ひとつの でぐち





―――――

'ここからの話は、言い訳に聞こえるかもしれないけど、取り乱さないで聞いて欲しい'
しばらく静寂が続いた後、『私』は、'私'に向き直ると、真剣な顔をして問掛けた。
'私'は―――深呼吸をして、頷いた。


'貴女ができるきっかけになったのは、私よ'


'私'は黙って、その一言を心に留め、『私』の話の続きを待った。
『私』はさっき、'私'が偽物か、本物か、そんな話には全く持っていかなかった。その代わりに、『私』も'私'も、精神体の一つでしかない、という話をした。この『空言の海』に居る、精神体の一人。
『私』は、'私'が自分を偽物だとする根拠を崩しただけ。まだ'私'は偽物かもしれない。
そんな'私'の疑問、不信、その他諸々の感情に答えるかのように、『私』は口を開いた。
'作り出した、とは言っても、元々は空言の海と虚砂。それにね――'
ここで私は一度言葉を切り――まるで自分自身に言い聞かせるように――継いだ。
'例え造り出したのが誰であっても、それはそれとして一種類の感情となる。性格となる'
『私』は、改めて'私'を見る。その瞳は、'私'と同じ色をしていた。外見的特徴ではない。『私』が抱く想い、考え、悩みが'私'のものと一致している。そう直感的に確信した。
『私』も、自分が偽物ではないかと、思い悩んだ人であったのだ。
'って詩人、知ってる?心の世界について思い描いていた人なんだけど'
'私'は少し考えて――すぐに思い出した。
いつからか、父親の本棚の隅っこにあった本。当時の'私'には難しく感じた、どこか不思議な世界を描いた詩集。その著者が氏だった。
'その詩集に一つ、心に残る一言が書いてあったの、覚えてるよね?'
ね、と言われて、'私'はまた記憶の棚を探る。自分の部屋ほどにも整理できていない頭だ。今頃は雑多な物で溢れかえっているに違いない。
………どうにも記憶に靄がかかって………。

潮騒。

――!――


かかっていた靄が、一気に晴れ渡った。
本を手にとったあの時、'私'は不思議な挿絵見たさに、ページをパラパラとめくっていた。そんな折。
唐突に、何も、文字すらも書かれていないページを見付けた。
不思議に思って、もう一つ捲った。
そこにも何も書かれていなかった。
捲っても、捲っても、そこにあるのは空白ばかり。
'私'は次第に飽きてきて、ある所まで来たら手を止めようかと考え始めた、その瞬間の。


開いていたページに書かれていた言葉。


《産まれたときの僕等は、ただの情報だった。
体も、意識も持たない、ただ存在しているだけの情報。
それが次第に体を持って。
それが次第に意識を持って。
そうして産まれてきた僕等は、
情報の在りかを忘れてしまう。
『僕』を忘れてしまう。
『僕』が変わることを忘れてしまう。
繋ぎ合わせて失ったもの。
継ぎ接ぎをほどいて消え去ったもの。
加えられて得たもの。
力を受けて変わったもの。
自分は一つじゃない。
『僕』は一つじゃない。
『僕』をいくつも産み出してきた
空言の海はどこに在る?
空言の海は側に在る。
その在りかを知るとき、
『僕』は―――》


'感情は、誰からも影響を受けるものよ。それこそ、自分が作り出したものからでも'
『私』は、目を瞑った。
'何かしら影響を受ける度、私達は産まれるわ。そして、どれもが私であって、貴女であって、その実どちらでもない存在'
'私'も、目を瞑った。『私』の言葉を心に納めるために。
もう、十分だった。
'だから――――'
この事実を納得し、理解するのに、これ以上の言葉は必要なかった。




――オリジナルなんて、本物なんて、存在していない――




'そういうこと。強いて言うなら、私達全員が『本物』であり、でも『本物』そのものじゃなくて、『本物』の断片っていうわけね'
――………私達は個別に独立はしているけど、誰が本物とか、誰が偽物とか、そんな概念は基より成り立たない――
それらは全て、変化の過程で産まれてきたもの。いくつもの私は、私が変わってきたことの軌跡。私だけではない。全ての存在が、この『空言の海』から産まれてきたものなのだ。
'だって、全て本物なんだもん'
あっけらかんと、しかし的を射た答え。
そう。
目の前の『私』も本物。
あの感情の断片達も本物。
そして、ここにいて悩んでいる'私'も本物なのだ。
――自分探しは、大概失敗に終る――
'自分を受け入れる、それは凄く大変なことだから。でも――'

'――でも大切なことは、他の存在の真偽を確かめることじゃない'
――他の存在を、自分から受け入れること――




それこそが、真に自分を知ることだから。




'………そろそろ時間ね'
『私』の体が、光を帯び始めた。別れの時、いや、この世界にいること、その終りが近付いていた。
'――私の全て、貴女に預けるわよ。この世界の出口を開けられるのは、貴女だけなんだから'
出口は一つだけ、それは戸を開いた者でしか出られない、と『私』は続けた。『私』も、前にいた私から同じように言われ、同じことをしてきたのだ、と。
――(いずれ私もそうする日が来るのだろうね)――
その間にも、『私』の体は光に包まれていく。
行かないで、とは言う必要はない。それは'私'が一番知っていること。
'私'は、光に変わっていく『私』に一歩、一歩と近付いていき、


そして―――


'でも忘れないで。私は、いえ、私達は、いつでも貴女の側にいる事を。
だって、私達は貴女、貴女は私達なんだから'


―――光が'私'を包み込んだ。




'私'の中に、どこか暖かな、懐かしいような、そんな感覚が伝わってくる。
'私'の中が、真に満たされていくような――。




―――おかえり―――




思わず口から出た言葉、それに、『私』も返してくれた。




―――ただいま―――




そう言った後で、『私』は'私'に言った言葉は、




―――そして、おかえり―――




そして、'私'は――――





―――ただいま―――






光に包まれた世界の中で、彼女を抱き締め、キスを交した。





―――――


そもそも、'私'も、『私』も、どうしてこの世界に来たのだろう。
一人になった、いや、『私』と一つになった'私'は、空言の海を眺めてみた。
浮かぶ記号。
アルファベットの羅列。
その向こうに見える十六進法。

断片的に、ノイズがちに聞こえる声に、改めて耳を澄ましてみた。
――…04…t fou……――
――…ん、援軍は………――
――……は、…ラワロ……――

あぁ、そうか。
きっかけは、電子空間上で何かを探していたからだ。
自分を満たすものを。
空虚に感じた自分を満たすものを。
でもそれは、自分を満たすものではなくて、逆に自分を瓦解させていくものでしかなかった。
それに気付いていなかった。
多分、気付いていないから瓦解していくのだろう。
必要なものを探す手掛りしか、ここには存在しないから。

この世界に迷い込んだきっかけがそれならば、この世界から出る方法も分かったも同然。
'私'は、いつしかの祭壇に向かった。

――――――

最初に来たときとは違い、祭壇全体が、文字の光によって照らされていた。
躊躇うことなく、'私'は中に入る。

最初来たときには開いていなかった空間が見えた。壁に、人一人が入っていけそうな穴と、その先に見えた階段。
'私'は奥へと進んでいった。
奥へ、下へと進む毎に、壁に明かりが――文字の明かりが灯っていく。
'Ease'
'Anger'
'Lonely'
'Courage'
今まで出会った感情の名前が、明かりとなって'私'を先へと導いていく。
やがて、最深部へと辿り着いたとき、
'Myself'
その文字が一際強く輝くと、


目の前に窓が現れた。


その窓には、取っ手がなかった。
その窓の先には、景色がなかった。
その窓にあるのは、枠に掘られた文字、と、その下にある二つのボタン。
枠の文字は、
'exit?'
ボタンには、
'yes!'、'no...'
と刻まれていた。

'私'は、目を瞑った。
ここで感じた色々なこと、
ここで知った色々なこと、
ここで話した色々なこと、
そして、ここで受け取った色々なもの、
それらを全て、心の海に浮かべ、自分のものとして受け入れるために。




目を開けた'私'は、




何の躊躇いもせず、












'yes!'のボタンを押した。




――――――




自分を見失ったとき、'私'は自分が自分だと思えなかった。
自分は偽りのもので、他に本物の自分がいると思っていた。




でも、違うんだ。
偽っている自分も、
偽らないでいる自分も、
全て本物の自分。








みんな'私'で、『私』な、私なんだ…………。



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