2日目:『クレンの宿』




………妙な夢だった。まるで動画ジグソーパズルの一欠片一欠片を眺め回しているような感覚だった。
―――何で今更母親の死なんか思い出すんだろう―――
…………こんな微妙な感情なのに俺の右手はわきわきしてやがる。お、そう言えば弾くつもりでいた曲が一つあったっけな。ちょうどいいから弾いてみる………と待てよ。今何時だ?
………現地時間で午前五時半。流石に今起きて弾いたら迷惑以前に俺の指が危ないな。空気が冷たい所為で顔も痛い。
幸い欠乏症は現段階では軽度だ。朝七時ぐらいになったら弾こう。


A〜〜〜〜〜♪


………誰だ朝っぱらから。ヴァイオリンの調弦か?この音は。弾いてるのはキースか?だがあいつの専門はギターだった筈。だとしたら一体………?
考えること30秒、俺は布団をはねのけて外着に着替えることにした。
愛用のギターを持って、音の有りかを確かめにいく。これが部屋だったら即座に引き返す。広間か何かだったら顔ぐらいは拝みたい。などと野暮な事を考えながら、俺は宿の中を歩き回っていた。右手は相変わらずわきわきしているので、ケースは左手で持っている。
………しかしよく考えてみたら禁断症発症のインターバルがやけに今回は短いな………。いつもならあれだけ弾いたら一週間後に来るのに。
まぁそんな事を考えていてもしょうがないな。
と、気付いたら音の中心部近くに来ていたらしい。………どうやら部屋のようだ。部屋番だけ確かめて引き返そう。
《207》


部屋に帰ってきてから、早速ギターを取り出して弾く事にした。楽譜を見て…………最初の方暇だな………最初は省略して。
しっかし、何と言うか、寒さが足りないんだよな。弾いていて「あ〜北国だ」って言う生ぬるい感じがする。もっと厳格な、重々しい部分もあって激しく、それでいてどこか切なく、静かに微笑む感じが出したいのだが。………中盤部に重い音を追加してみるかな。…………おぉ、それっぽい。よし、書き直しだ。あとはギターソロも少し変更して………おぉおぉそれっぽい。よしっ、通しで弾いてみるかっ。

…………っふぅ、快感♪

さて時間を見ると、大体七時ぐらいになろうとしていた。確かクレン氏は朝飯を
『はいはい起きた起きた!朝飯だぞ〜!』
―――声とフライパン打楽器が豪快に響く。成程。そりゃ寝てもいられないわけだ。ジャック氏が『庶民派宿〜下宿場〜』と漏らしていたのもよく分かる。俺も他の面子を待たせてもいけないので、《201》のルームキーを手に取り、食堂へと急いだ。

朝飯はわりと簡素なものだった。ロールパン、マーガリン、ジャム、クリームスープ、目玉焼き、ソーセージ、野菜の盛り合わせ。この宿の朝食メニューは、やっぱり世界共通なのか。まぁ下手に癖のある民族料理を出されるのはこちらとしても願い下げだが。
朝食に集まった顔ぶれは、俺、Doomの面子、クレン氏とその顔馴染み、そして見慣れない顔が一人。
俺らの他に客がいたらしい。昨晩の騒動の時には寝ていたらしいが、俺にしてみればよくもまぁあの騒がしい中眠れるもんだなと、その神経に素直に感心しちまう。バスの運転手といい、こんな所に来たりいたりする奴はみんな神経図太いのかねぇ。
綺麗な女性客だ。絹のような繊細(にみえる)指先・肌。人に『美しい』と思わせる適度なその白さは、ヨールの服を密かに掴むニクスの腕に、浮き出ている血管の太さから想像に難くない。恐らく、手を離した瞬間絡みに行くのだろう。ニクスの苦労とそんなヨールにいつも絡まれるドミナインに心の中で合掌。
顔立ちもすっきりしている。細い眉毛、流れるような黒の長髪、そして全てを見透かすような蒼い瞳。どこか日本人じみた感じもするが。
彼女は俺が来る前には既にここに来ていたらしく、殆んど食事は終っていた。ニクスの血管が更に浮き出る。ヨールは早々にがっついて食べ終ってしまったらしい。力を込めて立ち上がろうとする。ニクスはドミナインに密かに目配せをし、ドミナインは頷いた。そして立ち上がると、ニクスの後ろに来て、一瞬で軽動脈を極めた。
三秒後、のびたヨールをニクスが部屋に運んでいく様子を見ながら、俺はキースがこちらに微笑んでいるのに気付いた。………何を言わんとしてるのかが分かった。全く、本当に'素敵'な面子だよ。
俺らがヨールの動向に気をとられている間、彼女は食事を終えて部屋に戻っていた。かくして彼女の貞操は、彼女の預かり知らぬところで守られたのである。………っと解説してもしょうがない。一体彼女は誰なんだ?
……気にすることじゃないかもしれんが。


通じるかどうかはともかく、俺は部長当てにDoomの用件を打診しておくことにした。デモCDを帰国時に渡す、とも。果たしてどんなメールが返ってくるのやら。


食事を終えた後、俺はマッキンに呼び出された。何でも、ゲストとして出て欲しいとの事である。
『キースは出す気満々だぜ。俺laの演奏も聞けることだし』
しかし俺なんかで大丈夫なのか?こいつらの演奏を一度も聞いたことがないぞ。
「………問題ないのか?」
『問題ないないちゃ〜ん』
マッキンはあっけらかんとした口調だ。
『今朝弾いてた、あの曲のトレモロぐlaいの速弾き出来るなla問題ないないちゃんよ〜』
………さっきから気になるが、
「………ないないちゃんって何だ?」
『知laない?日本で今人気のコメディアンのギャグ』
………誰だこいつに偽の知識を植え付けた奴は。微妙に違うだけに反論しづらいが………まぁそれはいいか。
………まぁ練習に参加すりゃ、こいつらの実力も分かるか。
実力高い:そのまま気にならない。
実力低い:俺が目立つ→商売?
流石に売名行為はよそうか。いずれにしても俺に損はないだろうな。あのトレモロで認められてるんだったら、自分の実力が低いことはない(と少なくとも相手は思っている)からな。
「………いいぜ。ただし練習には参加させてくれ。曲が聞きたいしな」
『交渉成立だな』
それから俺らは、握手を交した。


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