0日目:飛行機内・空港



飛行機に揺られて、どのくらい経っただろうか、なけなしの金をはたいて買ったC-Cho.の腕時計を見ると、まだ発ってから大してかかっていない事が分かる。それなのにこの退屈感。
人間と言うものは不思議なもので、禁止されるとやりたくなってしまうらしい。機内はお静かにと言うことで、愛用のギターは荷鞄の中である。別にどれだけかかっても寝ていれば平気だろうと踏んでいたが、まさかこのタイミングで持病のギター欠乏症が発病するとは………。
これが発病すると、一度ギターに触れるまでは動悸、目まい、躁鬱などの症状が出る。そしてその前兆は、無意識に手をわきわきさせていること。
目が覚めて右手を見ると、しきりに手をわきわきさせていた。むしろわきわきさせているのに気付いて目が覚めた。ヤバい。下痢なのにトイレは順番待ち並にヤバい。これを解消するもう一つの方法のために俺は手持ち荷物の中をかっさばいた。
そうして取り出したのが、白紙五線譜のノートと、シャープペンシル。そう。その方法とは頭に浮かぶフレーズを書き留めることだ。そうすれば一旦は収まる。………三時間から五時間後には再発するが。
俺でない俺が動かしている感じで、手や腕が紙にその想いの痕跡を残さんと必死で動き回る。理性的ではなく、本能的な衝動に従って、次々に音符、休止符、記号がまっさらな世界に刻まれていく。自らの中からでてきた、自らも知らない旋律を。
俺はこの状態を『憑き人襲来』と呼んでいる。この時間だけ、俺の体の操縦権が俺の手から離れるからだ。何か俺も世間も知らない生物か意思かが俺の体をのっとっているに違いないと思えるほど、俺の右腕は俺の意思を遠ざける。いつからか起こった禁断症状ではあるが、俺にとってそれは、いつしかただの禁断症状以上の意味を持っていたのだった。
……右腕が止まった。やっと書き終ったかと思いつつ譜面を確認する。
どうやら曲調はマイナー進行らしい。Em→C→Dというイントロからするに、曲としては静かに始まるのだろう。バスドラムのリズムが少し2-stepじみているのが気にはなるが……。
まあいい。後で弾いてみて確認しよう。さってと時刻は………。
………とちょい待て!俺そんなに時間かかってたのか!?よく五時間近く集中が続いたもんだ。でも考えてみれば、全パート譜を書いている筈だからそんくらいかかるのは当たり前だよな。
しかし五時間ぶっ続け集中ともなると、体も頭も疲れてくるのが人間。暫く立たないうちに、俺は意識をこの世界からオサラバさせていた。………まぁあと五時間後には起きるんだろうけどな。

a ia ia I'm a little butterfly........

………携帯のアラームが鳴った。(注:機内はマナーモードでお願いします)流石に電波は上空まで追ってこない。未だに古臭いと言われる選曲だが、好きなものは好きだからしょうがない。他にもME&MYとかCaptain Jackとかも好みだ。
………っと俺の音楽旨好はここまでにして………俺、アラームは何時に設定したっけ?携帯を覗いてみると………。
見事に到着一時間前。かなり寝ていたらしい。五時間よりももっと長い時間を、だ。ギター欠乏症は発病しなかったらしい。
手持ちの荷物を確認し、俺は一時間の間、着いたら何をしようか考えることに費やすことにした。まぁ、まずはギターを弾くことになるのは分かってるがな。

…………。
行き交う人にやたら白人が目立つ。あとは出口近くにはスキー板を持った客が………お、あれは冬季スキー大会に向けた学生諸君か。頑張ってる頑張ってる。
本当にカナダに来たんだな、と初の海外脱出に少し感動を覚えながらも、まだ目的地にすら着いていないことを思い出して気分がやや沈む。手に握られた、「Ticket to Alaska」の文字が憎らしい。俺一人降ろすために停まる筈のないバスが、バス停で待っているので、ベルトコンベアから流れてくる荷物を手に、早足でバス停に向かった………ヤバイ、手がわきわきしてきた。ギターケースを持った瞬間に。待ち時間は………無いから、どこで弾くよ!?…………しょうがない。危険な賭けだが五線譜だ。

だがそんな俺の賭けは行われることがなかった。

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