4日目:『クレンの宿』〜飛行機内





翌日。
俺は夜のうちに涙ながらに書き終えたメモを、ヤヨイに渡した。
「………これで以上だ」
「声、大丈夫なの?」
一晩泣き明かした所為で、俺の声は少しかすれていた。まぁ歌を歌うことはないし、暫くしたら治るので、日本に帰ってからの仕事には問題はないが。
「…………ああ。それと……」
俺はベッドから起き上がり、手持ちのバッグの中を探って、件の楽譜を取り出し、彼女に手渡した。
彼女はパラパラと楽譜をめくり……………こう尋ねてきた。
「この曲のタイトルは?」
そういえばまだ決めていない。
「…………まだ曲を全部弾いたわけじゃないからな。決めてない」
あぁ、と彼女は納得したような声を出した。それからしばらく考え込み、ふと、



「『Freezing atmosphere』何てどうかしら?」



そう俺に告げた。




「『Freezing atmosphere』…………『凍てつく世界』、か………」




それは、俺とヤヨイが真に出会った場所。
それは親父と母さんが、出会い、そして結ばれた場所。
だから………。



「…………いいじゃねーか。それにしよう」



結論を待つ彼女に向けて、俺は親指を上に突き出した。






これは余談だが、今まで創った曲を彼女の前で弾いて、彼女の発言で確信した事が一つある。
俺のギター欠乏性は、つまりは母親の妖力の封印が月日と共に弱まり、ペンダントから流れ出して俺の体に溜っていったことから起こっていた、という事。彼女は、
「これ、全部霜月姉さんが考えた曲よ」
と少し不機嫌そうに言っていた。成程。妖力の中には、音楽が好きだった母親の意思が少しばかり込められていたらしい。その少しは、実は限りなくでかいものだったりするわけだが。
そして更に彼女は続ける。
「姉さんの妖力って、実は結構強いもんなんだよね。それに耐えられるってことは、あなた、体質的には雪女に近いんじゃないの?」
………思い当たる節はある。氷点下5度近くだと極端に元気になる、そしてこの雪原に来たときのあのノスタルジィ。
「………かもしれんな」
なんとも複雑な心境だが。男なのに雪女とは。
「………それはそうと、どうして湖の上でヴァイオリンを?」
今更と言う気もしないでもないが一応聞いてみた。彼女はあっけらかんと答える。
「まぁ、雪女としてのお勤め・・・・って事もあるんだけど・・・弾きたいと思ったから、って理由じゃ駄目?あたしはたまに練習の時とかこうしてるけど」
「いや、十分だ。俺もその感覚は分かる」
雪女にとっての夜の雪原は、俺にとっての夜の公園の感覚に近いんだろうな。多分。誰もいない、張りつめた空気の中で演奏する、そのときに得られるあの独特の感覚、と言うか快感がたまらない。それは互いに一緒なのである。




その後、Doomの面々と朝食、昨晩のサーモンパーティの片付けを行った。ヨールが面倒臭がってさぼろうとしたが、クレン氏がヨールの急所を握り潰そうと脅したため、誰よりも機敏に動いていたのには笑えた。
それにしても………。時が経つのは早いな。もう帰国日だ。
荷物の準備は出来ているので、俺はニクスに頼んで車に積んでもらうことにした。ニクスは、
『暇が出来たら、一度ここに来てみな。Coolな連中が揃っているから』
と、走書きの住所と地図が書かれたメモを、俺のポケットにねじこんだ。そのメモにはこう書かれていた。

《ライブハウス『ROTTERD@M』》

…………何だろう、非常に嫌な予感がする。行ったら身の危険を感じそうな響きだ。
「あ、ああ。暇が出来たらな」
そうは返事をしといたが…………どうしようか。


出発間際、車に乗り込もうとした俺に、クレン氏が駆けてきた。
手に、巨大な封筒を持って。
『ヤヨイちゃんから!メイ君、あんた楽譜渡しっぱなしだったでしょ!』
その言葉を言われてすぐ、俺は渡された封筒を開けた。
少し手直しされた、『Freezing atmosphere』の楽譜がそこにあった。
少し微笑みながら、俺はそれをまたしまう。出発のエンジンが、今かかった。

『じゃっ!良ければまた来てね〜』
手を振るクレン氏に、俺らは全員手を振った。
笑顔で。



「じゃあ、この場所でお別れだな」
行きと同様の乱恥騒ぎが行われたバスに揺られて数時間後、空港に着いた俺は、Doomの面々と別れの挨拶を交した。
『またいつか、一緒にバトリましょうね』
キースは相変わらずの笑顔でそう言いながら、右手を差し出した。
俺も笑顔で右手を差し出し、そして固い握手をした。
じゃあな。Doom。またやろうぜ。



飛行機の中で、ヤヨイからの封筒をまた開ける。中に入っている楽譜の変更点を探しつつ………俺は封筒の中に、小さな手紙が入っていることに気付いた。
取り出して、読んでみる。


『メイへ
貴方と出会って、私はようやく、霜月姉さんから卒業できそうです。霜月姉さんについて、教えてくれてどうもありがとうございました。
私と貴方の進む道は違うけれど、もしもまた、その道が交わることがあれば、その時は、よろしくお願いしますね。
ではでは。お見送りに行けないですいません。
P.S.この曲を収録する際には、私を呼んで下さい。
あと………姉さんのお墓の住所を、出来れば教えてください』



………違うぞ、ヤヨイ。
何よりもヤヨイに一言伝えたかったのは、俺の母親だ。俺は、それを代弁しただけに過ぎねぇよ。



もしかしたら………母親が俺をアラスカに連れてきたのかもしれねぇな。



俺に全てを知らせるために。
彼女に全てを知ってもらうために。



それが真実かどうかは分からねぇが、ただこれだけは言える。






――母さん、ありがとよ――



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