序章:日常





現代世界に妖精、幻獣の類が出現するようになって数年。だがそれは、幻獣にとっても、人間にとっても、喜ばしくない結果をもたらした。
まず人間は、自らの欲の赴くままに幻獣達を狩り始めた。
リュンクスの石、ユニコーンの角は言うに及ばず、ドラゴンの牙、クラーケンの心臓、そして、フェアリーの羽根。
フェアリーの羽根のリン粉に含まれるとある成分が極上の麻薬(その名も『妖精の羽根』)になり、高値で取引されると言うことで、その容姿の可愛さとも合間って、フェアリーの数は激減していった。
それだけではなく、『妖精の羽根』を服用した人間が、その内部に含まれていた魔力によって怪物と化す事件が多発。何人もの人間が殺されていた。
幻獣側も、一部の種族が人間を、他の幻獣を狩り始めた。人間の血や肉は美味で、その頭脳は長寿の薬として裏で取引されているらしい。
その上、人間を殺し、その人間になりすます『成り代わり』が陰で横行し、人口が正確に掴めない、あるいはかなり減少していた。
警察や軍も麻薬ルート取締や怪物駆除を行っていたが、犯罪者の大元は尻尾を掴ますことはなく、ただ怪物による殉職者が増えていくのみであった………。
無論幻獣側も人間側も馬鹿ではない。幻獣と特殊な契約を結ぶことで特殊能力を発揮できる人間を、トラブルシューターとして用いる事を、双方で合意した。
これは、そんな人々の物語である。



「………でさ〜、こないだ電信柱で見掛けた娘がさ〜、実はバンシーだったってオチで………」
どこでガールハントしようとしてんだよ。その電信柱、まさか葬儀場の近くじゃないだろうな。いや、絶対そうだ。
「…………ねぇねぇ、この前のガーゴイル刑事!とっといてくれた〜?あれさ…………」
あの極端に張り込みと回想シーンが多いあれか。スタッフも仕込みにどれだけ苦労してんだか。
「…………あぁ、俺もラミアさんに抱かれてぇ〜〜っ!」
抱かれた瞬間、まず複雑骨折だな。全治ウンヶ月だぞ。そもそもお前の容姿じゃ相手にすらされんわ。
「…………この前、飼っていたフェアリー逃がしちゃってさ〜」
…………フェアリーは買って飼うべきもんじゃないだろ。金で買ったからって主人と奴隷、あるいは友人(どちらにしろペット)の関係に絶対ならない、そんな自由な存在だぞ。
………全く、回りの奴は何を話してるのやら………この日差しが心地よい放課後に……………。


『フ〜!起きなさいっ!』


耳元をつんざく声が突然上から響き、俺――フレイ・ド・アシュム――は意識を現実に引き戻された。顔をしかめつつ上を見ると、見慣れた顔。
「………ヴォイ」
ごすっ。
殴られた。
「誰がヴォイ(虚無)よ!モイだっつってんでしょ!?」
ごすっ、ごすっ。
更に殴られ、俺は机と彼女の拳の間を行ったり来たりしている。
モイ・スペランツァー。
俺の理由有りの幼馴染み、と言う以外に表現しようのない存在だ。やたら俺につっかかる――まぁ仕方はないが。
「………用は何だ!俺は眠いんだから寝かせろ!」
殴るのを強引にやめさせ、痛みに顔をしかめつつ俺は訊いた。
「フー!この前大通りを誰かと一緒に歩いてなかった!?」
歩いた。しかしそれはお仕事上仕方ない相手なのだ。町並みが変わってしまいすっかり迷ってしまったデュラハンに、地図の読み方を教えながら歩いてた。首が安定しない事から、固定ギプスをつけた怪我人になってもらったが………いかんせんわりと美形が多いんだよな、妖精は。目立つ目立つ。
「仕事だ。地図を読ませるには歩いて教えるのが手っ取り早いからな」
「じゃあどーしてアタシを誘わないのよ!」
あの日以来、モイは俺の仕事について行きたがる。それは事件が尾を引いているのか、それとも。
「護衛は必要ないし、それに当人から御指名だ。事情を知る者は出来る限り少なく、とな」
事情を知ったとしても、相手が誰か分からなければ別に話しても構わない、とも言質をとってある。
「だからって!」
「あのなぁ」
俺はモイの言葉を遮った。
「まだ免許申請段階のお前を連れていくと、俺の責任問題になるの。これは仕事だから」
そう言い終えた俺に、泣きそうな顔をしたモイは、
「…………馬鹿ぁっ!」
どがぁっ!


「おかえりなさいませ、ご主人様」
女性らしからぬ力で殴られた頬をさすりながら家に帰ると、商業用メイド服に身を包んだ女性が、スカートの裾をつまんでお辞儀してきた。この家のシルキー、マルムだ。無論女である。
「…………どこでそんな仕草覚えた?」
「あ、はい。先日モイさんが家にいらした際、『この方が受けがいいわよ♪』と教えて下さって」
顔を赤らめつつ答えるマルムに、俺は溜め息をついた。モイ………妙なことを教えんな。そもそもどこで覚えたんだそんな事。
「…………まぁいい。それより、『手紙』は来てるか?」
「はい。三枚ほど」
俺の目の前が一瞬暗くなった。
「………他の奴に回せよ……一枚くらい」
愚痴ったところでしょうがない。こっちが望もうが望まなかろうが仕事は来るんだ。とっとと片付けっかな。
「そういや、ガキ共はどうした?」
ガキ共、と言うのはこの家のブラウニー二人(二匹?)のことだ。いつもなら俺にじゃれてくるところだが、今日は姿が見えない。
「あぁ、チョコとココアの事ですね。彼等なら、何か『新しい友達』が出来たとか言って部屋に篭りっきりですが」
嫌な予感がした。俺は手提げバッグから黒い箱を取り出すと、そのまま二階にあるブラウニー達の部屋まで駆け入った。


「や〜〜め〜〜て〜〜!」
「ねーねー♪」
「あそぼー♪」


どうしてこうも俺の嫌な予感は当たるんだか。
チョコとココアは、一匹のフェアリーで大岡裁きを行っていた。フェアリーは涙目で痛みを訴えているけれど、容赦ない二人の腕引きは止まる筈もない。
一先ず二人を飴玉でフェアリーから引き離した。
フェアリーは痛みが収まるまでさめざめと泣いていたが、一分後、やっと収まったらしく、俺の方を向いて話してきた。
「いゃ〜、ありがとうございましたぅ〜。あと少しで殺されるところでしたよ〜。いやはや、最近の子供は」
「愚痴はいいから早く用件を言え。連絡員キセ」
俺の知り合い、と言うか任務通達役であるキセ。こいつの欠点は愚痴り出したら止まらないところだ。どこかで止めてやらなきゃこいつが寝るまで話す事になる。
「あ!フレイさんごめんなさい。えっと、用件ですね〜」
キセは、肩掛けバック(人形サイズ)から羊皮紙を取り出して、読み上げた。
「えっと〜………。


『フレイ殿


以下の魔法生物を、常時使用することを許可する


名前:モイ・スペランツァー
種族:シャドウストーカー


世界人間幻獣保安委員会委員長代理
ナツキ・イヅ 拝』


………だそうで〜」
それを聞いた俺は、後ろ手でモイにメールを打った。これであいつも機嫌は直るだろう。
「ありがとよ。他には?」
「ありません。ではではぁ、失礼します〜」
そう言うと、魔法で姿を消し、とっとと帰ってしまった。
………さってと、メールは来てるかな、と。


『アタシにその契約書見せてっ!』


………さて、どうするか。
絶対怒るんだよな………あの内容だと。つーか人間か亜人以外は例え意思や知性があったとしても、この仕事はそう簡単に免許は出さねぇんだよ。それでもやるとしたらもう一段階上の試験が必要なんだが、はてさて、どの辺りから説明すっかな………。


「「「いただきまーす!」」」
「…………おい」
「はい?」
晩餐、ディナー。
本来ならば身内や縁戚関係で催す日常イベントなのだが、と思いながら俺はマルムを睨みつけた。
「…………何で一人分あらかじめ多目に用意してたのかと思ったら………」
その視線を俺の右、蜂蜜を塗りたくったトーストを頬張るブラウニー二人の横に向ける。
「………っくん。何よ。来ちゃ悪い?」
俺の視線に気付いたモイが、口に入っていたものをブドウジュースで流し込み、そのまま俺に聞き返す。
マルムは申し訳なさそうな――その実、などとは絶対思っていない――顔をしながら心にもないことを言った。
「すみません。私はフレイさんが嫌がると思ったので断ったのですが、押し切られてしまいまして―――」
「嘘をつくな嘘を」
料理を見れば分かる。サンドイッチの具にやけに卵が多すぎる。モイの来る日は毎回卵料理が出るから、絶対こいつが家に連れてきた。そう確信できる。
マルムは「心外ですわ」と言いつつ、その口の端は幽かに上がっている。
追求しても年の功で避わされるのはこれまでの人生経験上嫌と言うほど分かっているので、俺はこれ以上何も言わず、目の前のチョリソーを片付けることに専念した。
「ねぇフー?契約書は?」
話が終了したと見たモイが俺に尋ねる。俺は食後に見せてやると返し、マーガリンに蜂蜜が上にかかったトーストにかじりついた。
分かっていた事だが、滅茶苦茶甘かった。一般の蜂蜜より絶対甘い。どこで仕入れてるんだと、我が家の財政一般担当者に訪ねたいが、
「乙女の秘密です♪」
と笑顔で言われてしまえば、何も言えなくなる。なぜ企業上の秘密でないのかと言う疑問が出てくるが。その辺りに答えがあるのかもしれない。


嫌な予感は大概にして当たる俺だが、今回だけは外れたらしい。
食後、モイが元気のうちに俺はあの契約書をモイに見せた。テンションが低いときに見せると、絶対明日学校にまで愚痴を持ち込む。うじうじとなじられ恨み言を延々言われるよりは、この家でぎゃんぎゃん騒がれる方がましだ。そう思ってこうしたのだが、意外なことに騒ぐことをせず、ただじっと真剣に契約書を見つめるのみだ。時折何かを呟いているが、読唇術が使えるわけじゃないから分かる筈もない。
やがてモイはめを瞑り、俺に契約書を返した。そして、俺の影の上に立つ。
途端、


すぽんっ!


俺の影に落ちるかのように、モイの体が消失した。地上に残ったのは、モイの衣服一式。

『…………あの後、アタシも調べたんだよね』
モイの声が俺の頭に響く。あの後、というのは、あの日の事件の事か。
『人間だった時のアタシの肉体が、あの日の事故で壊れちゃった後、フーはアタシを助けるため、非常手段として不完全な魔物生成を行って、アタシの魂をそれの核にした』
あの時、俺は肉体と共に魂が四散するのを防ぎたかった。だが、肉体の分解が進んでしまった以上、代わりの肉体をとっさに作成し、その中に魂を納めるしか助ける方法がなかった。例えそれが、魔法生物との融合だとしても。
「…………今でも済まないとは思ってる。あの時、俺が〔魂を保つカンテラ〕を持っていれば、この体にせずに済んだんだが―――」
『ううん、いいの』
モイは首を振っている、何と無くそう感じた。
『そりゃあ人間じゃなくなったショックは大きいし、色々と不便はあるけど、命を助けてもらったのに、そんな贅沢も言ってられないもの。それに…………』
突然俺の影が盛り上がり、背中から俺の体に絡み付いた。

『この体も、慣れてみれば案外楽しいものよ』

気付けば俺の影だったものは、今や俺を中心に半径2mの黒円を描き、所々波打っていた。
「モイ…………」
いつの間にこんな技を?てか本来シャドウストーカーは影に潜んで人を襲うぐらいしか出来なかった筈だが?等といった疑問を口にする前に、もう一人のモイが影から伸びてきた。
『ねぇフー?アンタがアタシのことで要らない引け目感じてるなら、その必要はないよ。巻き込んで責任感じてるとか、そんな事、考えることはないよ。だって、アンタの事が知りたかったから、ついて来るなと言われたのについて来ちゃったんだし。それに………』
もう一人のモイが、俺を前から抱き締める。つまり、俺は前後から抱き締められている事になる。
『こうして、今までよりフーと一緒に居られる機会が増えたしね』
「……………」
俺は後ろに絡み付いた'モイ'の腕を外し、前にいるモイの肩に置く。
「…………かなり危険な目に合わしてしまうことになるが…………それでもいいのか?」


俺の問いに、モイは頷いた。
笑顔で。


―――――――――


「アタシがヴォイと言われるのが嫌になったのはね」
人の姿に戻ったモイ(影はモイ自身がその力で作り出している。これがかなり習得するのにてこずるのだ。何しろ、光の角度に合わせなければならないのだから)は、俺の自室の椅子に勝手に座りながら、ゆったりと話し始めた。
「自分が中身が無いんだ、って事を嫌でも思い出しちゃうから。外見がどんなに人間でも、心がどんなに人間でも、体は、魔法生物なんだから………」
魔法生物は、ウィル・オー・ウィスプを想像すれば分かる通り、大抵は実体を持たない、魔力を核とした生物………いや、存在である。
魔力は体力同様回復するので、寿命を持たないそれらは、実質永遠の命を持っているに等しいが、ただし、それらにとっての魔力は、それら自身の存在計数に等しいので、魔力が尽きた瞬間にこの世界から消滅する事になる。
それ自身の肉体を持たない、と言うことは、今までそれを持っていた者にとって、相当の苦痛であるのに違いない。光のある世界において、肉体ほど自分の存在を明確に示すものはないからだ。
「………」
まぁ確かに傷付くわな、と話を聞きながら俺は思った。無、と言う言葉は強い肯定にも否定にもなりうる。
その無垢なる絶対性。
対象の一切を否定するその能力は、魔法生物に代表されるような、無の中に無理に有を作り出したような存在の、その原点一切を否定する。そのことは、人工生物における『死』を意味する。いや、死ではなく、『消滅』だ。
「…………でも、なるべく前向きに考えようと、これでも頑張ったんだよ。気にしないように、勝手に言わせておけばいい、そう流せるように――」
最後まで言わせたくなかった。
「―――モイ」
「…………」
彼女の肩は震えていた。
「………巧くは言えないが…………、魔法生物の体になった時、その本能に、存在を消されると言う意味にとれる単語への恐怖が付与される………」
ここで俺は一度言葉を切る。
「………その前提を忘れてるつもりはなかったが、………今まで通り呼んでたのがそこまで傷付けてたとはな………すまん」
俺は謝りながら、
「だから………


………胸なら貸してやる」
柄にもないことを言ってしまった。正直、体内の血液が全て沸騰してイフリートになってしまいそうな程に恥ずかしい。
だが、
「…………ぁぁぁぁああん」
モイは、俺の胸に蹲りながら、
「ああぁああぁあああん…………」
泣いていた。
闇色の滴が、俺の服を伝って下に落ちていく。シャドウストーカーだから、本来は涙は体内にない。故に彼女の意識が作り出したのだろう。
滴は地面に溜り、徐々に影を広げていく。じきに、部屋の床は全て覆われてしまうだろう。
だが、それでも俺は構わなかった。
無理していたモイの心が、少しでも、休まるのなら、それでも構わない………。




これは、後に《影使いの調停者》の異名を持つトラブルシューター、フレイ・ド・アシュムと、その恋人であり使い魔であるモイ・スペランツァーの、行動の記録だ。



【目次】【NEXT】【TOP】