その9:エゴでも守りたいもの





ミサンガを四人に配り終えたNAOKI氏は、そのまま一呼吸置いて――本題に入った。
「それで、具体的に何をするかなんだけど――」

――――――――――――――

「――あの時、私は国民に向けてこう告げました。
『命の有る限り、語り継いでください。私たちが恐れなければならないのは喪失ではありません。忘却です。一切が忘れ去られること、それが真の喪失であるからです。ですから――逃げて、生き延びてください。生き延びて、この国の事を語り継ぎ、絶やさないで下さい』と」
いつの間にか、私の後ろに私以外の人物がいた。その話し声は、今しがた聞いた声と、寸分違うこと無い、凛としながらも優しさを感じられる声だった。
「公女など、ただのシンボルでしかありません。シンボルの大元が消え去ろうとしている以上、私を守る意味もじきに消えるでしょう」
彼女――プルミーユは、私の前に立つと、私を真っ直ぐに見据えながら、一言一言力を入れて喋りました。
「ですが、国はシンボルではありません。その場所で過ごした時、思い出、共に生きた国民、その思考一つ一つ。それらが全て'国'なのです。ですから、国が真に消えるのは、国民がその国について、もはや語らなくなったとき……」
そこでプルミーユは一度言葉を切り――再び私を見据えて言った。

「私は民衆の命を守ることで、国の'死'を防ごうとしていたのかもしれません。ならばそれは、言うならば独善的な選択だったでしょう。ですが――ですが、私にとって国とは国民でした!人々が暮らす営みでした!目を喜ばせる芸術や、耳を富ませる音楽じゃない!人なんです!」

ですが、とプルミーユは私を見つめて、必死で言葉を絞り出した。その瞳には、明らかに涙が浮かんでいる。
「……ですが、逃げた国民も、死後は魂がこの城の呪いに囚われ、そして変性させられてしまいました。その息子も、孫も、現代に至るまで――この国に関わったものの魂はこの城に囚われてしまうのです」
そこで彼女は一度言葉を切り、目を伏せた。いつのまにか石畳に変わった地面に、涙が降り注いでいく。
私はただ黙っていた。彼女の話は終わっていない。まだ、真に伝えたいことを言えていないのだ。
……やがて彼女は、意を決したように、涙で濡れた瞳で私を見据えながら――思いを伝えてきた。

「……私の願いは、語り継いだ者、語り継げずに命を落とした者、いいえ……自分の人生という役割を演じきった者の魂を、この城から解放したいのです」

「……貴女の過去を、私は覗くことになった。覗くだけじゃなくて、演じることになった。私は意識の中で、貴女として歴史を体験した。そこで貴女の感情を、私は知った。
だから、貴女のその言葉が、嘘でないこと、嘘どころか心の底から願っていることも、私はよく分かっているわ」
話し終えて、今にも崩れ落ちそうな彼女の体を、私はすっと抱き締めた。彼女が動かしていたのは私の体。いきなり生身の体を動かすようになった精神には、相当な負荷がかかっているだろうから。ううん……それだけじゃない。
今までの出来事の追体験をして、自分が死んだことを何度も思い知らされて、それで平気でいられる筈もない。記憶は、忘れない限りは――いや、たとええ忘れてさえもその対象を縛り付ける。傷跡が完治しないのと同じように、ふとした拍子で戻ってしまうのだ。
何度も傷ついて、それでも彼女は何とか耐えてきたのだ。限界なんて、とうに超えていただろうに。
「……っぁ……んんっ……ぃぅっ……」
私の胸の中で、声を押し殺して泣くプルミーユ公女。私はその涙を、全身をもって受け止めていた……。

「………いきなり貴女の体に取り憑き、あまつさえ貴女を肉体に押し込めて使ってしまったことを、ここにお詫び致します。申し訳ございませんでした」
改めて、泣き止んで精神が落ち着いたプルミーユが、私に向けて深々と頭を下げた。
「……驚いたわよ。いきなり体が動かなくなるわ、口は勝手に言葉を喋るわ、記憶に無い単語がどんどん出てくるわ、それに対して違和感がないわ、'終わり'という単語に異常な恐怖を感じるわ……」
一応これだけは言っておかなければなるまい。今思えばこれだけの事を乗っとり前にされていたんだな、と妙な方向に感心してしまう。彼女の表情は見えない。けど、私の言葉は彼女に突き刺さってはいると思う。
……でもね、
「……でも、仕方がなかったんでしょう?そうしなければならないような、切迫した状況だったんでしょう?そんな状態だったら、私だってそうすると思うわ。
それにね……」
それに、彼女は――。

「……プルミーユ、貴女は私の体を危険な目に遭わせようとしなかった。それにNAOKI家の皆さんやGHOSTBUSTERSさんを安全な場所へと案内してくれた。そんな貴女を心の底から拒絶すること、完全に断罪することは、私には出来ないわ。その辺りの判断は、これが終わってからでいいじゃない?」

――彼女は私達に害を与えるつもりもない。それどころか、私達を害から守ろうともしていた。自分が招いた事によって起こる災禍を、自分で防ごうとしている。
結果として自分も救われようとしているのかもしれない。でも、その動機を責めることは、誰も出来やしない。私だって、皆だって――利己的だから。
自分が幸せだと思うから、幸せを求めるから、皆は動くのかもしれない。その結果、他人が不幸になるとして、その不幸をいかにして減らすか、それがよく言われる天使と悪魔の違いなのかもしれない。
大事なのは、その時相手が何をしたか。そして責めるのではなく諭すこと。責める度に、皆は自分の事を忘れていくのだから……。

「……プルミーユ、あのさ」
「……何でしょう?」
私は一呼吸置いて、彼女の顔を真っ直ぐに見つめた。彼女の瞳は微かに赤く、涙の跡がはっきりと見えた。
あまりに私に似ている外見。内に秘めているものは違うけど、それでも意識してしまう。
まるで姉妹みたいな二人だな、って。
「……あのさ、私の体……使ってもいいからね」
「……え?」
今更かもしれない。プルミーユは当然驚いたような表情を浮かべたわけだけど、私にとってはこれは重要なことなんだ。
「使ってもいいんだよ、私の体を。でも――」
そう、ここからが重要。今までは緊急事態だったとはいえ、私の意識を落としてプルミーユが勝手に体を使っていたわけだから、私には何が起こっているか、全く理解できていないわけで。だから私は、こうお願いした。

「――でもさ、使っている最中はせめて私の意識は残してもらえる?流石に信用はしているけど、代わった後で状況を把握するの、大変だからさ……ね?」

プルミーユはようやく合点がいったらしい。私を見つめながら――一礼すると、そのまま私に被さるように抱きついてきた。
「え、ちょ、わ」
思わずバランスを崩して倒れそうになる私を、プルミーユはしっかりと抱き留める。え……これって、どういう……?
「今から、正当な手順での憑依をいたします。そうすれば、Tangerineさんの望んだ通り、意識を保ったままでいられますし、私の声を聞きながら体を動かすことも出来ますので……」
「は……はぁ……」
でも抱きつくのは何故?それが正当な手順?そんな私の疑問は、プルミーユの行動で、

あっさり証明された。

ちゅっ

「――!!!!!!!!」
キスしてきた!初キス……って言っても精神内だけど……でも何の心の準備もないままに!でも――その驚きの感情は、すぐに融解していく事になる。
「――?」
口から、何かが流れ込んでいく……これは、プルミーユ?同時に、私からもプルミーユの方に何かが流れていく……。
「――」
……私の体の中に、蟠っている靄が、流れ込んできた'彼女'によって砕かれ、飲み込まれ、彼女の方へと押し出されていく……。そしてその空白へ、'彼女'は私へのリンクを張りながら滑り落ちていく……。
……あぁ、そう言うことか。
私の中に、彼女を受け入れる余地を、彼女の中に、私を受け入れる余地を、それぞれ互いに作り出すために交わすのがこのキスなんだ……。
象徴するのは'信頼'と'親愛'。
心が交わった事のある対象でないと働かない力……。

長いキスを終えた私達は、互いの手を重ね合わせた。
もう、心の中にいる必要はない。それよりも、現実の世界でやらなければならない事がある。
それが彼女との別れを意味することも、勿論知っている。でも――でも、それでもやらなければならないんだ。

この妄執の引き起こしたTragedyに、Catastropheを引き起こし、全てを終わらせるために……。

――――――――――――――

「どうやら、上手く行ったみたいだな」
目を覚まして一番最初に聞いた言葉が、GHOSTBUSTERSさんのこれだった。私が何か言おうとする前に、勝手に私の口は動く。
「……はい」
どうも、あのキスの甲斐はあったらしい。今は私とプルミーユが、同時に私の体に存在している状態だ。……まだ慣れるのには時間がかかりそうだけど。
「ん、今の声はプルミーユか」
微妙な違いも彼は分かるらしい。
「……私も大丈夫ですよ、GHOSTBUSTERSさん」
私も声を出した。出さなきゃちゃんと成功したか分からないしね。
確認できたGHOSTBUSTERSさんは軽く頷くと、私に向けて今の状況を軽く説明した。プルミーユが意識を私に向けるまでの一部始終を、彼は分かりやすく説明し、その後……背後にバトンタッチした。
「作戦説明、お願いします」
そう丁寧口調でお願いされていたのは……PARANOIA surviver MAXさんの体を使っているNAOKI氏。
氏はGHOSTBUSTERSさんに向けて軽く頷くと、こちらに向き直った。
「まずは初めまして。NAOKIです。よろしく」
差し出された手を軽く握りながら、私は「初めまして」と返した。その様子に氏は微笑みながら――真剣な表情に変わった。まるで対象を射抜くような視線をこちらに向け、氏は重々しく言った。
「これから行う作戦は、言ってしまえば君らがしくじったら終わる。そう考えて欲しい。だからこそ、必ず成功させてくれ」
ごくり……と、唾を飲み込む音が辺りに響き渡った気がした。いや……これは私の音だ。私が出した音が過剰に大きく聞こえただけだ。
「………」
こくり、と大きく、ゆっくり私は頷く。プルミーユも、意識の中で私と同じ動きをした。それを見届けるとNAOKI氏は、真剣な顔つきを崩すこと無く頷いて、続けた。
「よし。じゃあ君達の役割を言おう。君達の役割は――言わば'爆破スイッチ'のようなものだ。ただし、場所は限定されているから……そうだな……'起爆人'かな。
'爆破スイッチ'がある場所へ赴いて、僕が施した'爆破スイッチ'を起動させて欲しい。それが君達の任務だ」
そこまで言うと、NAOKI氏は表情をやや崩し、私を優しく見つめて――こう言ったんだ。

「そして――Tangerine Stream -the catastrophe-へのリミックスは、この起爆をもってほぼ完成する。後は終わった後の微調整くらいかな」

「………」
どういう事か分からない。起爆させることがリミックスの完成形?どうしてそうなるんだろう……。
……でも、NAOKI氏がそう言うなら……何か考えがあるんだろう。そうじゃなきゃそんな根拠の無いことを言う筈もない。
ならば――私はそれを信用するままに動くのみ。
(……ええ。私も――)
プルミーユも、NAOKI氏の言葉に賛同した。元より――彼女は氏を信頼する以外にどうしようもないんだけど。

「……分かりました」

私は氏に対して、深々と頭を下げた。氏はそれを受け入れ、敷かれた巨大地図の前に私を立たせた。
「本当は、頭を下げるべきは僕の方だよ。僕の行為は、ある意味エゴの結晶でしかない。自分がこうしたいから、自分がこのように望むから、君達を利用した、そう思われても仕方がないと思う。
だが覚えて欲しい。僕は――NAOKI MAEDAという人間は、自らのエゴに他者を巻き込む時は、危険を晒す責任は己がとるし、何より――己のエゴの産物の作成を失敗させるつもりはない。防護策は、既に用意済みだ」



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