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蒼い空。
えぇ、蒼い空。
雲一つ無い。これを快晴と言わずして何を快晴の定義と為すのかと言いたくなるほどの、真夏の蒼い空。
天を支配する太陽が邪魔者を押し退けて優越感に浸っているその下で、どれだけの生物がその恩恵を意識無意識のうちに授かり、またどれだけの生物が他者には分からぬであろう試練を身に染みて感じているのだろうか。
太陽目線で地上を見下ろしてみる。
………海が見える。
波は一定の周期で寄せては返し、寄っては戻っていく。その度に砂浜はまるでトンボをかけられたように平坦になっていく。それは自然の産み出す美しさ。
だが平坦なものは波打ち際のみで、そこから少しでも離れていくと、風によって盛り上がったところや、へこんだところが目につくようになる。これも自然の産み出す造形美。
更に離れて見てみると――――。


―――離れすぎた。
海は見えるが、こちらは自然とは無縁の人工的地帯。
黒光りする地面の中心部に、断続的に白い線が描かれ、端々には蛍光灯が立ち並ぶ。その合間に、行き先を告げる緑色の看板。高速道路の中である。
その上を走る、一台の大型バイク―――であろうもの。であろうもの、としたのは、それが一般に言われているバイクと呼ぶには少々不都合な点がいくつか存在するからだ。
一つ、メーター表示の桁が400km/hまで表示されている。
一つ、後部座席が初めからついている。
一つ、カーナビが完備されており、確認画面がメーターの横についている。
一つ、フォルムが妙に近代的であるetcetc......


その他、目に見えない部分まで異常なまでに改造されているので、正確に大型のバイク、と一くくりにすることは出来ない、そんな二つの車輪のついた乗り物が超高速で道路を爆走、あるいは暴走している。
無論人は乗っている。


ノーヘルだが。しかも二人乗りだが。


運転している方は21才くらいの男性のようだ。太陽の光を反射して輝くブロンドの髪に、黒いジャケットの袖から覗く白磁のように透き通った肌。両手首の辺りには何やら不思議な――アルファベットとキリル文字とギリシャ文字を合わせたような――模様がついた黄金色の腕輪が填められており、よく見ると、両足にも似たようなアンクレットがつけられている。
その彼に抱きつきながら後部座席に座っているのは19才くらいの女性である。黒のツインテールは風になびきながら艶やかに輝き、健康的な焦茶色の肌が白のジャケットから飛び出して自己主張をしている。はいている青いジーンズの横には、首からチェーンで繋がれている、天使と悪魔の羽根のアップリケがついた桃色のポシェットが揺れている。
そのポシェットから出た紐のようなものは彼女の耳の辺りに繋がっていて―――。


『―――CRASH AND BURN! CRASH AND BURN! CRASH AND BURN! CRASH AND BURN! YEAH!―――』


―――このように物騒な歌詞の曲を巻き散らしている。幸いなことにイヤホンの音漏れは全て排気音やタイヤの摩擦音によって掻き消され、他人が聞くようなことはないのだが。


ブロンドの男は視線を一度上げると、自分の腰辺りにあるツインテールの女の腕を軽く二回叩く。女が腰を絞める力を強くしたことを確認すると、アクセルを一気に回した。
通常のモトクロスでもそこまで出すことはないであろうスピードで、二人のバイクは向こうへと走り去っていった。
緑の看板には、こう書かれている。


『鮎浜 2km』




超高速で出口を突っ切って、十字路の中心で猛烈なドリフトをかまして停止する大型二輪。通常なら機体の重圧なり慣性なりがかかってタイヤが破裂ないし変形してもおかしくない筈なのだが、もくもくと砂煙、そして摩擦により焦げたタイヤからの発煙だと思われる煙が立ち上るなか、外目から見る限りではタイヤに目立った外傷は見当たらない。物質的にどこかおかしいと思われる。


二輪が完全に垂直に立って停止したのを確認すると、ブロンズの男は腰を掴む手を二回叩いた。
しかし、離す気配はない。
もう二回叩く。
やはり動かない。
仕方がないので、掴んでいる張本人を軸に回転して二輪から飛び下り、留め具をつける。それから彼女の手を腰から一瞬外すと、そのまましゃがみこんで彼女を背負う。そして留め具を再度外し、二輪のサイドブレーキを下ろして、そのまま引いて路肩に寄せた。道交法を気にしているのか気にしていないのか全く分からない行動である。
二輪に留め具をつけ、鍵を掛けた後、男は虚空に向けて何か呟いた。


「そろそろ突っ込め。事態の異常さに」


………引きずりすぎたか。まさか第一話にしていきなり作中人物に突っ込まれることになるとは。


読者の皆さんは、当然、不思議に思っていることだろう。
何故、高速で誰にもぶつかることなく制限速度を遥か越えた速度で走れるのか。
何故ETC機能付きでも時速20km/hと言う制限がついているのにそれを遥か越えた速度で走り抜けられたのか。
その上、高速を抜けてすぐの十字路は平日でも大抵は混むのに、どうして中央部でドリフト停止と言う迷惑極まりない行為を平然と行えたのか。
いや、それ以前の問題だ。



―――どうして、海で、生き物の描写が全くなされていないのだろうか?―――



生き物は人間だけに限らない。空を舞う海猫、地を這う蟹と言った、生物が、どうして描写されないのか?
答えは至って簡単だ。



―――いないものは、描写できやしない―――



男は、自分の持ち物であろうAmato.Tとロゴの入ったミニトランクを片手に、何も通らない十字路を見つめながら、これから先の宿事情をどうするか、頭を悩ませるのであった。
その後ろでは、ようやく目が覚めた女が、しかし男の背中の居心地の良さにまた寝てしまおうと、目を瞑ってしまっているところだった………。

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『鮎浜
八百万(やおよろず)国内有数のリゾート地。
海沿いに建てられたホテル【舞潮】は慧星43年に建てられた宿場から、100年以上続く老舗中の老舗ホテル。そのためサービスのイロハどころかセスンまで知り尽しており、あらゆるニーズの客層に対応できる仕組みが完成している。
この地域は、その名前が示す通り元は稚魚の鮎がよく見られた事からそう名付けられた。
煉土35年、時のベルラル合衆国によって開国させられた際、諸外国の客と付き合う必要性があると感じた当時の藩主が、この街を一大観光地兼貿易港として扱うよう指示。その流れで現在でも続いており、鮎浜は外国でも受けが良い。
この地域の特産品は、残念ながら鮎ではない。鯛と車海老、特に車海老は質が良いと評判で全国の高級寿司屋から注文が殺到するほどである。また、全国で一番、釣道具を売っている地域でもある』


「………だそうだが、サービスは望めそうにないぞ、魔美」
「べっつにいいわよ〜。てっし〜がいれば気にしな〜い」
前の街で手に入れた『必見!世界の観光地ベストテン!』を眺めながら、てっし〜と呼ばれた青年――勅使ヶ原天人――は、少女――亜情魔美――に話しかけた。魔美は伸びをしながら、本当に関心がないように返事をすると、二本のコードが別方向に延び出ているポシェットの中に左手を突っ込んで、何かをいじり始めた。右手はというと、天人の左膝の上にちゃっかり置いてしまったりしている。
「ところでさ〜、これから何処に行こうと思ってるの〜?」
辺りを見回す魔美。ツインテールが左右に揺れる。
人の気配どころか生物の気配すら全くしない公園。その一角にあるベンチに二人腰掛け、どこかから取り出したパラソルで日を遮りながら、二人は今後の行動相談をすることにした。予定ではこのまま宿泊客の少ない宿にでも泊まりながら街を散策、ついでに愛の巣候補(注:魔美曰く)を探すつもりだったのだが、どうやら最初の段階でつまづいてしまったらしい。
何しろ、魔美と天人以外は生物が全くいない状態なのだ。宿がまともに営業している筈もない。いや、そもそも宿に人がいないだろう。この分だと恐らくガスも電気も回ってはいない。雨露をしのげると言う屋内の特徴を除けば、きっと野宿と変わりはしないだろう。
天人は腕を組んで一思案した後で、
「まずは、風呂のある宿屋を探すところから、かな」
それに魔美も同調した。
「まぁそうね〜。わたしだって折角宿場町に来たんだから、体ぐらいは休めたいし〜♪」
さっきまで車上で寝ていたことを完全に忘れたような口調で、魔美は言った。天人はもはや慣れているので突っ込むことはせず、左膝に自分の左手を置きながら、右手で地図をめくり始めた。
魔美がまた左手でポシェットの中をいじる。しばらくして、天人が地図を魔美にも見える位置に持っていきながら、口を開いた。
「………そろそろ曲だけじゃなくてアーティストも変えてくれないか?」
「え〜?DELいいじゃん」
少し頬を膨らませながら魔美が返事をする。彼女はこのアーティストのファンなのだ。
「いや、確かに良いんだけど、歌詞が暗すぎてずっと聞く分には滅入る」
更に頬を膨らませる魔美。しかしまぁてっし〜だし、仕方ないか、と思い直して、次の言葉を待った。
ページを捲り、天人がまた話し始める。
「Ventfluteは入ってる?」
「うん。でもあれさ〜、テンポ遅くない?」
「まぁな。だけど早いのもあっただろ、確か。そうだな………sanctus辺りはどうだ?」
その曲は、天人のいた場所ではあまりの早さと曲調に、あわや発売禁止になりかけた曲だった。しかし魔美は首を横に振る。
「あれでもこっちでは遅い方だよ〜。こっちじゃ速度インフレが起こってるぐらいだから」
「そうか…………」
地図を見ながら考え込む天人。少しの間沈黙が流れ、潮騒と、風が葉を揺らす音が辺りに響く。
魔美は左手でポシェットの中のi-podをいじりながら、突然、右手で天人の持つ地図を奪い取り、二人の膝に跨るように置いた。
「ねぇ!こことかどうかなぁ!海も近いし!ここからあまり遠くないし!お風呂が大きいし!」
魔美が指差したのは、舞潮とは比べられないほど小さな民宿であった。とは言っても、三十人くらいの団体なら軽く二団体は泊まれる規模の大きさだ。
天人はその場所を見つめ、縮尺を確認し、一思案の後に、
「…………おっしゃ、行くか」
二人の間に流れる曲が、天人の行動を後押ししたのかもしれない。
[Let's go!/Ventflute]


兎も角、二人は民宿【邯鄲】に向かうため、二輪に跨り、エンジンを起動させた――














「………何で俺の膝に座る?」
「いいじゃない♪誰も見ていないんだし」




――お姫様だっこ状態で。


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