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かつてフランスでは、トイレを『溜め息の小道』と呼んだという。予想は出来ると思うが、男性諸君は自らのトイレシーンを想像してもらえれば分かりやすいかと思われる、あの感覚がそう呼ばしめたのだろう。
何故そんな話をしたかと言うと――。


「「はぁぁ〜〜………」」


風呂に入ったときのあの脱力感、そこから出る溜め息が共通のものである以上、『溜め息の泉』と呼ばれてもいいものを、とふと考えてしまったもので。
風呂場に着くと天人は、魔美の要求を黙殺して海パンに着替え、シャンプーやリンス、ボディソープ(いずれも天人特製)を持ち込み、風呂場のドアを開けた。
むわ、と湯気が天人の視界を覆う。結婚式のスモークを思わせるのは、やはり中にいる相手が相手だからだろうか?
常備されている桶(魔美が修繕済み)で軽くお湯をかぶって垢や埃を流す。幽かにヒリヒリする感じが心地よいと思った天人は、そのまま湯船に自らの体をくぐらせ――


「「はぁぁ〜〜………」」


既に天人の視界は開けている。交わった声の主は、湯船の丁度真ん中辺りで背中を見せ、顔を手拭いで拭っている。黒い長髪は湯に浸かり、烏の濡れ羽色を放っていた。
その髪の持ち主は天人の元へゆっくりと振り向いた。健康的な麦色の肌は、頬の辺りがほんのり赤く上気している。どこか焦点が定まっていないような、うるんだ瞳は、まるで殿方との逢瀬を待ち望んでいるかのような――。
そんな彼女に、天人は少しずつ近付いていき、そして。


「…………魔美、上せてるか?」


「きゅうぅう〜〜〜」
魔美は完全に上せていた。浮力補正付きの全体重を天人に被せるように持たれかかる魔美。
仕方ないので脱衣所まで魔美を運び、扇風機を回す天人。電力?何故か魔美の服に紛れていたスタンガンから拝借しているので心配はない。
「…………」
魔美の熱が引いてきたらしいところで、天人は一人、風呂へと戻っていった………。

風呂の中で、天人は一人考える。
この街は一体どうしたんだろう、と。
この屋敷に残留していた魔素から、悪魔が何らかの魔法・魔術を使った物と見て良い。だが――何の魔法だ?
それに、魔素は時間と共に薄れる事がないため、例え外に存在したとしたら街に、その発生場所に止まる筈なのだが、どういうわけか外にはその欠片もない。
そして――動物園。

「………」
状況的に一番怪しい場所はあの場所には違いない。悪魔が居るとするならば、場所も恐らくあそこ。ただ――情報が圧倒的に足りなすぎる。このまま調べに行くのはあまりにも危険だ。
特に魔美。敵陣に真っ先に突っ込む彼女に不用意に傷を付けようものなら、この街は簡単に消し飛ぶだろう。それは天人も魔美も望むことではない。
だから、調べるのだ。この街のために、魔美に力の加減をさせるために。
知識の無い戦いは無駄死にに通じる。天人の家の教えは、このような妙なところでも通じていた。
(………まぁ親父の性格的に、上官にみっちり考えを『仕込まれた』というのが事の転末、だろうな……)
内心で失礼な――実は当たっていたりするから恐ろしい――事を思いつつ、天人は風呂から上がり…………湯を循環させた。
「………後で『シケリトール』を魔美に撒いてもらうかな………」
著作権法違反で取り締まられそうな怪しい商品名だが、これでもれっきとした魔美の発明品である。ネーミングに関しては、「洒落っぽくて言いやすい方が客の頭には残るのよ♪」と売るつもりもなく、店を開いたこともないであろうに、十割ノリの勢いで決めてしまったものだ。四粒撒けば、その部屋の湿度が快適な物になりつつ、床に飛び散った水滴も取り除けるスグレモノである。
残念ながら扱えるのは魔美だけなので、天人は桶や椅子を直すに留め、風呂場へと戻っていった………。


「…………よっきゅーふまんカナー」
持ってきた欲求不満解消DVDを眺めた後に某猫娘の語尾を真似したところで、風呂上がり速攻で床についた天人が起きる筈も無いことは魔美も十分知っていた。
魔美が上せ状態から回復したとき、天人はきっちり二人分、布団を敷き終ったところだった。
「てっし〜!夜はこれからじゃないのぉ!?」
回復直後の飛び込みとは思えぬ猛烈な勢いで天人に飛び付いて、背中に頬擦りする魔美。魔剣だったらポッキリ折れてしまうレベルだ。
だが、
「―――」
呼吸しているのか分からないレベルで眠りの花畑に赴いている天人に、愛しきプリンセス・マミの声は届かない。この状態の天人は、仮に近くで戦争を始めたりしたとしても、絶対に起きることはない。そして起きた後に回りの惨々たる状況に気付く――と言った具合だろう。
魔美はそれを十分理解している。だからこそ今の行動が、単なる足掻きに過ぎないことも、今更ながら十分知っているのだ。
「――以前のアタシだったら、十中十はイタズラしちゃうんだけど――」
時が止まったように動かない天人をやや恨めしそうに眺めながら、魔美は染々と過去を思い出していた。
「フェクさんに教えてもらった格闘技をライちゃんに試したりとか、ラスを操ってライちゃんの初キス奪ったりとか〜、本物と殆んど変わらない偽造書類作って枕元に忍ばせたりとか〜、火薬実験しておと〜さんの対立候補の家を全焼させちゃったりとか〜」
いかにも子供らしいものから明らかにイタズラの範疇を越えているものまで、色々と前科持ちらしい魔美である。ちなみにその対立候補は、全焼した際に『何故か』見付かった、自らの給料を上乗せした内容が書かれている書類が原因で部下にボコボコにされたのだが、それはまた別の話。
しばらく回想し一人悦に浸っていた魔美は、やがて何かを思い付くと、にんまりと笑いを浮かべ、そのまま一人布団の中であーだこーだ悶えているうちに、夢の世界へと活動の場を移していった………。




こうして、色々騒動がありつつも、二人の一日目は幕を下ろしたのだった。
二人だけの街の中で………。





【1の1、了】


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