はじまりの すなはま





――――――――



そして'私'は、気付けばまた砂浜にいた。
あまりに広大で、海が見えない『空言の海』の砂浜。
先程の雨で、崩れてしまった砂は、まるで壊れた卵のような形をしていた。当然、中には誰もいない。ただ盛り上がった砂があるだけだ。
触れても何も伝わらない砂を手に取り、月の光に照らして中を覗いてみた。砂の一粒一粒に、意味のないアルファベットの羅列が浮かんで見える。時々意味が出来てしまうものも見えるが、多分偶然だろう。
掬った砂を、幽かに吹く風に流してみた。風に溶けたときに、幽かに響く声。
それは草原の優しさ。
それは溶岩の憤怒。
コンクリートの冷徹。泥沼の渇望。闇の自嘲。海の寛容。森の静寂。硝子の虚勢。氷河の拒絶。岩場の信念。トタンの一助。鉄板の自惚れ。陶器の繊細。砂漠の孤独。煉瓦の包容。
そして――――。

ありとあらゆるところで聞いた様々な声が、砂の音に混じって響く。
そして、消える間際に彼女たちが見せた、微笑みも。


'かつて、生物は己と言うものの意義を求めようとはしなかった'


声が響いた。恐らく――'私'が求めていた。


'当然のこと。まずは生きなければならなかったから。余計なことを考えていたら、命がなくなってしまうもの。その方面に働く知能が無かったのかもしれないけどね'


足音が、砂音が、こちらに向かって響いてくる。'私'は辺りを見回して、人影を探した。


'しかし、何億年もの進化の過程において、知能を発達させ、生きる事を当然にした種族がいた'


風で砂が舞う中、'私'は答える。



――それが、人間――



'ご明察'

その声と共に、'私'の前に現れたのは、やはり'私'の姿をした人間であった。
'私'と同じ声を持ちながら、トーンは全く違う。
'私'と同じ瞳を持ちながら、眼孔の鋭さは全く違う。
'私'と同じパーツを持ちながら、そのどれもが違っている存在。

'ま、人間も動物の一種である以上は、生きること最優先ではあるんだけどね'
彼女は、'私'には到底真似できないような、気持ちのいい微笑みを浮かべながら続けた。
'時は流れ、環境が豊かになり、生きることが当然のものと化した時、人は改めて、自分と言うものを考えたのよ。所謂哲学の一つ、って言った方が大多数の人には分かりやすいかな?
社会とは、人間とは、世界とは。様々な入り口があるけれども、目指してる先には、大抵『自分とは何か』って言う命題があるんだよね'
そこで彼女は一息切って、
'でもそれは『恵まれた』人達であって、一般の、食べられればいい、生きられればいい、と考えている人はそんなことは考えない。彼等の目的は単純であり生物の元本を為すもの。即ち'
――生きること――
'そゆこと'
'私'の言葉に対し、彼女は微笑んで答えた。
'ちょっと歩きながら話そっか'
彼女は'私'の手をとって、先に歩き出した。'私'が肯定も否定もしないうちに。
何が何だか、聞きたいことや疑問の整理がつかないまま、'私'は彼女についていくことになった。


ノイズ。
潮騒を模した。
彼女と歩くうちに、いつの間にか『空言の海』の前に来てしまったらしい。
'ここならいいかな'
彼女はそう言って、'私'に向き直る。
'まず、貴女を私は探してた、って事を伝えるね。で、貴女は私を探してたんだよね?'
別に嘘をつく必要もないので、'私'は頷いた。
'そうなんだ。………何で?'
何故?
決まっているではないか。
――貴女を、つまり本物の'私'を探して、助け出すため――
'私'は、あの遺跡の文字の通りに伝えた。それをしなければ、彼女も、'私'も、消えてしまうという事をも。
予想された返答だったのか、彼女はすぐに返してきた。
'私もそうと言えばそうかな。………でも、聞きたいんだけど………'


'本物の私って、何?'


その質問に対する答えを、'私'は持っていなかった。いや、持てなかった。
根拠は'私'が偽物であると言うこと。そしてそれは遺跡に書かれていたことでもある。
だが、'私'は、本物の自分を探すのに、その本物の自分を知らなかったのだ!
ともすれば、'私'が探していたのは一体何か。言うまでもない。'私'ではない'私'だ。それが本物であると言う証拠などない。'私'はただ、'私'と違う存在である'私'は本物と言う思い込みで行動していただけに過ぎなかったのだ!
そんな動揺に彼女は気付いたらしく、質問を変えてきた。
'そもそも、自分を偽物だと思うようになったのは、何で?'
'私'は遺跡にそのように書かれていたと、答えた。
彼女は、何かを考え込むように少し顔をふせて、左手で額を押さえ、少ししたら離して、こう、'私'に告げた。
'ねぇ、それって、『虚食の砂』とか、まやかし、とか、そんなことが書かれていただけで、貴女が偽物だとか、本物だとか、そういう話は、全く無かったんじゃない?'
そうだっただろうか?私は思い出そうとして――心に恐怖が満ちていた。思い出したら私が壊れる。思い出さないでくれという、別れ話の中で一緒に居るようただひたすらヒステリーに懇願する人物のような、ある種未練がましい声が私の感情を乗っとり、手足の感覚を乗っとろうとしていた。
――………でもっ!――
絶望の先に、真実が見えるのならば!
心の中で暴れ狂う恐怖を必死に押さえ付けながら、私はあの遺跡に書かれていた文を、今改めて思い直してみた。


―――――

かりそめの姿を
与えられし虚無よ!

汝に分け与えられし
姿の持ち主を

この『空言の海』から
捜しだして救え!

―――――


………確かに'かりそめ''虚無'とは書いてあるが、'偽物'などとは書かれていない。それに、'分け与えられし姿の持ち主'とは書いてあるが、'本物'などという文字は全く書かれていなかった。
――…………でもっ!――
押さえ付けていた恐怖心がまた私の体を乗っとり、喋り出す。
――かりそめや、虚無というのは、それだけで私が偽物だって――証拠じゃない、と言いかけた私の唇を、


彼女が塞いだ。
抱き締めながら。
優しくキスをして。


感情の数だけ接吻があった。
でも、
彼女のものは特別だった。
心から、
安らぎという毛布で、
包み込んでくれる。
そんな、
まるで母親のような―――。


'落ち着いた?'
まだ少し息が荒いものの、不思議なことに感情的に落ち着いてしまった'私'は、彼女に向けて、少し呆けた表情で頷いた。溢れていた感情がいきなり消えてしまった、あの虚無感。
彼女は、そんな'私'を見て――いや、先程の取り乱した'私'の事を考えているのだろう。'私'には出来そうにない、ある意味達観したともとれる緩やかな表情で、'私'に、
こう、言った。


'…………これから、この世界について話すわね。だから、よく聞いてもらえるかな?貴女が………ううん、私達が助かるために'



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