのか。だがこの状況……恐らくブロックスに従う必要は、確実にある。
「……」
外の影に悟られないよう表情一つ変えず、相手の死角となる位置で手を用いて了承の意を伝える。
「……」
相手から死角になった位置で、ブロックスはリズの太股で拍をとる。背後では、黒い影が段々とこちらに近付いてきていた。
「……。……。……」
とん……とん……とん……。太ももに伝わる小さな打撃は、徐々にリズを瞑想時に近い状態に追い込んでいく。五感の全てが研ぎ澄まされて、馬車の外にいる敵の位置まではっきりと感じ取れるような――!?

「……っ!」

ブロックスがリズの太股に軽く爪を立て、そのまま軽く引っ掻いた!同時にリズは脇差しを抜き払い外に向けて投げた!壁に引っ掛かる筈の脇差しは、そのまま壁を通り抜け、黒い影の方に速度を保ったまま飛ぶ!
黒い影は咄嗟に避けきれずマントを貫通される。気付かれたと知ったのか、そのまま逃走姿勢をとろうとするが――!?
「『風縛(ウィンドチェイン)』!」
荷台の外、遥か上空から澄んだ声が響くのと同時に、黒マントの男は地面に倒れ込んだ。よく見ると、手足が何かに縛り付けられているようにも見えた。
「……ふぅ」
問題が解決したような、開放的な溜め息をつきつつ、ブロックスは戸を開き、黒マントの元へ近付いた。上空からテュホンがゆっくりと降りてきて、彼の真横に立った。
「有り難うね、テュホン」
「ぴゅうっ♪」
元気の良いテュホンの返事を聞いたブロックスは、背後にリズを引き連れて、男に近づく。
果たして縛られているのは、素顔を仮面で隠した成人の男性であった。少なくとも……女性と言うには肉のつき方が明らかに違う。うぅ、うぅと呻く気配もなく、ただずっとじっと動きを潜めている。
「……さて、僕は少なくとも、他者に恨まれるような阿漕な商売は全くやったことはないのですが、何故に『僕を』狙ったんですか?」
「……」
口を開く気配のない相手。元より返事が来る物とは思ってもいないのか、特に苛立った様子もなく、ブロックスは続けていく。
「静かですね。静寂は好きですよ、自分は。喧騒とはまた違った、独特の音が耳に届きますからね」
まるで世間話をするかのような気安さで、黒マントの男に話しかける彼の後ろで、リズは今一度、辺りを見渡した。どうにも、嫌な気配が拭えない。
それは馭者台に座るポニーも、荷台の上に隠れるように臥せるノアも同感らしく、武器を構え、周囲の気配を窺っている。唯一テュホンだけは何も分かっていないかのように首をかしげるだけだ。
「(……野盗では、ないですね)」
野盗なら、寧ろ威圧のための殺気を剥き出しにする筈。だが、この周囲にそのような殺気を漏らす存在はいない。なのに、異様に嫌な気配を感じ続ける。
あるのに、無いように見せかける手法……?それを取り続ける意味は一体……。リズの疑問は、単に彼女がその存在を知らないが故に生じたものであった。いや、一般人は知る筈もないことである以上、リズの疑問も当然ではあるだろう。
故にブロックスの発言で、彼女はその存在を知ることになった。

「……そう。木の根をかじる、『ニーズヘッグ』の歯の音がね」

その言葉が発せられた瞬間、リズの……いや、馬車の周辺で膨大な殺気が膨れ上がった!二人……五人……九人……!
「……!」
咄嗟に使い馴れた、壊れかけの剣に手をかけ、構えるリズ。既にポニーも鞭を構え、ノアも荷台の上に立っている。
「やれやれ……存在を知っている以上は抹殺ですか。随分と分かりやすい行動ですね。――らしいンですけど」
ブロックスは構えない。いや、口を開くだけで微動だにしない。まるで'襲ってくれ!'とでも言わんばかりに、立ったままでいるのである。
「……」
黒マントの男は、相変わらず何も出来ずに転がっている。そう、自決用の薬や舌を噛むことすら出来ないのだ。仮面の奥に秘める表情は一体、どのようなものなのだろうか?
一瞬の時を置いて、テュホンが今の状況に納得したように――表情を固定した。そのままブロックスが指で小さく合図すると……?

「――『音切り風(ソニックブーム)』!!!」

轟    々    っ   !
「「ぐ、ああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」」
突如、周辺の生物すら吹き飛ばすような強烈な風が、荷台周辺の草むらに、刺さるように吹き付けてきた!圧縮された風が、さながら無数の刃を巻き込んだように周辺の草すら斬り倒していく!そこに巻き込まれたように――五人の黒マントの男が吹き上げられ、風の刃に切り刻まれていった!
「!?」
先程までの気配は、確かに十人以上いた筈だった。にも拘らず五人だけしか吹き上げられていない……?
戸惑いつつも剣を握るリズ。行動不能になるほどの傷はないからだ。もしも落下後襲い掛かられるとしたら……構えていなければ対応することも出来ない。生きるための剣は、武道とは違うのだ。
「さァて、せめて僕らを襲った理由くらいは聞かせていただきましょうか」
そう言われて言う相手は居ないだろう科白を平然と吐きつつ、黒マントの男に近付くと……胸元から何かを取り出すような仕草を始め――!?

「!?」

夕暮れの景色、それが一ヶ所、確かに歪んだ。陽炎や召喚魔法とはまた違う、空間の歪み……!?
「――っ!」
ノアだけは真っ直ぐに、その歪みに――正確に言えばその少し左辺りに超速度で近付き、捻りを加えたサマーソルトを打ち出した!
「がっ……っ!」
その途端、空間偽装の呪文が解ける。例によって黒マントの仮面男が、鳩尾を完全に抉られ、空に吹き飛びながら気を飛ばしていた。
同時に、殺気とは違う、不安を持たせるような気配が消えた。少なくともリズはそう感じたし、ブロックスも……同様のようだ。
カシャ、と音を立てて胸元から引き出されたそれは、筒状の物体に、握りやすいよう加工されたもう一本の筒が刺さり、ちょうど人差し指が当たる部分に引き金らしきものがついている。
「もし言わなければ……貴方の体にこの呪式を刻みますよ」
ぽう……と、銃口に謎の魔方陣が浮かぶ。そのルーン式を眺めた暗殺者の表情が――明らかにこわばった。従来ならば変わらない筈の彼らの表情を、あっさりと変えてしまうルーン……。
「……!!!!!!」
それでも話さない暗殺者。いや、話せない。死ぬことも、逃げることも出来ず、生殺与奪を完全に奪われ――!

「……残念だよ」

ブロックスは、言葉とは裏腹に何の躊躇いもなく引き金を引いた。男の額に呪印が刻まれ――動きを止める。事切れてはいないが、気をやってしまったようだ。
「………」
黙ったまま、他の暗殺者にも同様に呪印を刻み込んでいく。その瞳には……どこか悲しみのようなものが見てとれた。
リズは、無言で剣を納め、草むらを背に荷馬車の中に入っていく。それにノアも続き、最後にブロックスが入ったところで……馬車は再び歩みを始めた。テュホンは既に、馬車の上に乗っていた。
「……」
誰もが無言のまま、斜陽が山に沈む中を、一行を乗せた馬車は進んでいく……。

――――――――――――――

ブロックスは馬車内で、すっかり夢の住人だ。どうも、あの銃を使うと一発ごとに、魔力に加え相当量の体力を消耗するという。
日が暮れ、馬車の中のブロックスに毛布をかけたリズが外に出ると、酒を手に取ったポニーが焚き火の近くで彼女を手招きしていた。恐る恐る近付くと、「なぁによそよそしく近付いてんだい?」とばかりに鞭をしならせ引き寄せ、酒を強引に喉に入れさせられたのだった。
「〜〜ッ!っはぁっ!げほっ!げほっ!な、何てことするんですかポニーさん!」
喉を焼く酒に噎せながら、涙目で叫ぶリズに、ポニーはあっはっはっと大声で笑い、さらに酒を注ぐ。
「ほらほらぁ!もう一杯や ら な い か!」
「やりませんよぉっ!ちょ、待って助けてノアさぁん……ってえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」
必死で、同業者のノアを呼ぶリズだったが……時既に遅し。
「きゅぅん……あ〜りずちゃぁん〜」
「ぴゅうう〜めがまわるよぉぉぉぉぉ〜」
地に伏せ、顔を赤くしながら手を振るノアの隣で、本当に目を回しているテュホン。どうやら二人とも既に被害に遭ったらしい。あぁ孤立無援。
「ふふふ……逃げるなら……いや、もう遅いのさよ」
野獣のごとき気迫で酒を迫るポニーに、リズは悲痛な覚悟を決めるのであった……。

……二時間後。
「うぅ……フラフラします……」
荷台にもたれ掛かりながら、リズは生きて帰れた幸運と、リザードマンの体に改めて感謝した。蜥蜴とて爬虫類。爬虫類が神話に於いて酒豪が多いのは周知の事実。とはいえ、御神酒以外では酒を飲んだことのない彼女は、ポニーの通常量を超えた強制飲酒によって、完全に酔う羽目にはなってしまったわけだが。
「体が……熱いです……」
飲まされた酒の度数が酷い。今は何とか馬車の外に顔を出させて俯せに寝かせているポニー然り、一杯で既にばたんきゅーしているノアとテュホン然り、無事であった例が周りにいない。
他の種族には発情期と言うものがあるらしいが、恐らくきっとこんな感じなのだろうと、おぼろげな頭で考えていた。
「……」
このままではいけないと、荷台の上で再び瞑想を始めるリズ。夜風が気持ち良く、眠りの世界に誘われてしまいそうではあったが、それすら堪え、芯を失った心に軸を加えようと、目を瞑り、ひたすら体を焼く炎と戦っていた。
「……ブロックスさん」
と……荷台に上ってくる気配を感じたリズは、一旦瞑想を取り止め、梯子の方に身を捩った。
「これはまた派手にやられたものだね。いつ持ち込んだのやら」
梯子を上って荷台の上に登り、呆れたように、幸せそうな寝息を立てるポニーを眺めるブロックス。少し寂しそうな顔もしているのは、恐らく宴に入れなかったからだろう。
「御体の方は平気でしょうか?」
「十分寝たしね。君は?」
「……まだ体が熱いです。酒のせいで。こんなものを飲ませたんですよ?」
落ちていた瓶を拾い上げ、ブロックスの眼前に示す。その瓶の名前を見て……ブロックスはさらに溜め息をついた。
「俗称『スピスレ』あるいは『ドランクメイカー』。酒豪としても名高い伝説のエキドナ、スピリタス=ウォージンすら酔わせた『蒼の玉響』じゃないか……こんなものを護衛役に飲ませないでよね……はぁ」
どうやら先程飲まされた酒は、凄まじくキツいようだ。通りで、舌につけた瞬間、燃えるような熱が舌先に走ったものだ、と改めて思うリズ。
「まぁそれでもモーショボー族が愛飲する『蒼の古時計』よりはマシなんだけどね……」
そう呟くとブロックスは遠い目を始めた。きっと戯れに飲まされたのだろう。苦しいことは案外覚えているものなのだ。
「……わぁ」
宣誓の際に飲まされる御神酒で、多少体にアルコールが馴染んでいたことが、彼女にとっては幸いしたようだ。
静寂。ずっと続く静けさの中、再び瞑想に入ろうとするリズの耳に、突然ブロックスの声が届いた。
「……訊かないのかい?」
「……何がです?」
少し火照りが収まってきた頭で、リズは何か聞くことはあったか、と考え直す。どうも酔っているせいか、線がうまく一本に繋がらないのだ。
暫しの静寂の後、ブロックスが詳細と共に訊ねる。
「昼間の黒服が誰か、『ニーズヘッグ』とは何か、あの武器は何か……他にも幾つか候補はあるけどね」
「……」
気になるとすれば、武器は兎も角、あの黒服について。咄嗟に現れたであろう武器をひらりと避けたり、気配を収斂させたり、逆に増幅させ複数人数に見せ掛けたり、人間のものとは思えない殺気を発した――人間。
魔物反対派といえども、そこまで奇っ怪な技は用いないだろう。気配収斂以外はメリットが剰りにもない。
「……でしたら、黒服の正体をお願いします。あの常人では不可能な身のこなしに、気配を操る手段。少なくとも真っ当な戦士ではあり得ないでしょう」
剛の剣はその特性上、変則的な戦いをする相手を不得手としやすい。故に、その手の相手がどのような存在であるのかを、予め知っておく必要があるのだ。例えば――どの様な仕事に就くのか、それよりもどの様な目的でその技が磨かれてきたのか。
……風が草を揺らす音が響く頃、ブロックスはゆっくりと、口を開いた。

「……ここ最近、妙に諸公の暗殺事件が続いていてね。未遂も含めると……ちょっと指では数えられないかな。
ついこの前も、サウザンドブラッド家の御子息が襲撃された……と風の噂に聞いてね。で、自分なりに探りを入れてみたら……」

「……『ニーズヘッグ』、という組織に行き当たった、と言うわけですか」
その通り、とブロックスは頷く。
「……ここまで話せば、後は十分分かるかな?」
流石に、『ニーズヘッグ』がどういう組織か分からないほど、リズは理解力が不足してはいなかった。同時に、理解することで彼らのあの技も、その意図や目的が十分すぎるほど理解できたのだった。
暗殺組織『ニーズヘッグ』……恐らくその目的は、組織について嗅ぎ付けたブロックス氏の暗殺だろう事は、氏の話で明らかであった。ならば……自らが今為すことは一つ。

「(ブロックス氏を、せめてこの仕事が終わるまでは御守り致します)」

そうリズは心に決め、再び瞑想に入った。
いつの間にかブロックスの気配は、馬車の中に移っていた。どうやら移動したらしい。辺りに満ちる、草の気配。虫の気配。眠る動物の気配……。
それらを自らの内に移した状態で、リズはそっと地面に降り、大剣を構え――。

「一の型……はぁっ!」

――演武を、草を踏みしめて行った。リザードマン用に作られた具足が、降りてきた霜に濡れる頃……一通り型を終えたリズは、馬車へと入り、そのまま夢の世界へと直行したのだった……。

――――――――――――――

翌朝……寧ろ昼。
「はぅ……」
「ぴゅうぅ……」
ガタガタと揺れている馬車の中には、体を起こすのも億劫な状態のノアとテュホンがいましたとさ。明らかに昨日の酒が効いているらしい。
リズは不思議と平気だったようで、今は二人の看病をしている。実は勘が若干鈍ってはいるのだが、野盗相手に戦う分には問題ないらしい。
「……ポニー、護衛役を潰さないでよね。この馬車が襲われたらどうするのさ」
どこか諦めたような声で呟くブロックスに、ポニーは反省の色の欠片もなく、大笑いして答えた。
「だぁい丈夫さね!この分ならあと三十分後にはジョイレイン領のゲートには到着するよ!」
その右手には、特注の鞭が握られている。野盗が来たら来たで大暴れする気らしい。
「……はぁ」
あまりに予想通りの返答に、ブロックスは考えることを止めたのだった。そのまま、濡れタオルを交換するリズの方に向き直る。
「……はぁ」
視線を感じて、リズも同意の溜め息を漏らす。恐らく盗賊が来ようものならこの人が全員倒してしまうに違いない……そんな静かな恐怖を覚えながら……。
「……ところで」
「はい?」
ふと気付くと、ブロックスの視線は一点に集中していた。リズが荷台に立て掛けた、剣。今はもう……訓練用にしか使えないものだ。
「リズ君。君が今回仕事を受けた動機が……剣の新調かい?」
「……はい」
流石に気付かれはするだろう。使い古された感のある柄の部分、今まで敵に対して抜いたそれが、斬撃を伴っていなかった事。それでも用いなければならない理由。
「そうか……流石に下手なものを買い取り前提で貸すのもどうか、だしね……かと言って、只であげるのも商売人として間違っているし……」
悩むブロックス。このままでは護衛としての仕事を満足に任せられない。かと言って親切においそれと商品を渡すわけにもいかない。ともすれば武器を貸し出すか?いや……などと様々に考えを巡らせ……ふ、と思い付いたようだ。今回の目的地、確かその近くには――。
「……よし」
簡略な計算を終え、ブロックスは早速、荷物の中をごそごそし始めた。どうやら何か取り出すらしい。
「え……あ、あの……?」
先程の発言はどうしたんですか?貸し出さない雰囲気を出していたのではないですか?疑問と戸惑いと、もしかしたらという期待が入り雑じって複雑な表情をしているリズの前で、彼が取り出したもの。それは……一振りの大剣と、一通の手紙であった。
ブロックスはその手紙に何やらスラスラと書き込むと封をし、そのまま彼女に手渡した。一気に剣と手紙を手渡され、頭に?マークがわんさか沸き出ているリズに、彼はどこかお使いにでも頼むような気軽さで告げたのだった。

「じゃあさ、この手紙と剣を、今から書く場所に届けてもらえるかな?それが剣の代金代わり、ってことで」

「……えぇぇっ!?」
つまりブロックスは、この剣の貸借料を――新たに頼む仕事の報酬で払うつもりでいるのだ。普通に大損も大損のギャンブルではないのか。そもそも使われた剣を他人に渡して良いのか、当然リズは疑問に思い、剣を少し鞘から抜き、その質を確かめた。
「いや……でもちょっと待ってください!」
明らかに市販の剣の、どちらかと言えば良質な品として売られている部類に入るその剣を、報酬で貸すなどと、普通の商人ではあり得ない事を提案する彼に、思わず叫んでしまうリズに、ブロックスは早々に契約書を作成して彼女の眼前に示した。
「僕としては、君がちゃんと仕事を出来る状況を作らないと危険だから、これが一番現状採れる一番良い案だと思うけどね。
金で命は買えないけれど、守れる命はある。その為にはこれくらい安くないよ」
ずい、と何も言わさない強い瞳で手紙と剣を引き渡すブロックス、それを戸惑いながら受け取ろうか悩むリズだったが……最後には根負けしたようだ。
「……了解致しました」
差し出された契約書に、彼女は拇印を捺したのだった。これでリズは剣の貸し出しと引き替えに、この仕事が終了後に手紙と剣を届けに行くことになるのだった……。

――――――――――――――

その後、ジョイレイン領に着くまでに受けた敵襲、凡そ三回。夜襲は倍近く。ただしどれも撃退しているが。
「――覇ぁっ!」
「疾っ!覇っ!崩!」
昼間は、リズが主に固い的を打ち崩し、素早い敵をノアがキッチンシンクで全て地に沈めている。数が多い敵は――豪快に振り抜かれたリズの剣やノアの利き脚によって吹き飛ばされ……ポニーの鞭によって気絶させられている。
テュホンはというと……上空から、『風囁(ウィンドウィスパー)』を用いて敵兵士の位置を知らせていた。時折風を魔法で操作して防御を崩すなど器用な芸当をやってのけたりしている。
「臨時収入、臨時収入、と」
メモを記しながら、外で大暴れするポニーを眺めてブロックスは呟く。小規模ではあれ、前科がある盗賊団なら懸賞金はかかる。昼間に仕留めた盗賊団の懸賞総額は、五人なら二週間は食い繋げる程度の額に到達していた。
因みに夜は……。

くちゅ、ちゅぶ、んぱぁ、にゅる、にゅち、ちにゃ、ぐじゅ……。
「……んんっ」
何やら淫らな気分にさせる効果音が外から荷台の中に響いている。
「……んぁぁ……」
音に感化されたのか、ノアの手は自然と秘所に伸び、背を丸め恐る恐る挿し込まれようとしていた。
「ぴゅう〜……♪」
図太い神経をしているのか、テュホンは全く感化されない。聞こえていない可能性が無きにしもあらずとはいえ。
「「……」」
ポニーとブロックスは両者とも耳栓をして寝ている。不用心な気もするが、これが馬車の中での対応として正解のようだ。
「……?」
一体、馬車の外で何が?疑問に思ったリズは、覗き窓に恐る恐る目を重ねて……すぐに離した。
「……」
そして今見た景色を無かった事にするために、直ぐ様瞑想で精神統一を図り雑念を取り除いた。
「……くー……」
壁に背を着けたまま、再び眠りに落ちるリズ。その外では――?

「んあはぁぁぁぁんっ!もっとぉ!もっとだしてぇぇっ!」
「おねぇぇひゃあああああああんっ!いくのぉっ!わらひいっひゃうのぉぉぉぉぉ!」
「ぱいぱいっ!ぱいぱいすってっ!ぁ!そう!かんでぇっ!かんでぇぇっ!」
「びゅくびゅくとぉぉぉぉぉぉぉっ!もっとびゅくびゅくとぉぉぉっ!たぷたぷにしてぇぇぇっ!」
「うああああああんっ!もっとたぷたぷにしてぇっ!たぷたぷぅっ!たぷたぷぅぅぅぅぅぅっ!」
「あせおいしいのぉぉぉぉぉぉっ!もっともっともっとぉぉぉぉっ!」
「くしゅくしゅしてぇっ!んあっ!ぁあ、ああ!あぉあああっ!いぃっ!いいのぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「おしりぃぃぃぃいああっあっあああああっ!おくっ!おくほじられるのいいっ!きもちいいいいぃぃぃぃっ!」

――無数のデビルバグが、盗賊団全員にのし掛かりズボンを下ろし下着を破り捨て或いは下着ごと盛大に犯していた。粘液ぬるぬる、発情香ムンムン、愛液ぬらぬら、母乳ぴゅるぴゅる、精液びゅくびゅくの地獄絵図と化している。
既に団員の大半は数に飲まれ酸欠で気絶。残る面々も奮闘したが……デビルバグの圧倒的な数と性欲に負けフル〇ンという無様な姿で気絶していた。
気絶した団長は、その寸前にとある話を思い出した。両左腕のギガンタムが又聞きで耳にして一笑に伏した話だ。
曰く――ジョイレイン領で馬車に夜襲をかけてはいけない。己の体力が幾らあれど、そこには限界があるのだから――。
数の暴力は偉大なり――気絶の間際に、盗賊団長はようやく悟ったのだった……。

――――――――――――――

……とこのように撃退を繰り返し、何とかジョイレイン領まで到達したのは、セントラルラインを通過して四日後の事だった。
「盗賊泣かせかな、この馬車」
「寧ろハンター泣かせさね」
魔力を元に発動するトラップ。しかも日替り。初見の相手が対策を取りようがない。しかも一見無害な馬車だから余計にタチが悪い。唯一の対策は、夜襲を仕掛けないことではある。そうすれば、少なくとも護衛役を襲えば済むのだから。
まぁ、何はともあれ、無事にジョイレイン領に着いた一行は、領主の屋敷まで一直線の石畳の上で、そのままノアと別れる事となった。
時はおおよそ昼頃。職人や住人が昼飯を片手に談笑を始めている頃だ。
「リズさん……短い間でしたが、お世話になりました」
「それはお互い様ですよ。良き戦友として、貴女の事は忘れませんよ」
ガシッ、と馬車を背景にして握手を交わす二人。短い間とはいえ、リズにとっては打ち解けた仲間だったのだ。
「ぴゅう〜っ!ノアちゃん元気でねぇっ!」
「テュホン、貴女もね」
彼女達は抱擁を交わし、テュホンはノアの頬にキスをする。彼女らしい直線的で純粋な愛情表現だ。リズは……流石にカルチャーショックを受けていたが。特にキスの方に。
「ポニーさん、有り難うございました」
「また来るのが良いさね」
ポニーと軽く握手を交わし、女性同士の別れの挨拶が済んだところで、ブロックスは依頼の報酬を持ってやってきた。
「護衛役、本当に有り難う。はい、これが指定した分の報酬ね」
「……はい、確認しました」
狼のような毛の生えた、爪の鋭い指は中々に細かい作業は不得手としているようで、札の枚数を数えるのに難儀していたが、何とか数え終え、そのまま一歩下がって去ろうとして――然り気無く彼の手に封筒を挟んだ。
「……お?」
ブロックスが若干戸惑い顔になったところで、ノアはくるりと振り返り、

「どうも、有り難うございます!」

と一声、石畳の上を猛スピードで走っていった……。
「……」
凄い娘ですね〜何故走るんでしょう〜などと唖然とするリズの横で、テュホンは遠目を使って影を追い……。
「100m、6秒2だよ〜」
……盛大にリズがずっこけたのは言うまでもない。

「……」
そんな二人の真後ろで、ブロックスはノアから貰った封筒を開き、手紙を目にする。そして……。
「……了解」
誰にも聞こえない声でそう呟くと、封筒に再び仕舞った。そして二人を呼び寄せると、ポニーに指示を出し、馬車を再び進ませたのだった……。

――――――――――――――

それからの旅は、中々テンポは速かった。ジョイレイン領を通過する間、殆ど野盗に出会わなかったのだ。一応気配を探ると、荒野の影、仙人掌の裏、草むらに擬態、砂と同化etc.と品揃え多数の擬態を繰り広げてはいるのだが、何故か一向に襲い掛かる気配はない。その理由を……リズは荷台の上から見たポニーの様子で悟るのだった。

「犠牲など、馴れているわ♪
抵抗など、させなかった♪
血を流すことすら♪
快感として生きればいい♪」

「……」
酷い歌だ……と言うよりこの馭者、馭者やる前に何を調教していたのだろうか。どこまでもSな歌を上機嫌に歌う彼女は何と言うか……本能的に怖かった。
しかも歌うとき、右腕に鞭を持っている。完全に武闘モードだ。
「……僕が彼女に馭者を頼む理由はね……」
「……十分に分かりました。これまでに殆どこの辺りの盗賊をのしたんですね?」
ポケモンで言うスプレーの役割なのだろう、恐らく。確かに、あれほど頼りになる馭者は、そうそう居やしないだろう。
「……」
こくり、と頷くブロックスを傍目に、リズは心の底から溜め息を吐いたのだった……。
「I pressed them♪
I pressed them♪
I crashed them♪
Again and again♪」
……取り敢えず現状は、耳を塞ぐことにしたのは言うまでもない。

こうして、ジョイレイン領出発から四日後、一行は目的地である港街に着いたのであった……。

――――――――――――――

「……あと一合ですか……」
そしてそれから数日後……リズはとある山の三合目に居る。……厚手のコートに身を包んで。
「うぅ……南とはいえ流石に寒いですね……」
彼女は蜥蜴と人間の間の子、といえば身も蓋もない上に誇り高きリザードマン族に失礼か。ともあれ、そのような存在であるリザードマン族は、当然の事ながら寒さには弱い。氷系統の魔法にも人間より弱い。
『ぴゅうっ!これ着てって!リズちゃんじゃ寒いと思うからっ♪』
「……別れ際のテュホンさんの心遣いが無ければ……恐らく一合で諦めていたでしょうね……」
ブロックスには、リザードマンの弱点の知識はなかったらしい。いや、もしかしたらテュホンに心遣いをさせたのが……?
そこまで考えて、リズは一旦首を横に振った。考えていてもしょうがないからだ。
「……まぁ、良いです。兎に角、目的地に向かいましょう」
寒さに震え始める自らの体に鞭を打って、リズは再び、荒れた大地を踏みしめ、山を登り始めた。

「……」
どこか、環境に覚える違和感。料理のさしすせその内、一つをやや過剰に入れられた料理のような、幽かにバランスを崩されたような雰囲気。
確証はない。だが……恐らくは観察されている。それも、複数人に。それが父親や母親であれば、まず間違いなく心配オーラ全開なのだが、流石に今回それは無い。と言うより寧ろ両親と言う選択肢は、リズの中で既に有り得ないものとして考えられていた。
「……」
恐らく、相手は……!

「……」
山を登りながら、リズは精神を落ち着かせ、敵の位置を探す。互いに悟られたら負けの、命を賭けた探り合い。水が止水に落ち、小波を作るように、気配探知の波が徐々に広がっていく……。
「……」
岩場に手をかけながらも、気配探知の手は緩めない。恐らく一本道になったときに、誰かしら行動を起こす筈……いや、それを抜けた直後辺りに行動するだろう。彼らはそういう人種だ。
「……」
三人。感知できたのは一先ずそれだけだ。後の相手は居るかは分からない。ただ……リズとしては、その存在さえ分かれば十分であった。
目的地までは、そこまでは無いとはいえ、今の身体的な状況では万全とは言えないだろう。だが、それでも相手をしなければ、恐らくは自らの命はない。

「……」
リズは無言で、ただ無言で歩き続ける。気配も、少しずつ近付いては来ているようだ。警戒心を剥き出しにしている以上、リズがあちらの存在に気付いていない、などと言うことは相手の頭には無いだろう。砂利音一つ立てず、ゆっくりと……ゆっくりと近付かれていく……。

「……」
目の前には吊り橋。恐らくこの先に行けば圧倒的不利になるだろう。足場が不安定な吊り橋の上では、剣に力が十二分に伝わらないからだ。
荒れた大地は、あちらこちらに砂利と礫の中間とも言える石が無造作に転がっていた。リズはその内の一つに目をつけると……然り気無く蹴飛ばした。
吊り橋の柱に激突したそれは、再びリズの方に向かって飛んでいく。彼女はそれを回転して避けると――そのまま剣の鞘で石を打った!

「――ぐっ!」

「……そこに居るのは分かっているのです!姿を見せなさい!」
言われて姿を見せる阿呆は居ないが、明らかにわざとらしい挙動で、加速度のついた礫を敵に当てている以上、リズは相手の位置を分かっている――そう思わせることに成功したようだ。
次々と、黒装束に身を包む男達が現れる。その数、六人。リズが探知した数の二倍だ。
「……目的は何です?……と訊くまでもなく、一つははっきりとしていますね……」
明らかに暗器と思われるナイフや脇差し、鍔の無い短刀や爪を身に付けている男達。中には一人、杖を持つ相手も居たが、おおよその相手が暗殺用の武器を得物としていた。
「……」
リズは――剣を抜く気配すらない。ただ、六人の相手を睨み付けるだけだ。一人も漏らすこと無く、視界の内に収めている。
「……」
じり……じり……と吊り橋際に追い詰めるように動く暗殺者達を前にしても、依然として彼女は微動だにする気配はなかった。まるで殺られることを望んでいるかのような態度に訝しさを覚えながらも、男達は包囲網を狭めていく……。
「……」
リズは目を閉じた。まるで全て天命に委ねるかのように。宛ら生け贄として捧げられた巫女のような、潔さすら感じさせる行為。
「……」
抵抗する意がないと判断したのか、暗殺者達は一気に間合いを縮め――!

――――――――――――――

――それは、別れ際の事だった。
「リズ君」
「え、あ……はい、何でしょう」
報酬を貰い、次の仕事に向かおうとする間際、リズはブロックスに呼び止められた。……いつになく真剣な表情で。
「……もしも黒服に――『ニーズヘッグ』に襲われるような事態があったら、渡した剣を間合いに入ったら、思いっきし振り抜いてね。そうすれば、例え相手の武器が体を貫いても、必ず万全の状態で逃げ切ることが出来るから」
「……」
恐らく、ブロックスは彼らに今でも狙われており、その護衛役も狙うに違いないと考えているのだ。先の暗殺者達にも、監視はついていたと考える方が都合はいい。慎重と臆病は紙一重だが、決定的に違うものがある。臆病は退くことしか出来ないが、慎重は前にも進める。
「……流石に僕は魔導師じゃないから、一回切りしか使えないけどね。僕が出来る……せめてもの罪滅ぼしはこれくらいだよ」
「……」
今さら巻き込むな、とは言えない。護衛とはそのような危険を『承知して』行うものなのだから。
ブロックスの素性は不明だが、わざわざ詮索するのは無粋だろう。第一、自分は仕事を、依頼された仕事を行う立場だ。一度受けた以上、完遂するのは必然である。
そして依頼主は――依頼を達成するために、最大限の助力をしていくものだ。

「……有り難う、御座いました」

当然の事だよ、というブロックスの声を背に、リズは歩いていく。山の方へと、一歩ずつ、一歩ずつ。

――――――――――――――

「――はぁっ!」
宛ら居合いのようであった。いや、居合いでも、抜き手の瞬間は目にすることが出来た筈だ。だが、今の動作は、その抜き手すら目に出来ぬほどに俊敏であった。
電光石火の速業――!
「――」
だがそれを成し遂げた当人は、現実味が沸かないかのような表情で、目の前の光景を見詰めていた。

剣に触れた瞬間、内側から押されるような感触を覚え、その動きに合わせるように腕を動かしたと思ったら――相手が虚空へと吹き飛んでいったのだ。まだ剣が抜き終わらない状況にも関わらず。
吹き飛んだ次の瞬間には、まるで吸い込まれるかのように剣が鞘に収まり、残ったのはリズ、ただ一人。
「……何をしたんですか……」
暫し呆然としていたリズだったが、辺りから敵の気配が消えたことから、早々に立ち去るべきだと考え――吊り橋を渡ってしまった。
リズが剣を抜いた場所には、いつの間にか複雑な紋様が描かれていたが、やがてそれも風に薄れ、消えていったのだった……。

――――――――――――――

「……ようやくですね」
『近道』と記された地図を辿って辿り着いた場所は、崖の上に立つ木造の小屋であった。煙突からは煙が立ち上っている。中に誰かはいるらしい。
「……」
表情に疲れを見せないリズだったが、体は疲れきっていた。当然だろう。いつ襲い来るやも知れぬ暗殺者の存在を感知するために気を張っていれば、いかに強靭な精神力で耐え続けても、肉体の方が先にネを上げてしまう。
実際、出来ることなら彼女は休んでしまいたかっただろう。それが許されるかは兎も角として、山小屋の中で身を休めたかった。
「……はぁ、そう出来れば良かったのですが……」
リズは鞘で拳大の石を突き上げ――尻尾で思い切り薙ぎ払う!

「……ッ」

「……出てきましたか。貴方の組織もしつこいですね……っ!」
岩影から現れたのは、三人。全員、鈎爪を装着している。魔法使いは居なさそうだが、油断はならない。
「(くっ……)」
気配を察知できたのは、一人だけ。しかもその捕捉距離も段々と短くなっていく。明らかに疲れが溜まっている証拠だ。
剣を抜くリズ。もう先程のような風が出ることもない。あれは文字通り一発物だった。今は、己の剣だけでどうにか対応しなければならない――!
「(三人ですか……)」
しかも敵は撹乱に秀でた者達ばかり。一人で相手をするのには少々以上に骨……というより、圧倒不利だ。
弱気になっては負ける――!
「くっ……参る!」
名乗り口上を省き、構えるリズ。恐らく精神集中などさせては貰えないだろう。そもそも、完全に集中する事は、逆に自らの身を危険に晒す行為でしかない。特にこのような、正攻法で攻めない敵には。
一人の暗殺者が、爪を日に翳して、反射光で目を焼く。リズはその爪に剣を当てるように払いながら、残り二人の動きを注意した。一人は背後より背を裂こうと爪を構え、もう一人は太陽を背に首筋を狙う。
「――っ!はぁっ!」
正面の敵を蹴りで弾き、背後の敵を尻尾で薙ぎ払いつつ、太陽の人影に向けて剣を打ち付けた!
「(当たっ…!?)」
太陽の人影は、この辺りの岩であった。本体は、その岩影に隠れ、空襲をかけてきたのである!
咄嗟に無理矢理体を捻り、荒れた山道を転げるリズ。さながらアルマジロか?と自らの様子を冷静に思考する間もなく、追撃の手は荒れた地肌を裂いていく。
「(痛っ……)」
既に何発か爪を肌に受けている。裂けたコートの内側から、血が滲んでいるのが見てとれる。もしも毒を仕込んでいるのなら、そろそろ回る頃かもしれない。だが幸い、彼女には今だその兆候は見えなかった。
防御の構えを取りながら、リズは起き上がる。暗殺者は肩口を、太股を、脇腹を、行動不能になる部位を集中的に狙い、爪を振るう。足甲とガントレット、そして大剣でその爪を弾く防戦一方のリズ。金属同士が立てる甲高い音が幾度と響き、火花を何度も散らしつつもじわりじわりと、崖の方へ追い詰められていった。
これ以上追い詰められれば、終わるだろう――命が。剣が振るえなければ、体術を用いるのが常だが、対多数を目的とした体術など、教わる筈もない。
「(……博奕、ですか)」
潔く死ぬ、それは武人としての誉れではあるが、志半ばなら兎も角、与えられた仕事をこなせず敵に殺され死ぬのは、リズにとっては恥もいいところだった。
今しなければならないことは――敵を倒し、仕事を完遂させること!

「――!」

ガキィン!
盛大な音を立て、暗殺者三人を弾き飛ばすリズ。彼女の体が向く直線上には――二人。
その間にリズは、構えを変えていた。受けから――攻めに。
まるで標準を定めるかのように、剣の先端を、ほぼ一瞬で暗殺者二人に定める。そのまま剣身に片手を添え、大股に開いた脚に、足に、力を一気に込めて――!

「――覇   ぁ  っ  !」

――突き出した剣の絶大な質量と、踏み込みの爆発的速度が、強大なる力へと変化し、真芯を捉えられた暗殺者達を岩の方へと吹き飛ばす。お世辞にも平坦とは言えない岩肌は、彼らが受けた衝撃を吸収すること無く数点に向けて流し込んだ。
倒れる暗殺者二人。恐らく背骨や両腕両足は骨折しているだろう。それ相応の一撃を食らっているのだ。そして当然――反動は自身にも返る。
「づぅぅっ……っ!」
急激に筋力を解放したことで、彼女の筋肉は悲鳴をあげていた。殊に利き脚は、筋肉繊維が傷ついたのか、じんじんと痛み、力を入れることすら叶わない。
その隙を狙わないほど、暗殺者は間抜けでもなかった。仲間を殺された憎しみなど微塵も感じさせない冷静な動作で、一瞬で間合いを詰めた。その手に装備した爪を、高く掲げ、彼女の首筋に狙いをつける。
「くぁぁっ!」
腕の力だけで剣を振るい、暗殺者を払い除けようとしたが、容易に避けられてしまい、引き戻すまでの間に隙が出来てしまう。
「(そ……そんな……!)」
ほぼ馬乗りの状況、自らは満身創痍、剣を手放しても敵への追撃は間に合わない。
敵による、自らの命へのチェックメイト。
「……」
――あぁ、ここで終わりか……。
自らの死を覚悟し、リズは目を閉じた。爪の先が喉笛を貫く瞬間が来るだろうと思い身構え――。

ゴガァァッ

――代わりに聞こえたのは、何やら重く鈍い打撃音と、骨が叩き折れる独特の音だった。
爪が来る筈の首筋には、武器が連れた風が労るように撫でるだけ……。

「……大丈夫ですか?」
女性特有の、どこか柔らかな声が、リズの耳元に響く。ゆっくりと瞳を開くと……そこに居たのは、青色の肌に一本の角、利き手に得物である巨大なハンマーを持った――一つ目の女性だった。
「……あ……」
リズは首を回す。先程の暗殺者は、背中から山の岩肌にめり込んでいた。……先程リズが行った技『龍角突』よりも深く埋まっている。
「……助けてくださって……有り難うございます……」
「……いいえ……当然の行為をしたまでです……」
巨大な瞳が、パチクリとやや恥ずかしそうに閉じられる。そこはある種の人間らしさが、確かに感じられた。
連戦の後に訪れた、一瞬の日常。だがそれは……。

「(……あ……切れる……)」

……緊張の糸を切り、リズの意識を途絶させる切っ掛けとしては十分であった。
失う数刻前に耳にした音は、何かが地面に倒れる音だった。ひょっとしたらそれが、自分の顔だったのかもしれないが、それを確かめる術は、リズにはありはしなかった……。

――――――――――――――

『――っ……。あいたたた……一本、とられちゃったか』
『……ついに……ついにですよ……。……父上』
『あ、ああ……分かっているよリズ。前もってからの約束通り……修行の旅を許可する』
『――有り難う、御座いました!』
『……とは言ってもやっぱり心配だしな……もう一戦やらないか?』
『もういい加減にして下さい!というより先ほどから言葉が重すぎですよ父上!』

――あぁ、あれは出発前々日の時の父上とのやり取り……。あの後も街で何回も父上や母上を見掛けましたっけ……。……その度に撃退致しましたが。

『……良き勝負、有り難う御座いました』
『かーっ!あんた強えなぁ!もう一戦やろうぜ!』
『ええ。ですが……それはまた逢う日までお預けに致しましょう』

――旅先で出会った、謎の流浪剣士ユネス……あの後も五回くらいやりあいましたっけ……。

『……不思議ですよね。姿形が変わるだけで、こんなにも扱いが変わるなんて。元は大して変化してないかもしれませんのに……』

――ノアちゃん……『ルルララ語録』を読んでみるといいよ……って、言えませんでした。それで悩みが解ける訳じゃないでしょうが、道の一つは見えてくるのでは……。

『――せめてもの罪――』

――ブロックスさん……私……仕事……。

――――――――――――――

「……はれ?」
リズが目を醒ました時、そこは少なくとも先程まで対決していた山肌ではなかった。ボロボロになったコートの代わりに着せられていた布越しに伝わる地面の感触は、紛れもなく熱を含んだ木のもの。そして、仰向けに寝ている彼女の視界に映るものも、また木であった。
「……えぇと……」
戸惑いつつも立ち上がろうと体に力を入れようとするリズ。だが――。
「……暫くは……安静にしていて下さい……せめて筋肉が……」
聞き覚えのある女性の声。果たしてと思い声のした方向へ首を向けると、想像した通りの姿。
……ただし、先程とは違って、前掛けエプロンをしていたが。
耳に響く、まな板の上の野菜を切る音。どうやら料理をしているらしい。久方ぶりの焼きたてパンの香りが、リズの鼻孔を擽る。
「……ええと……どうも初めまして。リズといいます」
「……チタ、です。こちらこそはじめまして……」
話すべき会話もなく、辺りの空間を、煮立ったお湯の音が満たす。或いは包丁が、野菜をリズミカルに寸断していく音が。
「……」
奇妙な静けさが続くなか、唐突に響き渡ったのは――。

――キン!――キン!――カァン!

「……?」
どこか聞き覚えのある、金属を打ち合わせたような甲高い音。それが、リズの今いる部屋の奥より響く。かれこれ二・三週間前、リズはこの音を街で聞いたのではなかったか……?
「……鍛治?」
「……私の夫は、鍛治を生業にしていましたから……」
リズの疑問に、チタは振り返らずに答える。その間に料理は完成したようだ。そっと持ち出される、パンをコンソメスープに浸した、簡単なものだ。
「……どうぞ。夫は暫く出て来ないと思いますから……ごゆっくり」
食事を置いたチタは、ゆっくりと立ち上がると、部屋に吊るしてあったボロボロのコート――リズが着ていたもの――を取り、簡易の修繕を行い始めた。
「あ……有り難うございます、チタさん……」
お礼を言いつつ、体が空腹を訴えたリズは……痛む体をゆっくりと動かして、スープを口にしていった。
一口ごとに、体がぽかぽかと暖まっていく……。体に、力が少しずつ戻っていく感じがした。同時に体の感覚も少しずつ戻ってきて……。
「……づっ」
全身の筋肉の痛みに悶えることになるまで、そう時間は掛からなかった。

――――――――――――――

「チタの奴から話は聞いたぜ。アンタ、俺の家の前で暗殺者に襲われてたってな」
暫くして、奥の方から壮年の男が出てきた。片腕が異常に綺麗な――さながら深窓の令嬢の持つ、無駄な色素の抜けた腕をしていた他は、歴戦を潜り抜けた戦士然とした肉体が、服越しからでも容易に理解できる男だ。
「あ、はい。……この度は、命を助けていただき、有り難う御座いました」
「おいおい、例を言うならチタに言ってくれ。俺に言うのはお門違いだぜ」
一聴軽く聞こえるこの台詞だが、その言葉はどこかリズには重いように感じられた。賞するべき方向を間違えるな、と言うのは上に立つ者が守るべき心掛けである、と嘗て父親から借りた巻物に書いてあったからだろう。
「それは兎も角。嬢ちゃん……リズといったか。俺に用があってここまで来たんだろう?」
その声にリズは素直に頷き、剣の鞘の裏にキッチリとくくり付けておいた手紙を――剣と共に渡した。
「――ブロックス=モーシュ氏からの依頼で、こちらの手紙と剣をお届けに参りまし……た……?」
言い終えて再び見た彼の顔は、明らかにどこか苦々しい顔をしていた。まるで、
「今度はどんな厄介事だ……?」
……本音を口に出した。
「……厄介事、ですか……?」
リズの一言に、男は溜め息を吐いた。
「ああ。……あの男とのやり取りで損したことは一度もねぇ。ねぇんだが……如何せん頼むことが微妙に厄介なんだよ。例えば『チデザントルの皮』と『ナロウグベアの爪』を使った包丁を作ってくれと言われたときには、流石に我が身の危険を感じたぜ……」
「何を頼んでいるんですかあの人は……」
何となく心に抱いていた、ブロックスへの好意的イメージが、少し崩れたような、そんな気がしたリズだった。
ちなみに『チデザントル』も『ナロウグベア』も、法的に狩猟は制限されている動物だったりする。尤も、後者はそろそろ狩猟許可が全面的に解禁されるらしいが。
「まぁ……合法的に'拾得'したものだから良かったんだがな」
それよりも、と彼は手紙を開き――溜め息と共に閉じた。
どうしたのか、と尋ねるリズに、男はポリポリと頭を掻きながら、厄介そうに答えた。

「……嬢ちゃんの持ってきた剣と、もう一本。元から持ってきた剣があるだろ。その二本を打ち直してくれ、だとよ。――やれやれ。このクロム=ヴェインに直に頼むものかよ」

「――はい?」
思わずリズは聞き返していた。何か……何か普通であれば聞く筈も語られる筈もない名前が、目の前の人物から語られたような、そんな気がした。
硬化した彼女に、彼――クロムは一瞬戸惑ったが、そういえば自己紹介がまだだったと思い直し、再び口を開いた。
「あぁ、すまんすまん、自己紹介がまだだったな。俺はクロム=ヴェイン。しがない元鍛治屋だ」
その言葉を聞いた瞬間――。

「――はふん」

現在の状況のあまりの衝撃に――リズは気を失った。

斯くしてリズ=デュランダーナは、クロム=ヴェインに剣の打ち直しを依頼することになっていたという。……尤も、リズの剣の方はチタが担当するらしいが。
彼女の体が万全の状態となり、剣を手にするまで一週間は掛かるのだが、それはまた別のお話……。

fin.


intercept〜ブロックス〜

「……ふぅ。まさかブラックハーピーが直接飛んでくるとは思いも寄らなかった。ともあれ、親魔物領主の手紙は無事到着――と。
で、もう一つの手紙は……魔物否定派の領主達用か。一先ず、理解が早そうなサウザンドブラッドから回すよう、クライアントは言ってたね……。

……まぁ、ここから近いし、それでいいか」

fin.




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