序章:日常





どうして女と言う生物は、出かける準備にこうも多大な時間をかけるのだろうか?時計の分針が十五度ほど傾いてなお出る気配の無い我がパートナーに向けて、俺は本日何度目か分からない溜め息を聞かせた。
「………準備はできたか?」
これが家を空ける事になる心配から来るならば話は別だが、うちには常時シルキーのマルムがいるからその手の心配は無用。俺を待たせている相棒は化粧をするような性格ではないので、それも遅刻の原因ではない。
考えられる原因は――、

「………擬態する服ぐらい、仕事の手紙が来た瞬間に決めろぶっ!」
ドアの前で待っていた俺は、不意打ち且つ猛烈な勢いで開くドアに反応できず、見事に顔面直撃。しかも言葉の途中でぶつけられたため舌を噛むと言うおまけもついてきた。
「アンタが無頓着すぎるんでしょうが!少しは隣に立つ女の身になって考えなさいっ!」
俺にドアをぶつけやがった遅刻魔、相棒兼恋人を自称しているモイ・スペランツァーは、シャツにダメージドハーフパンツという至ってラフな格好に、彼女愛用のピンク色のミニポシェットという、アクティブスタイルで、いまだ顔面の痛みに悶える俺の前に仁王立ちをした。
「………出発予定時刻を大きく過ぎてまで開き直れるお前の精神が知れない」
予定ではもう今頃はエクトレスシティ行きの列車の中で、任務の確認と作戦を二人で喋っている筈なのだ。それが何故にこれだ?言っては悪いがここは田舎だ。電車が来る時間は限られている。
そんな俺の都合など知ったこっちゃないと言わんばかりにモイはまくし立てた。
「仕方ないでしょうが!一時間前にいきなり任務があるからって言われて、動きやすい服にしろって早々思い付くもんでも無いでしょ!そもそも手紙もらったのはいつよ!もらったならもらったその日に連絡しなさいよ!」
おいおい、俺の所為かよ。それに貰ったのはつい三時間ほど前だ。
「………調停者の依頼は不定期だ。それこそ、夜でも来る。いつでも出発できるよう準備しておくのはこの業界の常識だ。覚えとけ」
「何よっ!その言い方――ってこら!フレイ!勝手に行こうとするなぁっ!」
モイが後ろで不平を言うのにも構わず、俺はドアまで歩いた。ただ――。
「………俺の影にしがみ付いて動きを止めるなよ」
モイの影が俺の影を掴み、両腕をがっしりと捕まえていた。
「だって、そうでもしないと止まらないでしょ?」
悪びれた風もなく、モイは言い返してきた。全く、口は減らないものだな。


次に電車が来るまでの時間、俺とモイは任務の再確認をベンチで行っていた。
「今回の目的地は、かつてはエクトレスシティの象徴だった、エクトレス電波塔だ」
俺は地図をモイに見せる。すぐにモイは記憶に行き当たったらしい。
「あぁ〜。老朽化が激しいし、建て直しよりも新たな塔を建てる方が安上がりだって事で、建設業界でのイザコザもあって、ろくに地鎮せずに新しいのを別の場所に建てちゃった結果お払い箱になったあの塔?」
行き当たりすぎだ。建設業界のイザコザなんて裏事情どこで仕入れたよ。
「………アニミズムの儀式をここでやる分けないだろうが。精々シルキーやブラウニー、その他諸々の建物にいる精霊と交渉するぐらいだ。建物に移るための下準備としてな」
「ん〜、でもそれが今回は」
俺は溜め息をついた。
「そう。行われていないんだよ。恐らくモイ、お前の言っていた『イザコザ』とやらが原因でな」
精霊は力はあるが、低級なそれは暴走しやすいという極めて厄介な欠点を持っている。精霊が純粋であり、故に歪められやすいからだ。
だから建物を移すなり新しいものを建てるときは念入りに交渉する必要がある。それを怠ると、精霊が歪み、悪霊となる可能性が出てくるんだが………。
「でさ、その塔でいったい何が起こってるわけ?」
モイの声で俺の意識は現実に戻され、渡された紙を今一度確認してみた。

「――被害報告。
某塔周辺五キロ圏内に於いて激しい磁場の乱れが観測された。
その影響を受け、精密機器類は軒並全滅。元々工業中心であるこの地域は多大なる経済的損失をうけ――………何つ〜分かりやすい被害だ」
強力な磁場は、近くの電気機器類の内部磁石をぶっ壊すからな。んで、被害が出たからうちに報告が来た、と。全く………人手不足にも程があるぞ、この仕事。
………と、モイが『服』のポケットから何かを取り出して見ていた。俺もそちらに視点を移すと――

「……わ〜、分かりやすいね」
「………ああ」
手に置かれた方位磁針の指す先、それは件の電波塔の方向であった………。


『さぁ、お待ちかねィ今日のゥトーキィニュースショーゥ!MCはゥ私ィ、DJィフェリス・デックウィィンがお送りしまァす!
早速お手紙紹介だァッ!R.N.『5.1サラウンドな私』氏からァ!え〜「今日は、いつもラジオを楽しく聴かせてもらってます」アリガトゥウゴザィイマァッス!「近頃、私の家の周辺で鳥類の正面衝突事故が増えています。美味しく頂いていますが、どうにもおかしいので連絡させていただきました。これって何かの事件ですよね?」………ん〜ン。5.1さァん?貴方もしかしてェお隣のピーちゃん食べちゃったりしてなァい?体壊すから止めた方がイイゼェ!
それは兎も角、鳥類は電磁波や磁気を利用して方向を知っていると言う説があるのを知っているかィ?5.1さァん。貴方の住所は通信の中心地だぜィ?もしや電波は乱れてねェかィ?
オーゥケィ!今日のトップニュースはコチラァァッ!
《エクトレス電波塔、妨害電波発信?》
エクトレスっつったら、巨大な電波塔が二本ある事で有名な工業街だァ。貴方の家のォ家電製品、魔法製品の優に1/4から1/3はこのメーカァが作ってますよィ!今すぐ電化製品をォCheck it up!
さァてェここからが本題だァ!じィつゥはァこの塔から最近ン、ハタ迷惑な電磁波ぶっ放してるヤツが居るッて話だァ!その所為で製造業はMe-cha!Me-cha!電化製品の値段が鰻登りしてんのはUnderstand?
オゥケィ!オゥケィ!大丈夫心配は必要なァい!警察は二日ほどで収まるって言ってるゼェ!大ボラ吹いたら承知しねェゾ!ッて事で今日のFirst Number行ってミヨウ!
DELのォ【The Deadman is lire】!』


「――これは俺達が舐められてるのか?」
ラジオの向こうでは極太テクノが流される中、数分前から車上の人となった俺は思わず呟いてしまった。
グレムリンが原因であることは間違いない。他にこんな意地悪をしでかす妖精の類など、残念ながら俺は聞いたことすらない。
グレムリン単体だけなら、どれだけ数がいようと一日すらかからないだろう。
「それとも――」
むしろ恐ろしいのは、グレムリン以外の、高位の邪悪な存在が裏で手を引いていた場合だ。グレムリンは悪戯好きと言うところ以外は、それほど知能の高くない妖精だ。群れることなど圧倒的に少ない。そんなグレムリンが統率の執れた動きをしていた場合――。
「――いずれにせよ、やるしかない、か」
隣では、モイがラジオから流れる極太テクノに耳を澄ましている。時折何かを呟いているが、恐らくは流れてくる声に同調しているのだろう。
こうしてみると、普通の人間女子と変わらない。中身はともかく、外見すら。ただ、服を矧いだ瞬間に人間でないことがバレるだろう。

人は兎に角、他者を自分と同じかそうでないかで見なす悪癖がある。そして極端に違う存在は、そのまま崇拝か、無視か、迫害か。
特に自分と習性が、身体的特徴が、種族が違う存在に対しては、容赦無い迫害を加えるのが人間という種だ。その手の依頼を何度受けたことか。そして何度――嫌な気分になったことか。
正直、あの手の客は後免だ。こちらの完全なる尻拭いに終始するだけじゃなく、終了後も何だかんだ因縁をつけて依頼料が少なくなるのがザラだからだ。ただ、こういった地雷の客は大体依頼終了三か月後に、マジ顔で泣き付いてくる。俺に言わせれば、精霊を軽視した自業自得でしかないがな。
話がそれた。
………モイは精神的には人間だ。こいつと仕事するときは、その手の客には当たりたくない――そう願っている。
無闇に、傷付けたくはないから。
あいつ自身は、この手の差別がある事を理解してはいる。だが――理解しているだけだ。実際にその程度の甚だしさを、体験したわけではない。
だからあいつは、まだ知らないだろう。真に怖いのは、凶悪な精霊ではない。恐怖と嫌悪にのっとられた――人間だと言うことを。
俺は無言で時計を見て――そのまま外に顔を向けた。
煙のない工場街。それを見下ろすように建つ――電波塔。
ここからでも分かる空気。まさしく、アレはグレムリンの気配。
そして――。

「………」
全く、随分面倒なのが出しゃばってきたな………。どうにかしてモイと会わせないようにしないとな………。



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