3日目:『クレンの宿』2





『お帰りぃ。一体どこほっつき歩いてんだい?外出禁止令まであと三分ほどだよっ!』
いや、後三分どころか日が暮れるまでかなりありそうなんだが………、という反論を俺は必死で解体作業していた。まぁ地元人の常識に口を挟むのは愚かしい事だし、今の声も別に怒っての怒鳴り声ではなく、単純に心配しての声なのだろう。俺はその意を汲みとった上で軽く返した。
『全く。吹雪に拐われても知らないからねっ。ほら、罰として夕食の準備だよ!』
何の罰だよ。多分、
忠告を聞かずに外出を長時間続けた罪
なのだろうが………世界の神ぐらいじゃないのか?それを裁く権利を持つのは。
………まぁいい。



厨房に追いやられた俺を待っていたのは、
『メイちょ!このサラダ持っといてもらえるかいなっさ?これぞ天啓ナリ』
『………少しはまともな言語を喋れ………』
出会い頭に野菜一式渡すドミナインと様々なタレを作っているジャックだった。この二人、結構一緒にいることが多いのは、やはりヨール関連だろうか?
「天啓かどうかは知らんがやらせてもらう」
ドミナインから野菜一式を受けとると、俺は野菜を洗いに流しへ行こうとし………ジャックに止められた。
『…………』
「な、何だ?」
『…………生ハムとモッツァレラチーズが置いてある流しでお願いする…………トマトはスライスしてくれ』
あ、晩飯メニューの事か。
「了解」
さて、調理に取り掛かりますかね。…………っても俺は盛り付けるだけか。


二日酔い組はもう回復しているらしい。流石西洋人。分解酵素が違う。ということは………俺は調理場を見た。
「やはりか………え?」
ヨールとニクスは予想通りだった。ただ、まな板の上に置かれているもの、それは…………いつぞやのサーモンだった。
俎板の上のサーモン。さぞかしあの二人にとって捌き甲斐がありそうだ。
………リッツが流しに置いてある辺りで、もう既に晩飯は確定した。俺は野菜を洗い始めた。



その日の晩飯は、
「………わぁお」
予想通りサーモン尽くしだった。
サーモンと玉葱のマリネ、サーモン寿司、サーモンの刺身、リッツ+サーモン+イクラ、サーモンのムニエル、焙りサーモン、サーモンの………。………いきなり黄金伝説かよ?全て食べ尽せるのか?
俺は(多少は回復したらしい)ヤヨイ氏の顔を見てみた。………やはりどこか敬遠していると言うか何と言うか………圧倒されている。そりゃそうだろう。目の前に山盛りのサーモンマリネ(野菜切り、盛り付けは俺)、そしてかなりの勢いでがっつくヨールとニクス、そして………俺。
考えてみれば朝飯から夕方まで何にも食べていないわけで。だから腹が、体が栄養を求めているのは必然の道理なわけで。………後で同じような食べ方をしているクレンさんに、『なんだい男共。レディの前ではしたないじゃないか』とか自身がレディでない事を証明する一言を言われたのは少し堪えたが。
『………そういうおばさんはレディじゃないのか……』
ジャックがクレン氏に呆れながら問うと、
『あたし?あたしはマダムだから』
とばかりにサーモンの刺身をフォークで一刺しにしてを口に入れた。
ジャックがこちらに視線を向けた…………言いたいことは分かる。たぶんクレン氏以外この場にいる全員思っている筈だ。

《………その行為はマダムから遥か一億光年ほど離れているんですけど………》

何気無くヤヨイ氏を見て、彼女もやはり、同じ考えを抱いているのだろうか、少し眉尻を寄せていた。――どこかその表情がかもし出す雰囲気が母親に似ている気がしたが、多分気のせいだろう、と思う――
………考えてみれば、ヤヨイ・クリシュバールは稼いでる額から行ったらセレブに名を列ねても良い筈なのだが、どうしてこの宿に泊まったのだろう。まぁ下手な高級ホテルにはない良さを求めて来たと言う可能性もあるが………。
………いけね。焼きサーモンが食われちまう。俺は一先ず箸を進めた。


『この料理にはこのワインが合いますよ、どうぞ』
キースは、ヤヨイ氏が料理に合うワインを探そうとしたのを見て、すかさずアドバイスをした。どうでも良いが、方やクラシック界期待の新人天才ヴァイオリニスト、方やアングラ系ハードロックバンドの看板ギタリスト。しかもどちらも美形で、事情を知らない奴が見たら、きっと王子とお姫様か?と思えてしまうだろう。二人だけでここまで絵になるとは………。俺は手元にカメラがないことをここまで残念に思ったことはないだろうし、これからも当分はないだろう。
………神様は、マジで、不公平だ。
と、俺はニクスの腕を見てみた。はち切れんばかりに血管が浮き出ている………だからヨール、食事中ぐらいは抑えろよ………。
『………メイ……』
ん?この妙にぼそぼそとした声は………。
「何だ?ジャック」
『………どうかこの馬鹿と俺を引き離してくれ………』
「あ?」
見てみると、ドミナインがジャックの腕に頬を擦り寄せている。
『………はぅ………あったかいよぅ………お持ち帰りしたいよぅ………』
………うげ、気持ち悪。ドミナイン、お前何飲んだんだ?明らかに眼鏡でガリで地味変なお前の台詞ではないぞ?
『………どちlaかと言うとギャルゲーの、しかも俺の貸した奴の台詞だぜ、そle』
うゎ、マッキン!
「お前読心術使えたのか!?」
その一言にマッキンは首を振り、呆れながらドミナインの軽動脈を極めた。
落下×一瞬。
『コイツのこの台詞を聞いて、誰の台詞だと思わねー奴はいねーだlo?何年間こいつと付き合ってluと思ってんだよ……何度も同じ場面を見てんだよこっちは………』
「………マッキン、大丈夫か?」
『ああ。今まで酔ってたんだがコイツの今の台詞で百年の酔いも覚めたぜ』
「…………」
電波男ドミナインは、酔い冷ましには最適であり、最悪らしい。



その後、倒したドミナインを寝室に運んだり、ヨールをやっぱり絞め落としてニクスが部屋に運んだり、サーモンをまだ吹雪いていない外に置いておいたり(クレン氏曰く『出しときゃ固まるのよ』らしい)して、今日の晩餐は終了した。昨日ほど盛り上がらなかったのは、多分Doomの面子全員がライブ翌日で疲れていたからだろう。それに、二日酔いの余波も、多少はある筈だ。




他の奴らが部屋に帰り始める中、俺は食堂で少し考え事をしていた。
何故ヤヨイ氏を見て、母を思い浮かべてしまったのか。
顔立ちが似ているわけでもない。声も、やはり違う。
しかし、何と言うか………背負っている気配が似ていたのだ。儚く、すぐ消えてしまいそうな、まるで、そう。雪のような………。
『なーに思いに耽ってんだい?』
突然クレン氏が、俺の髪の毛をくしゃくしゃにしながら聞いてきたせいで、俺は現実に一気に引き戻された。
「うわわっ!やめて下さいクレンさん!」
とっさにその手を振り払い、俺は立ち上がってクレン氏の顔を睨みつけた。後ろにはストーブが見える。一人で暖まるつもりなのだろ。
『何だい何だい、辛気臭い顔してっからつまんない事でうじうじしてんじゃないかな〜って思ってねぇ』
つまんない事、か。そんな風に考えているように見られたんだろうか。
『まっ、人が抱える大概の悩みなんざ、あたしにとっちゃつまらないものなんだけどね。あっはっはっ』
………ひでぇ。
「………で、何か用ですか?」
少し苛立つ声を押さえて、さっきまで座っていたソファの反対側に立つように移動しながら、俺はクレン氏に尋ねた。
クレン氏は、やれやれといった表情でこう言った。
『今朝のあたしの情報、役に立ったかい?あたしはそれが心配でね、夜しか眠れそうにもないよ』
いや、それが普通だし。それ全然心配してねーじゃん。しかもそれ他の芸人のネタじゃん。
まぁ、お礼は言うとして。
「もちろん、役に立ちましたよ。ありがとうございました」
俺がそう言うと、クレン氏は嬉しそうに答えた。
『そうかいそうかい。役に立って良かったよ』
そして、今さっき持ってきたばかりの、自分が暖まる用であろう石油ストーブに火をともして………ん?石油ストーブ?
辺りに少し、石油の香りが漂い始める。
………え?ちょっと待てよ?あの博物館には石油ストーブが置いてあって、そこに火はついていた筈だよな?じゃあ何で、どうして博物館の中には石油の香りが全くしなかったんだ?
……まさかな……と思いつつも、訊かずにはいられなかった。
「………今の館長さんの名前は、ヴァン、ですよね?」

しかし予想通りと言うか、最後の砦陥落と言うか、クレン氏は怪訝そうな声で返答してくれた。



『………ヴァンおじさんは一年前に亡くなって、今は二十歳の孫のランケ君がやっていた筈だけど………』



…………。
これ何てWinter fantasy?
正直に話したところで信じてもらえなさそうなので、この後適当にごまかしたが………まさか、このfairy taleが実在するとはな………。となると、次は雪女か?………と冗談はこれくらいにしておこう。
『?ま、いいや。そろそろ寝ないと、明日きついよ?確かあんたも、明日には帰るんでしょ?』
「そうです」
『だったら早く寝ときな。準備は済んだの?ほら行った行った』
明らかに急かす口調で俺にそう言うと、クレン氏はソファに寝転がってすっかり寛ぎスタイルになった。………それが目的ですかい。





自分の部屋に戻った俺は、出発できるように荷物を整理し、何故かあまり眠くない体を無理矢理横にして、ベッドの中に入れた。これで目を瞑れば、いつかは夢の住人の仲間入りができる。そう考えていた、のだが……。



E〜〜〜〜〜〜♪



………何だ?こんな時間に。何の音だ?ヴァイオリン?しかも外から?外出禁止日じゃなかったのか?



A〜〜〜〜〜〜♪



…………どうしてだろう。すんげー気になる。



D〜〜〜〜〜〜♪



俺はベッドから這い出て、窓の外を見てみた。・・・まだ降っていないか。…………行ってみるかな。
そしてあの馬鹿でかいコートを引きずり出して………やっぱり重いな………外に出た。




音のする方へスクーターを走らせる。何故だろうか、地面が徐々に雪原になって行っている気がした。そういえばほんのりと雪が舞ってきている。外出禁止日というのも良く分かる。この降り方では吹雪になるのも時間の問題だ。だが不思議と、引き返す気にはなれなかった。寧ろ行かなければならない、そんな気すらしていた。
ふと、胸元が少し暖かくなった感じがしたが、気のせいだと思い、アクセルをさらに強く踏んだ。



やがて、巨大な湖の前にもう一度着いたとき――――。


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