3.5日目:丸太小屋





………何か冷たい感触が額の方にある。視界は、…………まだぼやけている。………にしても暖かいな、ここ。雪原の筈だろ―――?
視界がはっきりとして、ここが雪原でなく、どこかの山小屋であることが分かった。
「気が付いた?」
頭上からヤヨイ氏の声がした。体を動かして見てみると、彼女が暖かいスープをテーブルに置くところだった。
「全く、雪女に自ら精気を分け与える人間なんて聞いたことがないわよ」
そういう彼女の頬が、心なしか赤くなっていたのは気のせいか?
「………何と無く、助けなきゃな、と思っただけだ。まだ聞いてないこともあるからな」
ったく、素直に言えねぇのかよどういたしましての一言ぐらい。自分に悪態つくのもそろそろ飽きるぞ。
「まぁ………、それだけのため?それだけのために命がけ?あなた長生きしないわよ」
「ほっとけ。それより………」
俺はとっとと本題を切り出すことにした。
「あんたは俺の母親を知ってんのか?」
「ええ、知ってるわよ」
質問の仕方を間違えた。知っているのはさっきの態度で明白だ。…………俺が聞きたかったのは、
「このネックレスを見てあれだけ取り乱すのは、母親と何かあったんだろ?それを教えてくれ」
………高圧的になっちまった。こんな風にしか口を効けない俺の口の悪さを呪いつつ、返答を待った。
彼女は、観念したように溜め息をつき、そして話し始めた。

「……もう気付いているとは思うけど、あたしは雪女。日本の伝承にもいくつか残ってるでしょ?知らない?
まぁそれは良いとして、実はあたしと霜月は姉妹でね、あたしが遥かに年下だったから、彼女が面倒を見てくれてたのよ」
「つまり俺の母親は雪女だと」
「そういうこと」
かなり衝撃的なことを言われている筈なのに、そこまで驚かなかったのは、心のどこかで思い当たる節があったのかもしれない。あるいは単に衝撃に馴れてしまっただけなのかもしれないが。
「それで、貴方が首にかけているペンダントなんだけど、………渡されるとき、霜月姉さんは何か言ってた?」
「いや、直接には何も。親父からだったらいつも首にかけていろと言っていたくらいしか」
彼女は少しがっかりした様子で、
「そっか……………じゃああの事は聞いてないんだな………」
「あの事?」
彼女は説明を再開した。

「そのペンダントにはね、霜月姉さんの妖力が篭ってるの。雪も海も元は水だから、雪女の妖力とアクアマリンは封じるのにとっても相性が抜群なの」
ここで彼女は一旦言葉を切って、
「ここに力を封じる事で、姉さんは人間に近付こうとした。それもあいつ………瀬戸治樹を愛してしまったから………」
「………他人を愛することに、なんか問題が―――」
俺の何気無い疑問に、彼女は声を張り上げた。
「大ありよ!元来雪女は人を愛してはならないと言うしきたりがあるの!それを破らせたのよ!あの男が!あの男さえいなければ霜月姉さんは今でも生きていた!あたしに笑ってくれた!あたしにあの曲を教えてくれた!」
あの曲?…………まさか!
「それって俺が弾いていた………アレか?」
「そうよ!」
彼女の感情は興奮と怒りの激流に飲まれて荒れ狂っていたように思える。暫くは収まらない、そんな気がした。
「あの曲は雪女の間に伝わるフレーズに、物好きの人間伝承の歌詞を加えたヤツなの!少なくとも雪女の間でしか伝わってない筈のメロディを、どうしてあなたが知ってるか?決まってるじゃない!あの治樹とやらが教えたんでしょう!霜月姉さんが私に『これは私達だけの秘密にしようね』って言ってくれた曲を盗み聞きして!あの男は一体どれだけ私たちの思い出や過去や命を踏みにじれば気が済むの!?お姉さんを返して!優しかったお姉さんを返して!返してよぉ……っ」
最後の方は俺に八当たりしているように、つっかえていた想いをぶつけてきた。明らかに涙混じりの声で。…………所々誤解があるからあとで訂正しなきゃな。
一先ず俺は、今は聞き役に徹する事にした。


親父は母親を愛していた。母親も親父を愛していたのだろう。そうじゃなければ母親はしきたりを破らないだろうし、親父は母親を取り戻すために田舎に向かったりはしなかった。結果として二人一緒にその人生を終えてしまったんだろうが。
だが彼女――ヤヨイにとっては、それは自分と姉の仲を親父が引き裂いたようにしか見えなかったのだろう。そしてそのどこの馬の骨とも知れない男が、姉を殺した張本人であるようにしか。一途過ぎる姉への愛、それが彼女の感情を塞き止めていたのだろう。残されたものには、悲しみだけがつきまとう。
残された俺はというと、父方の祖父祖母のもとで育ち、バイトをしながらギターを覚え、そして高校卒業と同時に、祖父祖母に別れを告げた。「いつでも戻っておいで」祖父祖母はそう言っていたけれど、戻るつもりはない。いつかは置いてかれること、それが分かっていたから。


俺は目の前で泣く彼女の気の済むまで、胸を貸す事にした。………何やってんだか。



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